紹介棋譜 別ウィンドウにて。
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Biel はCarlsenが優勝。Ivanchukの好調が続く。

07/08/21
 マインツの早指しはやはりアナンドが勝った。アロニアンと六戦してして2勝0敗4分だったことを記しておく。来月のメキシコには早指しタイブレークがあるのだ。
 ロンドンではスタントン記念大会が開かれている。例年あまり気にしてこなかったが、今年はアダムズが優勝したので記しておく。強い棋士なのに優勝は滅多に無い人なのである。他にファンヴェリーやソコロフが出場していた。
07/08/19
 関西ではまだ将棋が生きている。天王寺公園の周辺はホームレス風の人が集まる所だが、通り過ぎるとたいてい誰かが将棋を指していて、観戦者が取り囲んでいる。また、私は大泉緑地を散歩するのが好きだが、ここ最近の暑さの中でも、二十人くらいのお年寄りが卓を並べて将棋を指しているのに出会った。矢倉あり、初手5八飛戦法ありである。ほか、通天閣あたりの話は05/02/07にも書いたとうりだ。ただ、子供が居ない。
 それでもこんなことがあった。和歌山の小学校に仕事があった時のことである。廊下におじいさんがぺたんと座り込み、男の子が鈴なりに群がっている。円陣を組んでるみたいだが、みんな黙って固まってるところが違う。なに?と思って後ろから覗くと、中心には安物の盤と駒があった。
 「将棋ですね」と校長先生に言ってみた。すると、「校務員が教えたところ、みんな夢中になってしまいまして、もう私らなんかが相手ではかないません」。廊下で遊んではいけません、なんて言わなかった。
07/08/18
 New In Chess本年5号の話をしておこう。クラムニクがドルトムントのゲルファンド戦をたっぷり自解している。07/07/04の話題にしたやつだ。07/04/21で紹介した2号の解説にも圧倒されたが、今回のは難しすぎて圧倒された。カスパロフのように大量の変化手順で威圧するのではない。クラムニクの形勢判断がちんぷんかんで怖くなるのである。それでも、僅差を維持し続けて勝ちきる底知れぬ精神力の持ち主であることはわかった。野球で言うスミイチどころか、バスケを2対0で勝つほどの難しさではないか。私の手製データベースで調べたら、今世紀のクラムニク対ゲルファンドは9勝0敗10分だった。
 マインツ祭が始まっている。対戦システムが変わったが、今年もChess 960はアロニアンの優勝だった。
07/08/17
 大事なことを忘れていた。オイラーといえばナイトツアーじゃないか。Ma vie quotidienneでも紹介されている。ちなみに来月の明日がオイラーの命日であるが、奇しくも同じチェスを趣味とする日本の数学者の誕生日でさえある。こういうのを何と言うんだっけ、永劫回帰?ちょっと違うな。
 今年も夏にナカムラが来日してくれ、ジャパンリーグで全勝優勝したそうだ。なお渡辺暁も参加したと聞いた。日本の大会は久しぶりである。こういうのを何と言うんだっけ、昔の名前で出ています?ちょっと違うな。
07/08/16
 宝飾のジェムケリーが新ブランド「クゥルトゥーラ」のイメージキャラクターに西山茉希を選んでCMを作った。畏友から、「知り合いからチェスを使っているCMを教わりました」というメールがあって知った。知り合いというのはたぶん女性だろう。「買ってくれ」という意味だったらどうすんだ。例によって局面を再現すると、黒白ふたりの西山が対局してる盤上は左図のごとし。最終手は白Qc4である。
 検索名人Kさんがまた教えてくださった。オイラーがゴールドバッハに宛てた書簡で、フィリドールが話題になってるとのこと。オイラーはフィリドールの本を持っていた。Kさんの訳をお借りすると、「彼の一番の強さは、ディフェンスそしてクイーンに変えるためのポーンの巧みな動きにあり、適切な準備の後で、意図を実現するために駒を次々と取り除き、そして、ゲームに勝つ」(1751年7月3日)。
 わかっとるやんけ、と思った。
07/08/15
 Morozevichが本を書いたら買おう、とずっと思っていたがなかなか出ない。今年ようやく現れたのはマイナーな定跡書、"The Chigorin Defence"だった。クィーンズギャンビットに対する2...Nc6を再評価しようというのだ。なんとも彼らしい。彼は15年も昔にこれを検討した結果、世間の評判に反して、黒が悪くならないという感触を得た。そして、その研究成果をカルポフやアナンド、クラムニクなどに試してゆく。本書でモロゼビッチは、開祖チゴリンのシュタイニッツ戦やピルスベリー戦のほか、自身の実戦譜をたくさん盛り込んでこの定跡を解説している。
 私自身はコンピュータに2...Nc6を指されると機嫌が悪い。白良しと書いてある定跡書を丸暗記しても役に立たないからだ。だから、どっちかと言うと、チゴリン対策のつもりで読んだ。
07/08/13
 笑えるから泣けるからとは関係無く映画の好きな人はカサヴェテスを見て、画面に映画というものがむき出しになってるのを認めるだろう。4本見た中では『フェイシズ』が一番である。チェスの絵が出てきた。作品名はわからないが、アメリカだなあって感じが映画に相応しい。
 エリック・ロメールのDVDを月に一本づつ見て22本を終えた。チェス派の監督だけど、チェスの出る映画より、出ない映画の方が良くて残念だ。『恋の秋』を別格とすれば、『レネットとミラベル四つの冒険』が好きだ。スタッフと制作費が少なければ少ないほど活き活きしてくる軽い監督だ。
 スクリーンを三つ連結した大画面で知られるアベル・ガンスの『ナポレオン』にも対局場面があった。ナポレオンの次の一手はNd2である。その時の台詞が「君のクィーンを頂くよ」。これは「私が君の女性を奪い取る」という宣言でもある。同じ台詞がナボコフの『ロリータ』にもあった。
07/08/11
 気持ちを入れ替えるべく、今月の映画でも。こないだ亡くなったベルイマンの「魔笛」が私は好きだ。モーツァルトが好きなのか、映画が好きなのか区別はしてない。何度見ても涙のあふれる歌が二箇所あって、ひとつは「ぱっ。ぱっ、ぱ」だ。これは自分でも納得がいくが、もうひとつが「復讐の心は地獄のように燃え」なのである。あの「アカカアハハノハ」に随喜の涙を流す自分が情けない。どうも私は、ひとたび怒り狂うと全世界を見さかい無く焼き尽くすまで我を忘れるタイプの女性が好きらしいのだ。
 この「魔笛」をケネス・ブラナーも撮ってくれた。さっそく映画館に行くと、客が多くて驚いた。お芝居としての素朴な味を大切にしたベルイマンに対して、ブラナーは「恋の骨折り損」で見せたような、場違いな設定をその場しのぎの映像の説得力でつないでゆく離れ業を再び試みている。英語の歌詞には面食らったが、例の二箇所はやっぱ泣いた。とにかく両手にコーラとポップコーンで大音響の「魔笛」を聴けて幸福だった。
07/08/10
 私の将棋は一日10分である。通勤電車の中で新聞観戦記の次譜第一手を予想するのだ。私は物心ついてからずっと読売新聞なので竜王戦を読む。いまは戸辺誠対伊奈祐介戦だが、これがあまりにひどいので文句を言いたい。今日まで私は「棋譜とその指し手には敬意を払うこと」をおきてとしてきたが、初めて破ろう。
 第5譜は▲4一馬までで終わった。なら当然次は△5四金だろう。これで先手は手が無い。そう、手が無い。「明日の新聞はどうなるの?」、それが不思議でならなかった。飛車を逃がしてもジリ貧だ。初段の私でさえ読まずにわかる。さあ第6譜だ。伊奈は△4六歩と指していた。素人かおまえは!観戦記によると、つぎ▲6三馬でもう局面はきわどい。
 ところが戸辺が負けるのだ。だいたい、1八歩を打つような奴なのだ。「長びくかもしれない」と思って打ったそうだ。むかむかする。他の手もあまり面白くない将棋で、これに△4六歩が重なって私も堪忍袋の緒が切れた。君たち考えてよ、こんなんで明日の新聞はどうなるの?
 畏友は日本経済新聞を読んでいる。良い記事をよく教えてくれる。先月はカスパロフのインタヴューがあった。短くよくまとまっている。強いて言えば、アゼルバイジャン生まれの彼がロシア政治に夢中になる理由も書いてほしかった。
07/08/09
 こないだナチスと囲碁の話をしたが、戦時体制というのは特殊な時代のようでいて、案外なことが現代に影響を与えている。たとえば学校給食奨励規程が出来たのは昭和15年だ。畏友が面白いことをいろいろ教えてくれた。子供の頃に安物のスタンプ駒で将棋を指していた人は多いと思うが、「あれは慰問品の駒がルーツのようです」。それから、戦中に持ち時間が減ったのは、灯火管制によって夜間の対局ができなくなったからで、「そして戦後も、そのまま短い持ち時間制が維持された」。木村義雄が昭和22年に塚田正夫に名人を取られた理由のひとつが、短い持ち時間に不慣れだったことは有名な話。
 ナチスがらみでもうひとつ。ヒトラーユーゲント(青年団)が昭和13年に来日して大歓迎を受けた。将棋大成会も、将棋セットとドイツ語の将棋入門書を作ってプレゼントしたそうだ。「これは当時の新聞記事でも実証できます」と畏友。
07/08/08 紹介棋譜1参照
 ビール会期中のChess Todayは、むしろモントリオールに注目していた。たしかにそっちの棋譜の方が派手だったのである。エピソードにも事欠かず、特にショートの不調ぶりは、私でも棋譜を並べて異様に思うほどだった。理由は歯痛とのこと。症状を甘く見て激痛に見舞われたらしい。
 優勝はイワンチュクだった。ここんとこ片っ端である。しかも5勝0敗4分で二位に1点差をつけた。「第二の青春」とさえ言う人まで現れた。年末のワールドカップまで続いてほしい。
 黒番で強襲を決めたミトン戦を紹介棋譜にしよう。図は21...Re6 22.a4 まで。22.a4はNb1からBa3という面白い手順を考えている。一方、21...Re6は強襲をすでにイメージしていたろう。それにはc6の白ルックが邪魔だ。イワンチュクは図で22...Nf6とし、Nd5からNe7で白ルックを追った。で、Bxh2+の強襲だ。さらにQh5+とRh6の集中で決めた。遊撃隊長ナイトは最終的にはh1地点まで遠征する活躍だった。
07/08/07
 私はとても人当たりが良い人間であるが、よく知る人ほど私のことを「頑固だ」と言う。母が言うに、私の子供の頃の口癖は「自分でやる!」だったそうだ。それを聞いた嫁は、心当たりをいくつも披露し合って同意していた。
 カールセンの優勝インタヴューがあった。第7Rの"天才の証"について、「あれ自体は悪い考えじゃないよ、後の手がむちゃくちゃ悪かったんだ」と言い張っている。彼はチェス教室での英才教育を受けていない。それがハンデにならないか、という質問も一蹴した。「チェス教室なんかに居たら、勉強したくないことまで教わんないと駄目でしょ。僕にはチェスってさ、自分で決めてやるもんなんだ。必要なことは自分で感じる、それがとても良いことなんだ。僕はたくさんのことを自分で学んできた。誰も僕に強制したことなんて無い」。わかる、わかるよマグ。
07/08/06 紹介棋譜2参照
 ビール最終日の優勝争いを語ろう。オニシュクは経験済みのマーシャルで難なくドローを得た。ポルガー対ペルティエはR対BPの駒割になって、ポルガーが勝ち筋を模索したがドローに終わった。
 問題はカールセン対ラジャボフである。今までのラジャボフなら、首位がほぼ確定してれば安全策を採るのに、この日は初手e4にd6と応え、フィリドールに誘導する風変わりで始めた。カールセンはそれに乗らず、黒がフィアンケットしない型のピルツになったが、先に仕掛けたのもラジャボフで、彼の方が意欲的だった。しかし、読み負けていたのである。図は21.dxe5まで。以下、21...fxg5, 22.e6. Kxh6, 23.e7と進んだが、ここでラジャボフは、23...Bxe7とも23...Nxe7とも取れないことに気付いて愕然としたのではないだろうか。もう取り返しがつかない。すぐ投了に追い込まれた。そのあたりの変化が面白いので紹介棋譜に。
 かくて、4勝2敗3分のカールセンと3勝1敗5分のオニシュクが同点で並び、すぐに延長タイブレークが始まった。早指しは2ドロー、ブリッツも2ドローで、アルマゲドンまでもつれ、黒番のカールセンが勝って優勝を決めた。
07/08/04 紹介棋譜3・4参照
 まだお伝えすべき第8Rは、まづファンヴェリー対カールセンである。白の強攻策は、前ラウンドでカールセンがやろうとしたことといくらか似ていた。ピースを捨てて得た複数のポーンでの密集突撃である。相違点は今回は大成功だったことだ。図を見よ、e筋からh筋まで四個の白ポーンすべてがパスポーンになってしまったではないか。それが手をつないでインド独立運動のような大行進を始めたのである。たまらずカールセンは圧死した。首位転落である。
 次はオニシュクだ。今年はグリュエンフェルドに対してスミスロフ定跡を採用している。強豪同士の対戦では彼だけだ。黒の変化が多いので楽ではない定跡だから、何が気に入ったのかもわかりにくい。今回は、ポーンをエサにして相手のクィーンとルックを自陣に深々と引き入れる、という豪胆な作戦を採った。敵兵が存分にのさばったところは、しかし逆に言えば、敵陣は空っぽなのである。その急所を突いた一手でオニシュクは勝勢を得た。ラジャボフと並んで首位である。
 以上二局を紹介棋譜に。ほか、ペルティエがト祥志を破ってカールセン、ポルガーと共に首位と半点差に上がった。
07/08/03 紹介棋譜5参照
 ラス前の第8Rはラジャボフが短手数のドローで首位を確保した。それ以外はどれも興味深かった。
 まづはグリシュク対ポルガーである。図は24手までの図で、黒ポーンがバラバラだ。無残な敗勢である。ここからを紹介棋譜に。ポルガーは丁寧に駒を摘み取りながら指したが、結果はNPP対Nという絶望的な状況になった。しかし、奇跡が起こったのである。彼女の構想はわからない。けれど、61...Ng4がステールメイト含みの絶妙手になった。以下、ポーンを一個減らした段階でドロー確定である。
 ポルガーについては凶暴なアマゾネスぶりしか期待してこなかった。けど、不利な態勢を耐えて半点を勝ち取る姿を05/05/15と05/05/23で書いたことがある。相手のミスを呼び込む撹乱の粘りというよりは、終盤理論と駒配置の深い理解に基づく冷静さが印象的だった。今回もきっとそうだろう。
 最終日にすごいことが起こったが、もう少し第8Rを見ておきたい。
07/08/01 紹介棋譜6参照
 ビショップで端ポーンを取ったらフタをされて生還不能になってしまった、というのは私でさえ回避できるミスだが、フィッシャーはレイキャビク第1戦でやって負けた。これを第7Rのカールセンもやった。天才の証としておこう。もちろん負けた。
 二年前のワールドカップでラジャボフがファンヴェリーに負けたことが、今年のメキシコにラジャを行けなくさせている。あの名局は05/12/05でご紹介した。同じ局面が今年のヴェイカンゼーで二度も出現し、ラジャがファンヴェリーに一矢を報い、さらにシロフまで破って成長を見せ付けたことも、すでにお伝えした。実は、その後のモナコの目隠し戦でもファンヴェリー対ラジャボフは同じ局面を繰り返し、再びラジャが勝っている。で、ビールだが、また同じ局面になった。紹介棋譜に。
 モナコでは図で18.Bxf4だった。変化手順に記しておく。今回は18.g3. Nh3+, 19.Kg2. Ng5, 20.Rg4 でナイトを追い詰めた。黒は窮鼠ならぬ窮馬だが、しかし20.Nxf3から駒得にできる。激しい応酬になったものの、ファンヴェリーの研究のどこかに穴があったのだろう、ほどなく黒の勝勢がはっきりした。かくて、首位はラジャボフとカールセンの二人になった。
07/07/31 紹介棋譜7参照
 第5と6Rは、カールセンに逆転負けを食らったショックだろう、モティレフはト祥志とポルガーにも負け三連敗した。ノッてきたカールセンは白番で、オニシュクと首位決戦である。彼がBxf6型のQギャンビットを指すのを初めて見たが、うまいものだ。で、苦しくなる前にオニシュクはさっさとポーンを見限った。これが最善の抵抗策だったようで黒は崩れない。
 そこでカールセンに不思議な手が出た。図で29.b4である。Bに取らせて30.a4でRを退かす。わからない。さらに31.Rc1でNも退かしてから、32.Rb1に寄る。まだわからない。次の33.a5でカールセンの構想が仕上がったが、私はまだわからなかった。紹介棋譜にしたので御覧あれ、カールセンはずっと白Nc6を考えていたのだ。これをオニシュクは防ぎようが無く投了、カールセンが単独トップに立った。
 続く第6Rは黒番でグリシュクを迎えた。カールセンは黒として相応しい慎みをもって振る舞い、P損ながら安全な終盤に入って引き分けた。なお、ラジャボフがやっと1勝を挙げて、ポルガー、オニシュクと共に1点差の二位に着けている。
07/07/30 紹介棋譜8参照
 参議院選挙に行った。あの時の御恩は一生忘れません。「榛葉賀津也」と書こうか。でも、私の無意味な応援が無くても、静岡県民に彼はたっぷり支持されていた。意味不明の方は05/03/16を。ちなみに畏友は投票に行ったことが無いそうだ。
 ビール第3Rでト祥志がポルガーに勝った。それも完勝なので驚いた。ところが第4Rでは、聞いたことの無いイスラエルの29歳Avrukhに惨敗である。変な奴だ。同様、モティレフも第3Rで勝ったが、第4Rで大ポカを演じカールセンに負けた。
 第4Rは四局も勝負が着いており、グリシュクとオニシュクが綺麗に勝った。前者を紹介棋譜に。次第に相手を手詰まりにしてゆく終盤が見事である。彼は攻めばかりではない。ここまで2勝0敗2分でカールセンとオニシュクが首位だ。
07/07/29 紹介棋譜9参照
 オタワ大会のト祥志の棋譜を並べた時、スラヴ定跡のよく知られた局面が気になった。図で私がよく覚えた普通の定跡は、白が6.e3からc4ポーンを取ってキャスリングである。でも、白はスラヴ特有のf5ビショップをいぢめることもできる。まづ、6.Ne5と飛ぶ。そして、7.f3から8.e4を狙うのだ。1925年にニムゾビッチが指した手だ。ト祥志はこれが好きらしい。白黒問わずに指している。ビールではどうかな、と思っていたところ、第2Rのオニシュク対グリシュクで先に現れた。調べると、オニは白が専門、グリは白黒両刀で得意にしている。
 黒の対策は、穏やかなら6...Nbd7だ。アリョーヒン・ファンは知ってるだろう。でも、グリシュクは白の狙いに真っ向勝負する変化を選んだ。6...e6から7...Bb4である。そして、8.e4に対して強く8...Bxe4と切ってしまうのだ。オランダのお医者さんKrauseが1926年頃に考えた手らしい。この人は序盤の優れた開発者で、カロカンのパーノフ・ボトビニク攻撃も最初に研究したんだそうな。6...e6から7...Bb4を最初に実戦で試したのは、終盤の研究で知られるCheronだった。1928年のことである。この手の発想がよくわかるので紹介棋譜にした。
 ほかいろいろ、6.Ne5からの定跡史を調べてると面白く、かんじんのオニ対グリがどうでもよくなってしまった。とにかく、黒はビショップを捨ててポーン3個を得、20手になってもまだ前例があるという研究合戦である。ただ、この駒割になってしまうと、2000年以降は実戦的には黒の勝率が芳しくない。本譜もグリシュクが次第に押されて負けてしまった。
 ちなみに、穏やかな6...Nbd7は実戦的だが、古来、理論的に人気が無い。ここまで調べて、さすがに私も気が付いた。6.Ne5は優秀だ。今は6.e3よりも多いのである。黒は大変なことになったなあと思うが、それで4...a6が盛んになってるのだ、と考えれば辻褄が合う。本当にそうかはわからないが、長らくこの程度のことも考えずにいたのは迂闊であった。
07/07/28
 棋譜調べの気分になれない。「ある日、ダウニング街で」でも語ろう。監督は今度のハリー・ポッターを任されたデヴィッド・イェーツであるが、それはいい。「ゴスフォードパーク」が好きな人はケリー・マクドナルドで好きなのだ。相手を突き刺す視線が気高い。この20代後半の彼女が60歳手前の財務官僚と知り合う。無理な恋愛と思うなかれ。官僚役のビル・ナイが演じる英国紳士はカッコいいぞ。彼が「パイレーツオブカリビアン」のタコ男だと知った時はぶっとんだ。彼の前で彼女がすぽーんと脱いだ場面はもっと驚いたが。「貧困を無くしたい」、そう思い込むとその一方向にしか動けない女性心理がよく描けている。
 二人がアイスランドについて語る場面があった。「あそこはビョークの出身地ね」「ああ、、、は?」「地球で一番クールな女性よ」「おうおう。チェスの世界選手権でフィッシャーが勝利した地だ」。ここでケリーの表情が変わる。頑張れビル。
07/07/27
 三島由紀夫『サド侯爵夫人』の放送があった。二年前の映像である。人の道に外れた行為を繰り返して牢に入れられたサドをひたすら案じ続ける夫人に、母親が言う、「おまえが"貞淑"と言うと妙にみだらに聞える」。ちょっと興奮した。とにかく台詞がギラギラしていて役者の肉体を押さえ込んでいる。言葉の力技だ。舞台を駆け回る現代劇団よりも演劇的に思えるほどだった。
 一回だけ「将棋」が出てきた。「私は夫の脱獄のはかりごとを巡らしました。たった一人の思案。将棋の定跡を編み出すように頭の中に図面を描いて、その象牙の駒をあれこれかち合わせ、やがて白い象牙が思案の炎で瑪瑙(めのう)のようにほの紅く透けてくるまで考えあぐねていました時、私はこんなにも夫の近くに居ると感じたことはありませんでした」。当然ながら、この将棋は西洋将棋だろう。
07/07/25
 ビールの初日はカールセンがト祥志(Bu, Xiangzhi)に勝った。今月のトはオタワでショートやミロフが参加した大会で優勝しており、勢いがあるが、ビールの強豪にはまだ歯が立たないと思う。ほか、ポルガーもファンヴェリーを倒した。
 図はすでにカールセンが優勢だ。中盤で読み勝ち、RとBでf7ポーンに延々と圧力を掛け続けた会心のチェスである。さらにe4に居たキングをc4に運び、Kb5、Bc6からRxb6で決めようとしている。私はそれで良いと思うのだが、ICCのギャラリーは「Be6で行け!」とさっきからやかましい、「そしてg5でルックを取れる」。とうとう、ここにきてカールセンも長考を始めた。「よせよ、Kb5で勝てるよ」と私。皆さんならどっちです?
 やれやれ、カールセンは57.Be6を選んだ。その後どうすんの?と私は思って見ていたが、言わんこっちゃない、うまくいかない。結局悔い改めてKb5からBc6の形にし、69.Rxb6でやっと勝勢に入った。
 ドイツで囲碁が奨励された、というこないだの話に関して、畏友が橋本宇太郎『囲碁一期一会』の一節を教えてくれた。「(ドイツで囲碁が盛んであるのは)どうやらヒトラー総統が碁を奨励したからだそうです。日本とは仲良くしていかなければならないんだということで、青年たちに碁を奨励する布告まで出たようですね。ですから、当時のベルリンでは喫茶店なんかにはボール紙でつくった碁盤が備えてあって、やはり丸く切った白と黒のボール紙製の碁石がたくさん積まれていたんだそうです。そして、碁の手ほどきを書いた本も用意されておりまして、そういうところでみんなが碁を楽しんでいたということです。(略)ヒトラーが残してくれたのは、高速道路と碁だというようなことも言われておりました」。話として面白い。ラスカーの囲碁がナチの奨励と関係あるなら皮肉だが。
07/07/24
 畏友の検索によると、こないだ図にした森内の相手は、1990年の王座戦でカルポフのセコンドを務めたほどの人らしい。
 昨日の座談会について補足を。当時の国策に沿って、産業報国会の働きかけで棋道報国会が立ち上げられた。そこで囲碁将棋を国民にどうアピールし普及してゆくか、考える必要が生じての企画である。「まるで今の話のようで、構造は全く変わっていない」というのが畏友の読後感だった。
 モントリオールの大会にイワンチュクやカムスキーが出ている。そしてビールも始まった。今年はモロゼビッチが居ないけれど、ラジャボフ、グリシュク、カールセン、ポルガーなどが参加している。
07/07/23
 森内のパリ大会はチェスドクター氏のブログで知った。棋譜は大会公式ページから採った。この日のアクセスは多かったなあ。将棋棋士のチェスを書くといつもそうだ。チェスの普及は将棋と関連させるのが効果的だろう。日本チェス協会は愚かだ。私はもう会員ぢゃないからいいけど。
 波多野論文が凡庸に書かれているのは、昭和初期の学者のエクリチュールなのだ、と考えれば納得がいく。畏友によれば、菅谷北斗星の観戦記にも波多野論文は引用されていた。当時なら価値を読み取れる人が居たわけだ。それは何だろう。畏友は、「あの頃に"棋士は頭がいい"って見方はあったんでしょうか」。ああ、きっと波多野は「将棋は頭を使います」という画期的な主張をしたのだ。その新鮮さはもう現代人には追体験しづらいが。
 こんな例はどうだ。畏友にもらった資料で「将棋世界」1941年5月号「健全娯楽としての囲碁将棋を語る」という座談会だ。瀬越憲作がドイツ人に感心している。ドイツ人は囲碁を奨励する時に「碁は思索と、推理と、総合とを兼ねたる智的競技であつて、且つ静かに落着いて物を考へる力を養ふ」などと「ちやんと理由を立てゝをる」のだ。対して、日本の棋士は「さういうところを自分ども無意識でをつた」わけである。木村義雄や金子金五郎もこの座談会に出席しているのだが、瀬越発言を理解できた形跡が無い。二人にとって囲碁将棋は脳の鍛錬であるよりも心の楽しみであり味わいなのである。
07/07/21
 ノーベル文学賞にせよカンヌ映画祭にせよ、外国人というのは日本文化を見る目が無い。何度も彼らは価値の薄い日本人を選んで表彰してきた。それでもカンヌで初めて女性監督がグランプリを獲ったということで、「殯(もがり)の森」を観てきた。河瀬直美に関しては、話も文章も詰まらないという印象しかない私である。
 見終わって、やはり外国人に評価させたらダメだと思った。これが何でグランプリか。パルムドールこそ相応しいではないか。
07/07/20 紹介棋譜10・11参照
 森内俊之がパリでチェスを指した。65人の大会でレイティング31位の彼は3勝3敗3分で34位の結果だった。レイティング上位者との棋譜が二局伝わっているので、紹介棋譜に。うち一局は最後に優勢になった気もするが、森内は引き分けで満足という気分の指し方だった。
 図は敗局から。黒番で私ならどう指すか考えたが難しい。Fritzは「互角だよ」と言ってくれるが、黒Qxb2には白Bxd5がある。b2を取れぬようなら、黒がもう悪かろう。じゃあ、黒Ndb6でd5を守り、いづれ黒Rfe8からe筋を争うか。どうせ疑問手だろうが、e筋を急所と考えて抵抗するのは、チェス中級者として分相応の感覚に思えた。ちなみにFritzはすぐの26...Rfe8を推奨する。基本思想は同じだろう。
 森内が指したのは、じっと26...Kg7だった。白Bh6を防いだのである。特段の好手とは思わないが、悪くないし、私たちチェス組と比べていかにも受ける将棋指しというにおいがした。
07/07/19
 波多野論文の何が凡庸か言い当てるのは難しい。おそらく、「真の将棋論理」を持てば正着を獲得できる、という固定観念だろう。思うに、自分の思考が真の将棋論理に基づいているかどうかは、実際に一手指した後でないとわからないはずである。他者の思考と出会って初めて一手は正着と判断されうる。つまり、指す前に正着を認識できることを前提した波多野心理学の思考モデルは他者を欠いているのだ。実戦を避けて鑑賞だけの私や、定跡を丸暗記する皆さんも、すべて、指さずにあるいは指す前に正着を所有しようとする凡庸さを共有し、他者との遭遇を回避している。
 ACPの今年度のランキングはヤコベンコが一位だった。意外だが面白い結果だ。彼はメキシコでグリシュクのセコンドを務めるそうだ。なお二位はアナンド、三位はクラムニクだった。上位者は昨年同様、年初めの早指し大会に出られる。昨年度の不満については07/01/12で触れた。今度もそうなるのでは。
07/07/18
 まだ棋譜調べの気分になれない。畏友に教えてもらった波多野完治『創作心理学』の話でもしよう。1966年の本だが、その30年ほど前の論文も入っている。いま紹介したい「将棋の創作心理学」もその採録である。畏友によると、初出といくらか違うらしい。良く言えば穏健な記述で、手を読む棋士の思考心理や棋風を様々な観点から構成している。悪く言えば凡庸だ。
 材料としてレティやアリョーヒンの証言も使われており、海外のチェス研究が波多野を刺激したのではないか、と想像させる。また、金子金五郎の自戦記が多く引用されている。分析的に自分の思考を解説できる棋士の文章でないと心理学の資料として不適切で、この点、金子の書いたものが最も役に立つ、とのこと。確かにそうだろう。
 波多野の丁寧で多面的な論述を要約するのは失礼だが、彼の結論は、「因果論理と目的論理との統一が真の将棋論理である」。因果論理とは現代的に言えば全幅探索するコンピューターの思考、目的論理とは、直観的に理想形を想定し、それを実現する手順を探る思考である。棋士の基本思考は後者だが、それを前者によってチェックする必要があるわけだ。
 羽生が機械と人間の思考の違いを述べた対談を07/05/18で紹介したが、あれと矛盾せず補足しあえる説明だと思う。
07/07/17
 連休中は棋譜を並べなかった。久しぶりに好きな短歌のムダ話でもしておこう。与謝野晶子で、「しら刃もてわれにせまりしけはしさの消えゆく人をあはれと思ふ」。この歌を見せると、人によって違う場面が浮かぶようだ。瞬時の出来事か、数十年の歳月を感じるか。仮に後者としても、老いた夫を眺めているのか、昔の恋人に再会したのか。また、「あはれ」は「情けない奴だ」の意か、「しみじみと良いなあ」か。それから、「しら刃」を男は、自身の喉に擬しているのか、女に向けているのか、いや、この刃は比喩として書かれたのかも。文学は言葉の広場である。万人から同じ答えが返るようでは、他者も自分もわからない。
07/07/14
 将棋とチェスの違いを言うなら、環境の違いを言うべきだと私は思っている。対談で羽生は、将棋の対局規定が整備されていない点を指摘した。「チェスは『タッチ・アンド・ムーブ』といって触った駒は必ず動かさないといけないのに、将棋では『待った』かどうかの判断はとても曖昧です。だいたい日常の対局には審判がいないんですから」。これを羽生は「将棋が国際化するために」必要なこととして挙げているのであって、どちらが優秀かを述べようとしてるのでないことは強調しておく。
 フィッシャー論や対局心理など、羽生はいろいろ語ってくれている。ひとつだけ選ぶ。昔からのファンとして心に残る発言だった。「これからは不安に耐え抜く力や怖さに打ち克つ精神力を、盤上で表現したいと思っています」。
07/07/13
 畏友が「文藝春秋」の対談を送ってくれた。羽生善治と小川洋子が話してる。前から畏友に聞いていたが、小川はチェスを題材にした小説を書こうとしてる。その話題もあった。私は彼女を何冊か知ってる。どこか欠落した文体が嫌いじゃない。『密やかな結晶』などその感を強くさせる。私も将棋やチェスを扱った小説の案をいくつか持っていて、そのひとつは「トルコ人」にヒントを得たものだ。なんと、上記の対談を読むと小川の小説も「トルコ人」が重要な素材らしい。こりゃ急ごうかな。
 羽生は「トルコ人」について「初めて聞きました」なんて言ってる。私はこれまでずいぶん書いてきたのに。もー、読んでよ。まづ、03/08/27からしばらく。棋譜は04/02/18で紹介した。また、05/09/09でも述べたが、小川は増川宏一の本を読んで勘違いしないことを願う。「Game Over」に関連しても書いたし、ああそれから、04/04/01にもちょっと。

戎棋夷説