紹介棋譜 別ウィンドウにて。
HOME
現在に戻る
小野五平『将棋秘訣』、Kasparov『Predecessors』第五巻

06/04/28
 日本将棋連盟は社団法人である。私はそのあたりがよくわからない種の人間だが、とにかく、お金を集めにくいんだろうなあとは思う。将棋の家元大橋家について書いた増川宏一『将軍家「将棋指南役」』を読んで、連盟との対比が面白かった。
 国から補助金をもらう仕事に関わった人はご存知だろうが、いろんな制約があって補助金は好きに使えない金である。ところが、大橋家は江戸幕府から拝領した土地を活用して不動産賃貸業を営むことが出来たのだ。現政府と幕府でどちらが良いかはわからないが、大橋家の方が将棋連盟よりもたくましくやっていたのは確かだろう。
06/04/27
 アマゾンで「瀬川晶司」を検索したら五冊も出てきた。こんな無能な本作りをしておいて、「将棋の本は売れないんだ」なんて講釈たれる出版関係者を私は心底軽蔑する。ところが、そのうちの一冊、瀬川本人の書いた自伝『泣き虫しょったんの奇跡』については、畏友が「これはオススメできます」と言ってきた。あまつさえ彼は、「比較するのも何ですが、ある意味『将棋の子』より上と思います」と言ってのけた。私でさえ泣いてしまったあの名著より、不可解な何らかの意味において「上」だと言うのだ。さっそく買って読んでみた。2時間ほどで読み終えた。
 では、わたくしも。これはオススメできます。
06/04/26
 羽生のチェスをライヴで見れるなんて久しぶりだから、畏友も私も起きていたが結果は残念だった。羽生が黒で、図は彼の手番、たぶん、もういくらか悪い。b6のナイトをc5に移動させたところだが、これが働くようには見えなかった。私ならKb8をもっと早く指したかった。さて、どうしよう。私はRd5みたいな無抵抗策を考えていたので、羽生が選んだ22...Pg6には驚いた。白は23.hxg6、黒は23...Rxh1と24.Rxh1の交換を入れてから24...fxg6、そこで、白は25.Rh7で敵陣への侵入を果たした。以下、私のレベルではまだ難しいが、グランドマスターなら逃さないという局面だろう。
 ナイトをc5に置く構想は、黒番でも勝ちに行くということだったのだろうか。そして、g6はチェスでは珍しい気がする。ジリ貧を嫌う将棋指しの感覚と言ったらこじつけだろうか。少なくとも、投了直前の手順はプロ将棋の形作りになっていた。強い人の感想を待とう。
06/04/25
 ドバイの羽生は二連勝で今夜はGMと当る。相手はGhaem Maghamiというイラン人で初耳だが、トリポリの世界選手権では、一回戦でヴァガニアンに勝ち、二回戦でカシムジャノフに負けている。おお、ヴァガニアンに勝ったのかあ、とビビってしまうが、こっちだって羽生善治さ。日本時間の22時半頃から中継が始まった。変わった序盤になっている。
06/04/23
 名人戦騒動で私は心が穏やかでない。ドバイの大会に出場してる羽生善治には、ひとときチェスを心から楽しんでくださいますよう。ドバイの話は「チェスドクターの日々」から「勝手に将棋トピックス」を経由して知りました。大会のページを見ると参加者142人のうちGMは20人、名のある棋士も数人いる。羽生のレイティングは35位で、活躍が期待できます。ほか、キエフでナボコフ記念の大会があった。小さな大会ですけど、『ロリータ』と『ディフェンス』の作家に敬意を表して記録しておきます。
 畏友が、映画「ミュンヘン」の題材になった事件のドキュメンタリーを教えてくれました。インタヴューを受けるモサドの暗殺部隊幹部"T"の傍らにチェスセットが冷たく光ってます。Tが指すのかな、ただの雰囲気づくりかな。それにしても、外国に忍び込んで敵討ちの相手を人違いして一般人を殺してしまう国家秘密工作機関というのもすごいなあ。将棋連盟も色あせる。
06/04/21
 昨年の将棋連盟は、アマチュア棋士瀬川晶司をプロに編入する可否を決める試験対局を五局行った。棋譜は独占的に連盟の機関誌「将棋世界」に掲載された。連盟はこれによって部数の増進を期待したのである。先日、竜王戦の観戦記を読んでいたら、この狙いがまったく外れたことを伝えていた。
 Chess Todayは反イリュムジノフの態度を鮮明にしている。クラムニクとトパロフのマッチに関しても、会長選挙の宣伝に過ぎず実現はしないという見方だ。
06/04/19 紹介棋譜参照
 ちょっぴり仕事が忙しくなっただけで、23時台のきわどい更新を続ける破目になってます。明日はその自信も無くなり、休むことにしますが、私の難戦の間も畏友とチェス界は活動を続けております。
 まず、畏友は『American Chess Player's Hand Book』の1917年版を手に入れました。「文庫より一回り大きいぐらいのサイズで、今出てる物よりかなり薄い」とのこと。これで、『萬国象棋』一冊目の"簡単なメイト"をすべて確認できました。お見事。
 もうひとつは欧州選手権です。138人も参加しながら、やや物足りない顔ぶれなので、イワンチュクあたりが優勝かと思ったのですが、彼は半点差の単独二位でした。優勝したのはコジュールです。私の90年代のコーナーで紹介したこともある中堅棋士というイメージなので意外な健闘でした。6勝0敗5分。ナイディッシュ戦を紹介棋譜に。これで優勝を意識したそうです。
06/04/18 紹介棋譜参照
 森内俊之は先月下旬にブダペストのチェス大会に出ていた。結果は9Rを5.5点で77人中の11位。気楽な大会だから、とんでもなく弱い相手と指したりしているが、技が決まったのを一局紹介棋譜にしよう。森内が白で図から21.Rxf7. Qxf7, 22.Bxh7+. Kf8, 23.Rf1 だ。
 畏友に教わったが、森内はこのあと同時対局などして将棋の海外普及をしてくれたそうだ。いくつか現地の模様を伝えるページを見ると、先週の名人戦の局面なども紹介されている。海外の将棋ファンは、まさか棋戦を主催する新聞社が棋譜の権利を主張してるなど夢にも思ってないだろうし、知ったとしても気にしないだろう。将棋が海外に広がれば広がるほど、抑えは効かなくなる。新聞社の棋譜独占権は無意味になるはずだ。日本将棋界の現状の方がおかしいのである。
 上記の同時対局にレコやポルガーを呼びたいという記事も見たが、実現はしなかったようだ。
06/04/17
 アリョーヒンがアジアツァーをしているのは御存知のとおり。本も出ている。畏友が謝侠遜を調べるのもそれゆえで、アリョーヒンとの棋譜を探しているのだ。ただ、『大全』の中にそれらしきものは無さそう、とのこと。
 東京将棋連盟の結成は1924年。棋士は二十名だった。日本将棋連盟は1926年で二十九名。無論、伝統文化を守るために集まったわけではない。生活向上のためである。昨年度の連盟棋士数を数えたら一五三名だった。チェスでも世界ランキング100位以下で、プロとして面白い棋譜を残せる者は少ない。しかも、将棋界の場合、年間三十局も指さないような棋士が多すぎる。普及活動の仕事は措いて、とにかくこれで、新聞社から頂く対局料で食っていこうと思うのはムシが良すぎはしまいか。
 今はもう八十年前の貧しい日本ではない。連盟に頼らなくても棋士はいろんな職で食っていけるだろう。将棋界の改革はそうした方向に進めるのが健全だと思う。
06/04/15
 象棋(シャンチー)で棋檀司令と謳われた謝侠遜について04/02/13に書いたことがありましたね。彼の『象棋譜大全』全三巻(1929)を、畏友が台湾の復刻で手にいれました。その第一巻に『萬国象棋』全二冊分が収録されている。チェスの本です。
 畏友によれば、「一冊目はルール、簡単なメイト、American Chess Player's Hand Book からとして実戦的メイト、および、Capablanca『Chess Fundamentals』(1921)からの棋譜を謝の註で三局。二冊目は実戦的メイト、実戦集。残念ながら対局者名がでていません。ほか、チェスも含む興味深い写真も数多く載っています」。畏友に実戦集の全二十五局を送ってもらって調べてみると、1819年にロンドンで指されたCazenove対Tomalinがありました。有名とは思えない棋譜なのですが、私はすでに05/11/22で紹介していて見覚えがありました。なんと、日本最初のチェス本『西洋将棊指南』(1869)にも収録されていた棋譜です。『指南』と『萬国象棋』は同じ資料を使ったのでしょうか。気になる。ただ、両者に共通する棋譜はこれだけでした。
06/04/14
 世界チェス協会の会長選はイリュムジノフ現会長の方が有利のようだ。カルポフも今はキルサンを支持している。勝ち馬に乗れということか。それを見計らってダメ押しするように、イリュムジノフはついに会長の名で、クラムニクとトパロフのマッチを行うことを正式に発表した。エリスタで九月下旬から十二局である。私自身は、これまでの馬鹿げた世界選手権の方式を現会長が変更してくれた時点で、「まあ、もう少しキルサンで良いか」と思いかけている。無論、先行きはコクでもキルサンでも不透明であるのは言うまでも無い。
 日本将棋連盟では理事会が、名人戦の主催者を移動する意向を表明した。これまでも名人戦のスポンサー選びは将棋史に事件を起こしてきたが、今回のも深刻だ。いろいろな発展方向を考えた米長会長だが、結局はこれまでどおり、ほぼ新聞社だけを頼りにして棋戦を開催するしか無いのだろう。そうして羽生や谷川に活躍してもらうことにより、全棋士の収入や退職金の面倒まで見ようというのは、チェスファンの目からすると無理がある。
 私は将棋連盟の棋士は五十人でいいと思う。
06/04/13
 カスパロフがカルポフを極めて高く評価するのは当然すぎるぐらいだろう。「彼の棋風は君らが何か学び取れるようなもんじゃあない。けどな、現代のチェスを調べれば、いつだってカルポフの要素を見つけることになるんだ。具体的な手順を考えるよりも、中盤におけるおおざっぱなパターンを見分けることの方がはるかに重要であるような、そんな局面を取り出すことにかけては、彼は偉大なエキスパートだった」。これがカスパロフの棋風と対照的であるのは言うまでも無い。そして、この水と油が現代でもたくさんの支持を集めている。
 もうひとつ、カルポフについて、1974年のスパスキーとのマッチを、カスパロフが高く評価していることを付け加えておこう。私もそう思っていたのでうれしい。
06/04/11
 カスパロフの本でコルチノイに使われた評言はフィッシャーにも当てはまる、とラッセルは指摘する。偏執的で、疲れを知らぬ情熱家で、等々。しかし、両者には根本的な違いがある、とカスパロフは次のように言う。フィッシャーは自分のミスを認めたがらない。敗北を恐れた。対して、コルチノイは自分の欠点を告白し正していくことに何のためらいも見せない。それはチェスにおける真実を追究する情熱が深いからだ。勝つことだけで自分に満足できるタイプの棋士ではない。これが二人の棋歴の長さの大きな差を生んだのだ。
 コルチノイの正確な自己客観視、しかし、彼の頑張りがこれを狂わせることもあった、という指摘が面白かった。1978年のマッチの最終局だ。コルチノイはなぜあそこでピルツ定跡を選択したのか。自分でも信頼してない定跡なのに。それは謎だ、とカスパロフは言いながら、あのマッチでコルチノイが1勝4敗15分から5勝5敗21分まで追いついたことに着目している。この奇跡的な巻き返しが出来た勢いが、かえって、コルチノイをして無理めの定跡を選ばせてしまったのではないか、というのだ。ご存知のとおり、1978年のマッチはすさんだエピソードに満ちている。しかし、カスパロフは棋譜のレベルの高さを称賛している。
06/04/10
 今月見た映画は「リバティーン」を。公式ページに流れてるナイマンの音楽が良くって見に行ったのである。監督はアディダスのCMを撮っていた人で、今回が本格的なデヴューだ。デップが主演とあって入りは良かった。けれど脚本が散漫で、筋の展開よりも主人公一人の性格ばかり書き込んでいる。文学青年に書かせたみたい。
 『先を行く人々』を五巻まで出してカスパロフは意気軒昴だ。恐れていた事態に突進している。当初は全三巻だった予定が、六巻そして十巻に増えたところまでお伝えしたが、ついに十三巻構想をぶちあげた。まるでガマの油売りである。初版を書き直して増補し、新シリーズを加えると言う。本屋も読者もこれで喜ぶと信じきってるところが王様の可愛いところだ。
06/04/09
 「日本将棋大系」では第12巻に小野五平が採り上げられている。昨年の私はこれを持っておらず、情報は畏友頼みだった。ようやく読めたのだが、解説は大野源一で、なかなか面白い。これによると、大橋宗与の獄死を招いた詐欺事件というのは、彼が犯人であるという説の他に、彼には被害者の一面もあり、亡くなったのは出獄後だという説もあるそうだ。チェスに関する記述では、大崎熊雄も西洋将棋指南の看板を掲げたことがあり、それは将棋連盟の資料室に保管されているとのこと。
 長生きしただけで名人になったという印象のおかげで、五平は見栄えが悪い。しかし、ざっと「大系」を見ると、結構魅力的だった。持久戦に強いと言われる割りに、鮮やかな技も目立つ。宗与(勝田仙吉)との有名な一戦で見せた3五角なんて、やっぱ後にチェスに興味を持つ人だなあと思わせる。取れば十字飛車の狙いだ。また、寄せの鋭さは、私の好きな大矢東吉もしのぐのではないか。香落で五平が上手を持った関澄伯理戦の7七金打は一度見たら忘れられない。以下、同桂に8九角だ。
 つい将棋の話に熱中した。明日からはチェスを。チェスカフェでカスパロフが新刊の『Predecessors』第五巻について熱く語っている。PDFファイルでなんと24ページ。聞き手もラッセルだから安心だ。
06/04/08
 『秘訣』定跡部と『Handbook』の違いを見よう。『秘訣』5局目の変化手順3...Nxe4は『Handbook』にすべて論じられているが、本譜の3...Qe7は無い。十九世紀でも1860年と71年の二局しかない。いづれも白はアンデルセンで4.Nf3と指している。それよりももっと珍しいのは『秘訣』2局目の4...Nge7だ。これは『Handbook』だけでなく、十九世紀全体でさえ指された形跡が無い。二十世紀でも珍しい。私にはこの手の良し悪しが判断できないので、いろんな人の意見を聞いてみたいが、とにかく、4...Nge7を小野変化と呼んでも良いのではないか、という気がする。
06/04/07
 Staunton『The Chess Player's Handbook』は1847年の初版から1935年まで版を重ねること二十一回。畏友は複数の版で持っており、彼によると版によって中身も微妙に違うとの事。私はHarding Simpole社による2003年の復刻を持っている。これが何年版かわからない。
 『将棋秘訣』に収録された定跡や実戦譜を見ると、スタントンの本の影響が強いことがわかる。ただし、五平が直接この本を参照したのか、それとも、この本の影響を受けた別の本を参照したのか、そこがわからない。『秘訣』の十一局はどれもオープンゲームである。そして、定跡の五局はすべて2.Nf3、実戦譜の六局はすべて2.Bc4だ。五平自身がこの本のすべてを書いたのかどうかもわからないが、少なくともこうした編集は彼が納得したものだろう。
06/04/05
 『将棋秘訣』の記譜法は将棋式だ。盤の右上から「一一」、その下を「一二」と数え、われわれの言う「a1」を「八八」と呼んでいる。駒も「王(玉)、女王、角、桂、飛、歩」だ。だから「e4」は「四五歩」である。
 九局についてざっと述べよう。「定跡」として五局が挙がり、特に最初の一局は「桂馬崩し」と名づけられている。変化手順はすべて五平によるものだ。六局目から「指将棊」の部に入る。まず「シー、ワルカル」対「シェー、コカルン」とあるが、これはウォーカー対コクランと考えていいだろう。次に「ノルホルク」対「ニユーヨルク」が二局続くが、これはノーフォーク対ニューヨークの都市対抗通信戦である。二局のうち前者は1842年に指されていることを確認できた、ただし、『秘訣』は25手までなのに、私が見つけた棋譜はメイトまで記録されている。その手順を紹介棋譜の変化手順欄に加えておいた。最後の一局は「エムドンネル」対「デー、ラボールトンネス」で、これは明らかにマクダネル対ラ・ブルドネ、1834年、二度目のマッチの第五局である。
 本当はさらに二局ある「小野五平」と「英人マツギー」の棋譜については昨年に述べたとおりだが、これだけは対局地と日時が記録されている。五平が白番の一局目が「明治廿六年九月十七日於東京市芝三田福澤邸午後二時より六時に終る」、黒番の二局目が「同年同月同日於福澤邸午後七時より十一時に終る」とある。
06/04/04 紹介棋譜参照
 『ロリータ』は映画化されている。映画をずっと前に見たときはそれほどでもなかったが、小説を読んで見直したら没入してしまった。ニンフェットにのめり込む気持ちがわかる歳になっただけなのかもしれないが。小説同様映画にもチェスが出てくる。
 小野五平の『将棋秘訣』については05/09/05に軽く述べたことがある。十一局の棋譜が収録されており、そのうち最後の二局の謎については05/09/04から畏友と二人でとことん調べてある。あの時は調査と分析と執筆で私にストレスがたまってしまい、頭痛の話を何度か書いているが、実は陰嚢湿疹まで起こしていた。当時の記述にちらっと名残がある。書き終わったとたん、全快してしまったのが不思議だった。凡人はみんなそうだと思うが、私も仕事であんなに熱中したことは無い。
 『秘訣』の残り九局を参考棋譜にした。おって解説してゆきたい。大きな成果は無いのだが、何と言っても十二世名人のチェスである。それだけで興味深い。
06/04/03
 毎年似たような結果、といえば詰将棋解答選手権で、今年も宮田敦史が優勝だった。無論、私は満足だ。ただ、ふうむ、と思った十七世名人の所感が若島正のページで紹介されている。名人の心意気に敬愛の念が増す。このページには宮田敦史の魅力を語ってくれた記述もあり、いわく「知らないあいだに鬼手妙手の出そうな局面に進んでしまう」とのこと。「得体の知れない何か」を彼や谷川羽生の将棋に感じておられる。今週のNHK杯で宮田はひどい負け方をして57手で投了。感想戦を聞いていると、彼がいろんな凄いことを考えすぎて負けたことがわかってかえって感心してしまった。
 若島正といえば、新訳の『ロリータ』をゆっくり読んで楽しんだ。私はテクストの隅々までコントロールしようとするタイプの作家を好んで読む者ではないが、それだけに久しぶりの充実した読書だった。訳者の解説に従って、最初から読み直そうとしたところ、「ああっ!」とたまげたことも付け加えておく。
06/04/02 紹介棋譜参照
 モンテカルロの大会が終わっている。今年も12人のトップ棋士が集まった。目隠し部門ではモロゼビッチが8勝0敗3分で、二位に3点もの大差を付けた。早指し部門ではアナンドが5勝0敗6分でトップ。この二人が同点で総合優勝も勝ち取った。毎年似たような結果になる。目を引いたのはアロニアンで、早指しでは上から二番目、目隠しでは下から二番目だった。
 目隠し部門で最下位のイワンチュクだが好局を残してくれた。図から21.Nd5である。21...exd5, 22.exd5の後に22...Rxc2も食らってひどい損に見える。が、23.g6が強烈だ。これで一気に黒をメイトに追い込んでしまった。目が六つあっても私には思いつかないだろう。目隠しが得意な人は、一本道の変化ならどこまでも読める気がする。
 ほか、スヴィドラーも目隠しで猛攻を見せてくれた。この二局を紹介棋譜に。
06/04/01
 大阪の堺市で世界最大のポーンが見つかった。大きすぎたおかげで1400年ものあいだ誰も駒があることに気付かなかったようだ。「中央部のふくらみが決め手になった」と橿原考古学研究所の松本研究員は言う。「いまは眠っているが、いつ動き出すかわからない。JR阪和線沿いの住民はキャスリングを考えてほしい」と注意を呼びかけている。
06/03/31
 ふと井伏鱒二の随筆を読み出す。文章の格に触れて、自分の書き様を省みて落ち込んでしまった。書き慣れれば上達するというものでもないらしい。井伏は将棋好きであった。菊池寛について「あのくらい強い人と対局したことがない」と書いている(「菊池寛氏と将棋」)。「桂香落してもらって」も井伏は勝てなかったそうだ。桂香落って聞いたこと無いが、六枚落ちのことだろうか。
 思い出すのは広津和雄『年月のあしおと』の続編である。広津たちが野口雨情を大将に立てて、菊池寛一党に挑戦する章がある。飄々とした雨情の対局振りが魅力的で、菊池は引き立て役である。その印象があったから、井伏の言葉は意外であった。どうも雨情が化け物らしい。先週の帰省の折、実家に置いたままの『続年月のあしおと』を久々に開いた。雨情はこんなことを言っている、「詩では食べられないものですから、私は田舎でしばらく将棋で食べていたことがあるのです」。
 初めて読んだ十数年前の私にはわからなかったが、今なら成る程だ。雨情は真剣師だったのである。菊池は死後に六段を贈られているが、それでも勝てないわけだ。「しゃぼん玉」や「七つの子」の童謡詩人が賭け将棋をしたというのは痛快である。
06/03/30 紹介棋譜参照
 いくつか大会が終わっている。世界の女子王座は許c華に決まった。またポイコフスキーで恒例のカルポフ杯はシロフが優勝、3勝0敗6分でした。ボロガンに勝ったのを紹介棋譜にしておこうかな。2ナイトで2ビショップに勝ちました、うまいもんです。二位は1点差でポノマリョフなど四人。ドレーエフ、ルブレフスキーなど強豪を揃えた9人の、今年も立派な大会でした。
06/03/29
 私はほとんどテレビを見ない。将棋番組は例外中の例外である。が、帰省中は親に付き合って文句を言わずに見る。アサヒ本生のCMでチェスセットを発見。山下達郎の「JODY」が流れるやつだ。ついでに映画の例も出そう。麻生久美子の「青い車」だ。バーのカウンターに目立たぬながら盤が置かれている。将棋の対局シーンもある。ただ、私が愛飲するビールはキリンの一番搾りである。そして「青い車」は最低だ。
 そうだ、畏友は天野宗歩の話もした。大崎熊雄『天野宗歩実戦集』(1931年)と内藤国雄『棋聖天野宗歩手合集』(1992年)の解説はよく似ている、という説があるそうだ。また、「竅iえい)」の宗歩特集号を見せてくれた。これが充実している。私も欲しくなって探してみようと思った。真中昇一という人による研究が載っていたが、初めて聞く名だ。ネットで検索してもわからない。
06/03/28
 ざっと神田の古本屋をまわって、山脇ギャラリーで畏友と待ち合わせ。「日本のマジックサーカス展」をやっている。江戸から昭和のチラシやポスターが面白い。1867年に日本の芸人がフランスに渡った時の記事も紹介されていた。「ルモンド」である。同じ紙面にロイドのプロブレムがあった。畏友が調べたら確かにサム・ロイドの作なのだが、名が「M・ロイド」になっている。
 市ヶ谷に来た上は日本棋院にお参りすべきだろう。地下の囲碁殿堂資料館に行くと、秀策や丈和の直筆があって感動した。昨日は休館日だったが侵入は容易であった。新宿に出て但馬屋でコーヒー。畏友がいろいろ見せてくれる。Larry Listの『The Imagerery of Chess』が美しい。エルンストやノグチ、カルダーなど、いろんなアーティストの作ったチェス・セットが紹介されている。私の好きなタンギーもすっきりしたセットをデザインしており、画風との違いに驚いた。また、05/04/04で紹介した一万円の「チェス・サロン」を畏友は買っていて、これも見せてくれた。日本のチェス協会は最初期からレーティング制や級位制を採用しているのがわかる。上位者には大内延介の名もあった。門脇芳雄がプロブレムの連載をしている。
 かくて3時に会ってから9時半まで、濃い一日であった。帰りは宮崎国夫『放浪の真剣師』を畏友に貸してもらって電車で読んだ。『修羅の棋士』の続編だが、「続編の方が面白い」と畏友。大阪独特の、内輪の厳しさを見せておきながらも、誰にでも居場所と逃げ場を残してくれる優しさがよく書かれている。
06/03/26
 強引に予定を入れて帰省を敢行。新幹線で『容疑者Xの献身』を読んでました。第3章にチェスが登場する。東野圭吾も指すのかな。
 3月の無駄話は酒を。近所に絶品のパスタ屋さんがあった。イタリアで修行したシェフと、楚々として家庭的な奥さんの、二人きりでやっていた。週に一回、三年は通っただろうか。味だけでなく、店に品の良い幸福感が漂っているのが大好きだった。ある日、奥さんが一杯のワインを付けてくれた。「主人がイタリアに居た頃、仕入れたんです」。アーモンドのワインだという。工程のどこかでアーモンドの何かを混ぜるらしい。珍しいそうだ。ほんのりとその風味があってとてもおいしい。よくある企画物の安ワインではなかった。「いつ開けようかって、主人とよく相談してたんですけど、今日に」。私は運良く御相伴にあずかったわけだ。この話を学友にしたら、「開けた理由を何で訊かなかったんだ」。おお、どうも私は詰めが甘い。でも、あらためて訊くまでも無く、奥さんのお腹が大きくなってきたのである。
 ただ、お子さんができて、店の状況も変わった。ご主人も体を壊し、しばらくして、閉店の知らせが届いたのである。翌日、私は04/12/22に「昨日は今年最低の悲しい日だった」と書いた。あれほどのシェフが今は何をしてるのだろう。
06/03/24
 羽生善治が王将位を防衛した。三連勝三連敗での最終局にしてはすんなり勝てた。おめでとう。昨年の今日はフィッシャーがアイスランドに発った日である。羽生が小泉首相にフィッシャーを解放するようメールを送ったことはよく知られているが、毎日新聞社にも呼びかけていた。他にも送ったとは思うが、毎日は最もこの件に熱心でいてくれた新聞である。
 あれから特に判明したことは無い。確認すれば、アメリカ政府が、反米発言を繰り返すフィッシャーを、日本政府を使って拘束した事件である。直接の拘束理由はパスポートの不備だった。何でもいいからとにかく理由を付けて反米発言者を(テロリストを、ではない)取り締まる政府には感心しないし、考えずそれに加担する政府にも感心しない。また、その程度の認識が持てなかった自分にも反省することの多い出来事であった。ご存じない新しい読者は04/07/16以下の記事をどうぞ。
 ネグリとハートの『マルチチュード』によると、冷戦に終結の徴候が見られるのは1972年からである。レイキャビクの年だ。すると、冷戦の真っ最中としてチェス史で語られるあのマッチが滑稽に見えてくる。しかし、『Goes to War』の読者としては、ネグリとハートの方が間違ってる気がする。『マルチチュード』に関して私は、この程度の分析と調査で売れてしまうなら、国際政治学というのはお手軽な業界だな、という感想なのである。
06/03/23
 女子世界選手権決勝にガリアモバと許c華が勝ち上がった。ここ数年のガリアモバは下降気味だったから意外かも。彼女はかつて1999年に女子王座のタイトルを賭けて謝軍と戦い3勝5敗7分で敗れている。今回は四番勝負だ。
 何回か触れてきた『Chess Bitch』を畏友は気に入っていて、「邦訳が出れば良いのに」と思っている。ちょうど選手権の時期でもあり、力の入った内容紹介を送ってくれた。御覧ください。この本の登場人物が今大会で活躍すると私は思ったんだけどな。畏友は出版社の人に、これを出すならどれくらいの部数になるか訊いた。「三千部ですね」とのこと。
06/03/22 紹介棋譜参照
 今世紀のスヘフェニンヘンで白ポーンがe5とf4の形になった時の白勝率を、手製の簡略データで調べたら56%だった。ならない時は53%である。調べなくてもわかることだろうけど、Pe5は統計的にも強い手だ。Pe5になった78局のうち、黒がdxe5で応じたのは53局で白勝率が55%、それ以外の場合は25局で58%だった。カスパロフの芸を理解するのは難しいようだ。黒がdxe5を悪いと判断した典型的な棋譜を見つけたので紹介棋譜にしておく。図がその局面で、黒ルブレフスキーは14...Qc7と指した。
 畏友にフランス映画祭を教わった。今月の映画はこれ。関西では高槻が会場だ。遠いよー、と思いながらも短編映画特集を見に行った。十本あって質が高い。一つだけ選べば「ポール」だろう。老俳優に昔語りをしてもらって、それをセピア単色のスケッチ風アニメで表現した。監督はセシル・ルーセで、会場挨拶もしてくれた。他の監督が「映画はフィクションだ」と言ったとき、わざわざマイクを要求して、「いいえ、現実に接近するものです」といった意味のコメントを付けたのが印象的だった。
06/03/21
 準々決勝、ついにセバーグが消えた。チブルダニゼはシロフの奥さんに負けた。一昨年は勝った相手なのだが。残るは許c華ひとり、それはもう私にとって、観戦する組み合わせが皆無のまま世界女子選手権が終わることを意味する。
 昨日のカスパロフのエッセイは連載である。当然なんだけど格が違う。きっと本になるはずだ。今回はスヘフェニンヘン定跡が本題で、特に白e5への対応について語っている。黒dxe5と指して痛い目を見た思い出、その反省にたってナイトを引く手を選ぶようになり、カルポフからドローを得られたこと、さらには、白e5のパワーを最初に見せつけたのはタリであること等々を、私も図を掲げた06/01/16のアダムズ対トパロフ戦にからめて話してくれている。今号はアダムズの原稿もあって、このトパロフ戦を語っているが、白e5を許したのが黒の敗因のようだ。
 昨年の本欄六月で紹介したホルモフが先月に亡くなっていた。80歳。夫人がチェス関係者に教えなかったので、今ごろ伝わったようだ。夫の不遇を見届けた女の意地を私は感じる。
06/03/20
 うれしいな、確率解析の原啓介先生もコステニクのブリッツに魅了されておられる。ブリッツといえば、こないだのレイキャビク大会の後にもあった。一昨年のカールセンは16人中の14位だった。でも、今年は優勝してくれたのだ。しかも、アナンドを2勝0敗で破って。ブリッツでアナンドが1敗したことさえ、私は記憶に無いのだが。
 NICの最新号でカスパロフがカールセンに触れている。先月の"若手祭り"にカールセンが出場しなかったのは、辞退したからだそうだ。ヴェイカンゼーの疲労を考えた良い選択である、とカスパロフは書いている。棋士として着実に成長しているようだ。
06/03/19 紹介棋譜参照
 Ma vie quotidienneというブログがあって、書き手の斎藤夏雄は一昨年の看寿賞作家であり、プロブレムとピアノも愛する代数幾何学の専門家だ。一昨日に言ったコステニクの映像の手さばきを、千手観音にたとえておられた。紹介棋譜にしときます。たいした手順ではないけど、投了の握手まで含めてたった59秒の出来事ですよ。それから、斎藤ブログの3月14日のお遊びには爆笑だった。こんなこと一連のペリーもの以来です。詰将棋の好きな方はぜひ。
 畏友からメールがあって、天野宗歩の墓に参ったとのこと。彼は、斎藤栄『棋聖忍者・天野宗歩』を読んでいるのだ。最初の一二巻を読んで、「考証部分にすごく気を遣っていて、リアリティも出てるし、宗歩が生きた時代が伝わってくる」とのこと。私は題名の印象で馬鹿にしていたが真面目な本らしい。
 羽生−谷川の名人挑戦者決定戦は大熱戦だったそうだ。谷川が勝った。看寿、宗歩、三吉、升田、羽生は永世名人になれなかった、なんてことにはならないと思うけど。なったらなったで凄いな。
06/03/18
 FIDE女子選手権、三回戦でコステニュクまで消えてしまった。私にはつらい展開だ。ベスト8に残ったお気に入りはチブルダニゼ、セバーグ、許c華。
 『Garry Kasparov on My Great Predecessors』の第五巻が届いた。コルチノイとカルポフを論じている。軽くめくると、コルチノイについて「チェス史において最高の解説者の一人だ」と述べた一節が目に付いた。同感である。私はコルチノイのチェスを好きなわけではないが、彼の二巻本の自戦記はカスパロフの評価に相応しいと思う。駒の位置取りや、おおまかな方針の説明が味わい深い。でも、よく売れるのはどうしても、「winning with 何とか」や「easy guide to 何とか」みたいな題名の本になる。
06/03/17
 本欄の紹介棋譜はしばしば再生不能だったようだ。My Chess Viewerをダウンロードし直したら、ようやく正常になった。原因も対処法もわからなかった私に作動状況を粘り強く報告してくださった読者Sさんに感謝申し上げます。
 ひまになると駅前の喫茶店で本を読む。自宅は散らかっていて落ち着けないのだ。最近は辞書とコルチノイの自伝『Chess Is My Life』を持ってゆく。英語の苦手な私はやっと50ページを解読したところだが、この苦行がもたらす喜びは大きい。いずれコツコツと紹介してゆきたい。
 まだ読みきれてもない本の話をしたのは、Chess Baseにコルチノイの記事が出たからである。彼の動画が紹介されていた。まあ、御覧あれ。しかし、ついでに見れたコステニクのブリッツ妙技の方が刺激的であった。私は『神学大全』で神と天使が直観を有することを学んだが、これにチェス棋士も加えるべきだろう。

戎棋夷説