紹介棋譜 別ウィンドウにて。
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『棋道半世紀』、「第七の封印」、チェスボクシング。

04/04/23
 『米長邦雄の本』、懐かしい将棋をたくさん見つけて嬉しかった。ファン必携の一冊。ただ、注目度の低い対局での隠れた名局が多い人でもあり、本当はもっと木目の細かい名局集が欲しい。弟子達が寄せたエッセイは、やはり先崎のが抜群、「絶対詰まない形に異常に明るいのである」。先崎が内弟子だった頃、奨励会の棋譜を師匠に見せると、《勝ち負けなんてまったく気にしなかったが、中盤で元気のない手を指すとすぐに怒られた。一度、中盤で銀を引いたら案の定機嫌が悪くなった。「なんだその手は」。私は反論した。「そういわれても引かないと銀が死んでしまいます」。「バカ」と言われた。「銀が死ぬくらいでぐちゃぐちゃ言うんじゃない。そのくらい力でなんとかしろ》。実際にNHK杯で米長がそんな将棋を指したのを想い出した。相手は西川慶二だったと思う。米長の大ポカでまるっきりの銀損。しかしそこから駒は前進また前進。優勢を確保しようと保身モードに入っている相手をそのまま踏み倒してしまったのである。解説の谷川はあきれて無言だった。追記いまは井上慶太戦だった気がしている。
04/04/21
 私のベルイマン月間、「野いちご」は難波のタワーまで行ってDVDを買ってきた。良かった。冒頭にチェスがちらっと出てきたことを御報告しておきます。「魔笛」の幕間にも出てくるので、チェスと野いちごはベルイマンのトレード・マークなんですね。グレン・グールドのCD20枚組も、一枚700円ほどの安さだったので購入。いま聞いてます、好きだあ、つぶつぶした音がクッキリ快感。これで充分の重さでしたが、買い物できる日は限られてきてるので雨のなか頑張ってジュンク堂にも寄り、畏友に聞いた『米長邦雄の本』も購入。他には『吉本隆明代表詩選』や、表紙が気に入ったので『夜の鳥』と『ヨアキム』の連作、他に数冊。両手に荷物で、もう傘をさすのはあきらめた帰り道でした。
04/04/20
 予告どおり、畏友のチェスボクシング観戦記を御紹介いたします。写真も最初の二枚以外は彼が撮ったもの。腕前を初めて知りました。文章は私がいくらか調整したところがありますが、九割以上、彼のものです。
04/04/19
 この土日、埼玉と横浜のかたは「第七の封印」を御覧いただけたでしょうか。あれから私は「夏の遊び」と「処女の泉」を借りて観ましたが、どちらも立派な作品でした。しかも前者はチェスが出てきます。駒が素敵だった。さて一方、さすがは畏友である。彼は17日のチェスボクシングの観戦に出かけていた。素晴らしい写真と報告も送ってくれて、世界チェスボクシング機構(WCBO)から掲載許可まで取ってくれました(やるー)。明日にでも皆さんに御覧いただけるようにしたいです。
04/04/18
 先日のこともあって小林秀雄を読み返したらやっぱり面白い。「信ずることと知ること」の、ユリ・ゲラーから始まる冒頭とか、若い頃は馬鹿馬鹿しかったけど、今はちょうど似たようなことを私も考えていたところであった。また、『考へるヒント』は本を捨ててしまったほどつまらなく感じたものだが、これもいま読み返すと、「常識」というエッセイがあの「メールツェルの将棋差し」から始まる話だった。中身はやっぱりたいしたことないが、「すべてを見通している将棋の神様ふたりが対局したらどっちが勝つだろう」という問題を考えている。
04/04/15
 更新の目標期日を過ぎましたが、できずにおります。名人戦、早すぎる羽生の投了に解説者も驚いてましたが、ひどい大差ですよね。畏友は「とにかく主導権をとる将棋を指してほしい」。さて、アマゾンのチェス書籍ランキング、ここ一ヶ月で最も多く一位になっていたのは、たぶん、
 Israel Gelfer, Raaphy Persitz, Positional Chess Handbook, Dover
 千円という安さもウケたかな。むかし、Batsfordから出ていた、Gelferの単著で同じ題名の本を持っていますが、たぶんほぼ同じものでしょう。買った人は「好形と悪形の早わかり一覧表」を期待したかもしれません。ぜんぜん違います。200ページ強の厚さに、たくさんの実戦やスタディの一局面の図を詰め込んで、そこでの好手をごく簡単に解説しただけの本です。中級者が気楽に開く本。初心者が読んでも、この本に書いてある形成判断が意味不明でしょう。そこんところを知りたくて買ったんだと思いますが、、、。ごく標準的な「好形と悪形の早わかり」を千円で身に着けたいと思うなら、
 Irving Chernev, Most Instructive Games of Chess Ever Played, Dover
 が良いです。もう、言ってしまいますが、amazon.co.jpでよく売れてる本を見てると、Fineの本一冊で序盤を覚えようとか、「Handbook」ごときで駒組みの感覚を身に着けようとか、Nunnの偏執的な解説を本格的な名著だと思ってしまうとか、、、私の印象が当ってるなら、日本人ダメダメですね。
04/04/14
 名人戦、畏友は「羽生防衛と予想しておきます」。彼らしい。第一局は羽生が局面の節目で封じ手を選んで一日目が終わったところ。羽生はゴキゲン中飛車を避けたようで、気合がよろしくないだけに、早くも落とせない将棋だ。
 私の至高の監督はタルコフスキーである。初期竜王戦のBS放送のような、何も動かない画面に酔いしれてしまう。反面、タルコフスキー信者は、彼の映画を聖書にして三流神学の説教をたれる傾向があり、それが不当にもタルコフスキー映画自体が三流神学であるかのように思わせている。同じ現象がベルイマンにもありそうだ。「第七の封印」を見て、死だの運命だの語る奴はほんとに映画を見てるんだろうか。
 そんなわけで、時代設定が似ている「アンドレイ・ルブリョフ」や、同じような海景を望める「サクリファイス」といったタルコフスキー作品とつい比べながら「第七の封印」を見ていた。すると、つまらないことが気になってしまった。「第七」の役者はみんな血色が良い現代人なのである。北欧式の体操に励んでいそうで、とても疫病の流行っている中世人には見えないのだ(役作りでか実際にか不明だが「ルブリョフ」の登場人物はやつれていた)。同じことがチェス・セットにも言える。一見、古そうだが、とってもモダンな光沢でキラキラしていて、そこに私は強い違和感をおぼえた。見た限り、ルールも現代チェスである(それは別に構わない私だが)。「サクリファイス」との比較はパス。撮影に関して語る力が私には無い。
 傑作であることは疑いない。たしかに「死だの運命だの」がテーマなのだが、説明は要らない。騎士だって、死神に勝てないことくらい薄々わかってるのだ。だから、晴れ晴れとした表情で彼が対局を申し込み、敗勢になっても生き生きと指すのが素敵だ。戦乱に倦んだ帰還兵なのに、初めて「いのちがけの決戦」の機会を得て充実している。落ち込むシーンは、死ぬからではなく、ゲームが終わってしまうからだ。チェス!
 対局は所々ながら再現できそうである。いつか録画できたらやってみたい。追記05/09/26 に書いた。
04/04/13
 畏友はアメリカ産のTVドラマ「24」が気に入ってるようだ。ただでさえドラマを見ない私は昨年にDVD機を買って以来、映画しか観なくなって、ますますテレビから離れており、話に付いてゆけないのだが面白そうだ。高校生の女の子が学校のチェス・クラブに入っていて、父とも指すらしい。
 「第七の封印」のチェスについては明日に。ただ、この映画、死神があまり怖く感じられなかったことだけ書いておく。どうしてもこれを連想して笑けてしまうのだ。ベルイマン信者には不謹慎かもしれぬが、死神が木を切るシーンなど、会場では実際に笑った人もおり、私のはともかくとして、これなんかは健全な見方ではなかろうか。
 この際だから映画ネタをもうひとつ。03/08/24に書いた「Chess Fever」を喜劇映画研究会が詳しく解説してくれている。それによると、監督のフセウォロド・プドフキンは立派な人なんだそうだ。しかも、前年の「ボルシェヴィキの国におけるウェスト氏の異常な冒険」には俳優として出演してるとか。「ギャグ構成はやはりロイドの短編喜劇に倣っている」とのこと。はずかしながら、私は「ウェスト氏」どころか、ロイドさえ見たことが無い。
04/04/12
 理由はわからないが、ベルイマン映画祭というのをやっていて、各地で彼の作品が上映されている。神戸のシーガルホールで「第七の封印」(1956)を観てきた。十字軍の遠征から帰還した騎士と死神がチェスを指すことで知られている。17日18日に埼玉、18日に横浜でも上映されるので、興味のある方はぜひ。会場はガラガラで、10人程度だったと思う。他に「野いちご」「処女の泉」といった代表作も観る事が出来る。前者を観たかったが、一日に2本は疲れるのであきらめた。一人で神戸に行くのは初めて。「第七の封印」を喜んでくれそうな女性を思いつかなかったのだ(会場にも2名ほど)。おかげで、帰りは気兼ねなく古本屋を各個撃破することができ、蓮實重彦のマクシム論とか、バッハ事典とか買って帰った。
04/04/11
 象棋(中国将棋)の対戦フリーソフトを畏友に教わった。Coffee Chinese Chessというのをダウンロードし、そのcccmainというのを開けば盤駒が出てくる(簡単!)。動かしたい駒をクリックし、動かしたい場所をクリックすれば、駒が動く。音が豪快だ。強いのかどうか、判断できるほど私は象棋を知らないが、まるっきり勝負にならない。
04/04/10 紹介棋譜参照
 たぶん今年になってから出来たと思うのだが、ギコチェスというのが話題に上ることが増えてきた。とても手軽にブラウザ上の対局が楽しめる。現在Ver0.99、まだアンパッサンもステールメイトも出来ない不完全さだが、そんなルールが必要ないほどとても弱い。私で15勝0敗0分。おかげで深刻にならずに指せる。二局ほど紹介棋譜にしておこう。のちのちのバージョンが強くなった場合と比較できることを願って。しかし、総合対戦成績を見ると「ギコ40,833勝、ユーザ8,498勝」、日本のチェスの実態がわかった。反面、無意味なほど高度なソフトや本を礼賛する傾向もある。同じコインの裏表だろう。
04/04/09
 もう先月の話になるが、日本チェス協会が日本オリンピック委員会の承認団体になった、と畏友に教わった。また、「お遊びでない本格的なチェスを目指す」と偉そうに言ってた彼らだが、以前お伝えしたチェスボクシングの日本選手を見つけたようである。協会は変わってきたんだろうか。最近の「CHESS通信」には個人崇拝と個人攻撃と除名記事が見られない(この点だけは日本のチェスもソビエト共産党の高みに並んでいたものだけど)。最新の3/25日号は、「全米学生学年別選手権で上杉晋作(12)が、小学6年生の部で2位に入賞、地元紙に『小さな侍』のタイトルで大きく報道された」という記事がトップである。われわれネットのチェス人が彼らを許すのはなかなか難しいことだと思うが、彼らの硬直した思考や無教養を笑う機会が減りつつあるのは確かである。
04/04/08
 古めの話になりますが、NewInChessの04/2号でアナンドがヴェイカンゼーとリナレスを比較してるところが面白かった。ヴェイカンゼーでは、選手達が朝食で顔を会わせ、言葉を交し合う。対してリナレスでは、「時々、ぼくらみんなエイリアンかな、って思います。毎回おなじテーブルで食事して、誰もそれを変えたがらない。(略)ほとんどしゃべることもない。感想戦でちょっと話すだけ。よその大会では仲よくしてくれるのに、打って変わって自分の世界に鍵をかけてしまう、それがちょっとね、やなんです」。
04/04/06
 Biglobeで「チェス」を検索。わがChessChroniconは何番目くらいだろう、「次の10件」を何度クリックしても一向に出てこない。今日は811位だった。どんどん落ちている。でも、おかげでたくさん検索できて知識が増えた。たとえば、古い駒では最も有名なルイス島の駒、この複製が海洋堂から出ているそうだ。五個のセットで1300円。海洋堂の仕事なら信頼できそうではないか。それから、日本オセロ連盟のページに、このゲームの考案者長谷川五郎の「オセロの歴史」があって、ここにマイルズが登場していた。1976年10月、BBCの企画でマイルズと第4代全日本オセロチャンピオン藤田二三夫がオセロ三番勝負をしたそうだ。マイルズは2ヶ月間の準備期間をもらってからロンドンでの決戦に臨み、1局目に勝利。しかし、2局目3局目を連敗、藤田が面目を保った、とのこと。
04/04/05
 欧州女子選手権、先日に報告してからコステニクは残り4局すべてが熱戦で3勝0敗1分、首位に追いついて12ラウンドを終了。同点で並んだペンと持ち時間15分のタイブレークを戦い、黒番で先勝、続く白番は駒得のままドロー。かくて期待どおり優勝してくれました。正直申しまして、誰の妻であろうと僕のサーシャは最高です。
 FIDEの世界選手権。いまのところの予定では、6月18日から7月13日まで、リビアのトリポリとマルタのバレッタで行われる。マルタはシチリアの南のとっても小さな島国。出場権を持つ棋士の一覧を見ると、ポノマリョフ、アナンド、クラムニク、レコ、モロゼビッチの名がある。さて、このうち何人が参加してくれるだろう。
04/04/04
 4/3ぶんを書こうかなと思いつつ、CD「小林秀雄講演、第六巻、音楽について」をかけたら聴き入ってしまい、、、あ、日付が変わってしまった。私は柄谷行人を読んで人生がぜんぜん変わった男で、だから、小林秀雄を馬鹿にしてた。それが、二年ほどまえ本当に久しぶりに「モオツアルト」を読み返したら、これが素晴らしいのなんの。彼はきっと再評価されると信じます。むろんradicalに。
 そんなわけで聞いたばっかのCDから引用しましょう。「(音響設備に凝り過ぎる人々は)音楽を文化として聴いてない。音として聴いている。教養なんてものは何もなくても、歴史なんてものは何もなくても、ステレオさえよければ快い夢を与えてくれる、そういう音として彼らは扱っているのよ。こんな傲慢無礼なことはないんだよ。そうだろう。そういうことはね、彼らの間違いなんだよ。絶対間違いなんだ」。え?いや、これはチェスの棋譜鑑賞の話ですよ。
04/04/02
 モナコの大会が終了。優勝はモロゼビッチとクラムニク。私には最高の結果だ。3位アナンド、4位イワンチュク、5位レコ。この大会の面白いところは、目隠しチェスと早指しの総合成績で争われる点だ。目隠し部門はモロゼビッチが一位、早指しは無論アナンドである。ちょうどツヴァイク「チェスの話」を読んだところで、これが、目隠しチェスを出来ない天才棋士の話だった。ただし、アナンドより性格はずっと悪い。『完全チェス読本』には「最高のチェス小説」と書かれているが、たしかに面白かった。
 いまのところ私が出会ったチェスの物語のほとんどは、チェスが悪魔のように棋士を支配する場面を少なくともひとつは描く。「チェスの話」もそうだった。文句は言うな。ヒロインは白血病になるべきで、痔は許されない。物語は楽しもうぜ。でもこの種の定型を誰が書き始めたのだろう?ちなみに「チェスの話」は1943年、ナボコフ「ディフェンス」は1929年から翌年。また、あやふやな私の記憶の範囲内で、唯一この定型から外れているのはTV「スパイ大作戦」の旧シリーズだ。反体制棋士を助けて、いかに国外に脱出させるか、という話だったと思う。
04/04/01
 やはりカスパロフの言うとおりだった。7年前、彼は、ディープ・ブルーに敗れたとき、「あの機械は人間が手助けしている」と主張した。コンピュータは人間にはありえぬ大悪手を指すことがあるが、これを手作業で訂正すれば、圧倒的に強くなる。多くの人はこれを聞いて、下手な負け惜しみだと苦笑したものだが、、、。
 この偉大なコンピューターは現在、スミソニアン博物館にある。収蔵品としての余生だが、多くの大棋士と同様、静かな老後は望めなかった。この度、カスパロフの執拗な要求が遂に受け入れられ、博物館は大掛かりな調査をすることになったのである。そして初日、機械のふたを開けたところ、それ見たことか、中からミイラ化した男性が出てきたのだ。さいわい、かすかながら意識があり、館員が「あなたはなに人ですか」と尋ねたところ、「トルコ人」と答えたという。
 カスパロフは直ちに声明を発表、「巧妙なハメ手もついにバレる日が来たわけさ」。ディープブルーを製作したIBM社は、「製造過程の事故で異物が混入するのは珍しいことではない。彼がチェスを指せるかどうかさえ疑問だ」と反論している。
04/03/31
 今月は多忙で実はChessTodayもろくに読んでない。勝手に敬愛してる原啓介さんもこのWeb新聞の講読を始められたようで、これは拙欄の影響らしい。光栄だが、"先達"としてはちょっと忸怩たる三月だった。氏の日記はチェスやプロブレムに関する記事が前より増えている。
 久しぶりにChessBaseのページを訪ねてみた。なんとカムスキーが話題になってる。内容も、FIDEの会長に彼は立候補する意志を持っている、というびっくりするものだった。現在はニューヨーク、ロングアイランドの豪邸に、偏屈で有名だった父と住んでるらしい。チェスを辞めるのは医者になる勉強を始めるからだ、というのが引退当時の話だった。が、結局は法律の勉強をすることになり、まあ順調のようだ。五月にロースクールを卒業の見込みらしい。体格が立派になり、記事には、昔と見分けがつかない、とある。父は息子のためにタタールからお嫁さんを探して、結婚させたとか。謎はなぜ豪邸に住めるかだが、息子の金でボロ家を安く買い、働き者の父が建て直したのではないか、というのが記者の推測である。
04/03/30
 今月中旬のことだが、皇帝陛下の掲示板でKeres65さん、tabataさんに、コステニクが衛星第一放送の「トランス・ワールド・スポーツ」に出ることを教わった。録画したので、本欄で流してしまえと思ったのだが、法律的にではなく技術的に困難を感じて出来ずにいる。フィッシャーについて触れているのが印象的だった。彼のおかげでチェスが普及した点を評価している。そう、そこが大事で、スケールは違うが関根の偉さも、終身制の名人位を手放して棋界の近代化に貢献した点にある。秀哉が本因坊を手放した際は経済的な補償が付いたはずだが、関根はどうだったんだろう。06/05/04参照。
 さて、コステニク、いまドレスデンの欧州女子選手権に参加している。全12ラウンドのうち8を消化して、5勝1敗2分、首位に1点差の四位グループ。取りこぼしの1敗が痛いが、セバーグに激戦で勝ってるのも大きい。期待しよう。
04/03/29
 関根金次郎なんて話題にする人は将棋ファンでも少ないだろうから、もう一回だけ。『棋道半世紀』にはまだいろいろ気になるところがある。名人位に関する裏話、イカサマ将棋、清水次郎長、駒台の発案者飯塚力造などなど。特に心に残るのは、関根と同じように、将棋の盛んな土地で世話になりながら諸国を放浪していた棋士達の話だ。親の敵討ちでもするようにライバルの後を追う旅をしたり、また、離れ離れになっていた棋友と再会したり、いろいろあるが、御存知の方が多くても、やっぱり墓の話をしておこう。
 『棋道半世紀』の口絵には関根の墓写真が使われている。生前に作っているのだ。大きな墓だが、その両脇に小さな墓がついていて、向かって左が石川友次郎、右が吉田菊一、ふたりとも放浪時代の関根の仲間だ。「わたしの墓を建てた時、石川さんと吉田さんの墓から土を持つてきてわたしの墓の傍に二人の碑を建立した」。坂田三吉について記さない関根だが、この二人を書かずには「わたしの将棋の歴史は成立しない」と言う。とくに、石川は当時の指し盛りの関根と31局して一つ勝ち越していたという。格調ある棋風で、「この人などたしかに名人になつてゐたであらう」。しかし、35歳で死んでしまった。吉田は50歳で。いずれも深酒が寿命を縮めてしまったのだ、と関根は嘆いている。「あの世に行つてからも、さらに共々将棋をさしてゆきたい」。破滅型の同志を関根はたくさん見てきたはずだ。七頁もかけて明治の高段者の名前を列挙しているくだりもあり、本書が自伝であると同時に鎮魂の書であることは疑い無い。
04/03/27
 この怪談噺を畏友は別の古い本で知っていたようだ。『棋道半世紀』はよく引用される本らしい。最近では文庫にもなった岡本嗣郎の坂田三吉伝に頻出する。私が紹介したようなのに混じって、しみじみした哀話も綴られており、岡本はそこを上手に掬い上げてくれている。関根の墓のエピソードとか、すべての将棋ファンに知ってほしい。いつか私もここにお参りしよう。関根に関しては、坂口安吾のエッセイにもあるとおり「弱い」という印象しかなかったが、将棋の衰退期を支えてくれた御礼を今は言いたい。畏友も関根の記念館に興味を持っている様子。
 毎コミあたりが『棋道半世紀』を文庫化する使命感を持ってくれるとうれしいな。読了して意外だったのは、坂田の名がほぼまったく出てこないこと。何か事情はあるのだろう。また、関根の強さの秘密を本人が語っているくだりが面白かった。「時間制でなく無制限の時には、わたしはたいてい負けたことがなかつた。体が丈夫だからである。無制限の時代には、疲れた方が負けるのである。わたしはからだが丈夫だつたから、あまり疲れるといふことがなかつた」。いつ行き倒れても不思議の無い将棋馬鹿が戦っていた時代である。昔の棋士が定跡を深めないのは、彼らのレベルが低かったからではなく、体力や情熱の持続の方がずっと重要な要素だったからではないか。現代棋士がタイムマシンで明治に出かけても、高段者になれるとは限らないだろう。
04/03/26追記
 Poikovskyのカルポフ杯が終了。グリシュクが優勝。参加者は他に、ソコロフ、ボロガン、ルブレフスキーなど。早指しの軽い大会と思ってチェックしてなかった。凡ミスである。いまさらだが、記しておく。
04/03/25
 まだ半分くらいしか読んでない『棋道半世紀』だが、昨日の趣旨から、怪談噺をご紹介しよう。ふたつ続くのだが、その後の方のを。ちなみに、一つ目の怪談は、関根が宿で寝ていると、夜中に気味の悪い女に起こされ、茶碗を投げつけようとしたら消えてしまった、明くる朝、聞くとそこは心中のあった部屋だった、という話。では、ふたつめ、、、。
 やはり、修行で諸国をまわっていた頃、泊まった宿で寝ていると、「ふつと眼をさますと、すうつと音も無く襖が開く。おや!と思つて、薄暗いランプの光に瞳をこらしてみると、髪をバラバラにふり乱し、血みどろになつた真つ蒼な若い女がまた音もなくその襖をしめて、そうつと風のやうにはいつてくるではないか!」。凄絶な幽霊で、しかも哀れに手を合わせ、無言で関根に訴えかけている。そのうち、「蚊のなくやうな細い声で、
 『お願ひです、お願ひです。』
 『……』
 『しばらくここにおいて下さい。わたしは殺されてしまひます。』
 『……』殺されるといふのは、その女ではなく、まさにこのわたしであつた。」
 が、そのうち関根も、これは幽霊ではない、生きてる女だ、と気付く。聞けば、男の相手をする稼業で、けれどこの晩は、仕事とはいえどうしても嫌な客に当たってしまい、断ろうとしても許されず、とうとう血の出るほどの目に合わされた、それでも男に噛み付き、なんとか二階のこの部屋まで逃げ上ってきたのだ。では最後のところを、、、「女はひと通りそのいきさつを話すと、もう下へ行くのはイヤだから、こゝへ泊めてくれと云つた」。落ち着いてよく見れば美人である。で、「私は大いに侠気(をとこぎ)を出して慰め、その女の申出を承諾したが、そのあとのことは知らない」。
 関根の好きな用語を使えば、将棋は将棋でも、この夜の修行は"はさみ将棋"になったようだ。
04/03/24
 昨日は、上野でモネを見て、藪そばに寄って(つゆがダメだった)、秋葉原でDVD「無防備都市」を購入。それから、神田古本屋街のアカシヤ書店へ。今回は畏友と会う都合がつかず残念だった。大山康晴『小菅剣之助名局集』と関根金次郎『棋道半世紀』を買った。小菅は名誉名人、関根は十三世名人。どちらも現在の将棋界草創期に大きな仕事をしてくれた。小野五平十二世名人の話も立ち読み。彼はチェスを森有礼に学んだのだとか。
 『棋道半世紀』は自伝、1940年刊。修行時代に放浪した貧乏話が面白い。飄々とした語り口なので笑ってしまうが、後の名人なのだ。十六世名人や十七世名人の若い頃とは比べようもなくみじめな境遇であり、それを思うとぐっとくる。古い座談会で、関根は木村や花田ほかの若い棋士たちに「良い時代になったもんだ」と何度も語っているが、そこだけは伝えたかっただろう。とはいえ、能天気な本だ。素直に笑って読んであげた方が関根も喜ぶと思う。
 北条秀司『王将』の坂田三吉は実像と異なる、とよく言われるが、坂田が若い頃から晩年のようだったら、かえって魅力が無かろう。それより、あの戯曲で本当に罪が深いのは、関根を優等生として書いたことではなかろうか。明日は『棋道半世紀』から、役にも立たない彼の馬鹿話を紹介しよう。『王将』のイメージを少しでも崩したい。関根対坂田を、エリートを無頼漢が打ち破るという、庶民のルサンチマンを満足させる物語にしてはならない。将棋さえ指せれば幸福な顔をしている馬鹿と阿呆の無邪気な共食いだったのだ。
04/03/22
 昨年末にタルの別れた奥さんのインタヴューの話をしましたが、それから三ヶ月もしてようやくちょっとだけ御紹介できます。彼女は別れてからブリュッセルで暮らしてるんですが、どうも、互いに生活の主導権を取りたがるタイプだったらしく、それが離婚の原因だったようです。あらかじめ申し上げておくと、こーゆー女の人は嫌いじゃないな。
 −結婚したとき、あたしはたった19歳だったのよ。まだわかんないことがたくさんあって。あたし的には彼が天才だってことは知ってたわ、でも、そーゆー人やチェスとの生活は無理。できっこないじゃない。あたしが、ローナ、ほら、ティグラン・ペトロジアンの奥さんよ、あんなふつうの「棋士のおかみさん」になるなんて考えろったって嫌よ。ローナが居なかったら、ティグランはタイトルまずダメだったわ。彼女、すっごい好い人、大好き。ずいぶん御一緒させていただいたのよ。でもやっぱ、あの人の話はすぐチェスとティグラン、あたしはお芝居と音楽だから。
 面白かったのは「タルは験をかつぐ方だった?」という質問の答え。
 −いつもはノー、でもね、チェスではイエスよ。 マラガでは20回も彼のシャツを洗わされたわ。それが彼の「ラッキーシャツ」だったわけ。それから、1983年から84年、あの人がブリュッセルに来たときは、そりゃみすぼらしいかっこだったの。あたしびっくりしちゃって、で、お店に連れってって、頭からかかとまで着せ替えてやったわ。そしたらね、次の日、あの人まけちゃって、もう怒ったわぁ、あたしのこと。
04/03/20
 結果だけ言うのも情けないが、16日にレイキャビク・オープンが終了している。首位は8人も同点で並んだけれど、判定でドレーエフが一位になった模様。カールセンも参加して、77人中の34位。面白い棋譜も無かった。当地では引き続き早指し大会が開かれ、少年はこれにも参加したが、一回戦であえなく敗退。もっとも、相手はカスパロフだったのである。0勝1敗1分。引き分け局はカールセンが白で、黒はケンブリッジ定跡を選んだのが珍しい。結果は少年の駒得で終盤に入ってしまい、ちょっと期待させた。でも私はそれよりカールセン対コルチノイを組んで欲しいなあ。
04/03/19
 「チェスの本を買いまくる」とは言っても限界があって、たとえば、Murryの"A History of Chess"(1913)。増川宏一『チェス』にも「現在にいたるまで、すべてのチェスの歴史書、解説書にはマレーの著書が引用され、未だに生命力を保ち続けている。まさにチェス史の『聖書』といえる労作である」とある古典だ。欲しいけど900ページもあって、値も高くアマゾンで7,101円、手が出ない。ところが、畏友からさりげないメールが来て「注文しました」。ぐおおお、負けるもんか、遂に購入。内容は、昨年末にちらっと紹介した古代エジプトのゲームに始まり、中世の話が延々と続き、861ページになってようやくフィリドールが出てくる、悠然たる歴史書だった。読めるかなあ。"The Mediaeval Problem"という章が面白そうで、三章もかけて膨大な量の問題が紹介されている。
04/03/18
 朝霞や皇帝陛下の掲示板で教えてもらったが、羽生善治がFIDE-Masterになったとのこと。うれしい。日本チェス協会に支払う審査料や申請料、段位登録料と免状料金など、けっこう金と手間が掛かる。熱心に取り組んでくれてる証拠では。このこともうれしい。ただ、王将戦では負けてしまった。やや不調のようで、「チェスのせいだ」と言う将棋ファンもいるだろう。升田や大山は囲碁が強かった。彼らもスランプになったら「囲碁をやめろ」なんて叱られたんだろうか。馬鹿げてる。その程度の棋士ならむしろ将棋をとっくにやめているだろう。
 ちなみに囲碁は米長も強い。『碁敵が泣いて口惜しがる本』なんてのも書いた。チェスにも通ずるアドバイスも多く、たとえば、「実戦譜に親しみすぎると、プロの碁に対する生半可な通に走る危険性がある」、そして、「どの世界にも半可通というものが必ずいるものですが、彼らは実力もないくせに、やけに口うるさく、どちらかというと迷惑な存在です」。こうまで言われると私としても反論したくなるが、内省すれば結局同感である。もっとも、米長自身の囲碁は専門家の棋譜を並べることで上達している。この機微が本書の薦める練習法の味わい深いところだ。
04/03/17
 このホームページを作るとき、いくつか決心したことがあって、たとえば「チェスの本を買いまくる」、だから「将棋はあきらめる」。それでも例外はあって、『米長の将棋』全六巻が文庫になる、と聞けばやっぱ欲しい。米長邦雄こそ私のヒーローだった。書き始めると三週間は彼の話になってしまいそうだ。きっかけの一つが、1978年の第17期十段戦である。中原誠に挑戦して初戦から三連敗、けれど、そこから三連勝してくれたのである。最終局は敗れたが、あの第五、六局は今でも並べ返すことがある。私は16歳だった。
 さて『米長の将棋』、初版は1980年、この時は高くて買えなかった。なんか、高校時代の憧れの女の子を、この歳になって手に入れた気分である。このたびの文庫版の第一巻、羽生善治が解説を寄せている。読んで驚いた、「私が将棋を覚えて初めて買った将棋雑誌には中原−米長の十段戦の記事が載っていた」。まさに第17期の話だ。彼は8歳。ひえっ、私も10歳で司馬遼太郎にハマった子供だったが、わかって読んではいなかった。しかし、羽生少年は中原米長の"純文学"をちゃんと楽しんでいたようである。
04/03/16
 アマゾン・チェック。一位はファインの"The Ideas Behind the Chess Openings "。以前、ぱらぱらっと見たときの私の印象は「古い」。もう10年も昔、カスパロフとショートのマッチを並べて、「序盤の考え方が変わってきたな」と感じたものだ。当然この変化に本書は対応できてない。ファインの本では"Basic Chess Endings"よりも序盤本が売れるところがいかにも日本だ。同じ民族として気持ちはわかるけど、私のような鑑賞専門のファンは、中終盤において新感覚や棋士の個性を読み取れた瞬間が一番たのしい。

戎棋夷説