紹介棋譜 別ウィンドウにて。
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モレリア/リナレスはアナンドの二年連続優勝。万延元年のチェスゲーム。

08/03/23
 検索達人Kさんが、こないだの畏友の記事を読んでくれた。重要な資料が他にもあって読めることを教えてくださり、調査はさらに進みそうである。仲介に立てて私は光栄だ。前にも書いたが、コンピューターの無い時代には考えられない交流だ。
 「ルセッティア」の最低限の課題を仕上げた嫁はさらなる高みを目指して、このゲームの未踏の部分に挑んでいる。これほどファンを熱中させてる割に、コンピュータゲームってプロ競技としての発展が進んでいない。二十年ほど前の名人高橋利幸以来、社会全体に認知されるプレーヤーが現れない。「ドラゴンクエスト」が話題になった頃は、映画や文学を超える可能性を持つ新分野が生まれたような気がしたものだ。けれどそれ以後、やはり二十年ほども延々と、勇者がアイテムを獲得しながら敵を倒しつつ戦闘能力を上げてゆくというスタイルは、飽きること無く繰り返されており、世界観の革新は望めそうにない。長らくの謎なのだが、たぶん、不思議がってる私の感覚がずれてるのだろう。
 コンピューターのおかげで終わりかけてる囲碁チェス将棋の方が、さらに発展しそうな雰囲気さえ時おり漂わせるのも理解に苦しむ。話は変るようだが、明治時代には俳句や短歌の滅亡が論じられた。たった十七文字や三十一文字の形式である以上、有意味な語配列は遠からず表現しつくされてしまうはずだ、という議論である。「遠からず」も含めて、反論しにくい意見だと私は思うが、平成の現在、マンネリ化して終りを迎えつつあるのは、どちらかといえば小説のほうではないか。チェスと俳句の何を私が類比させているのか、説明する必要は無かろう。やはり、勝手に理解に苦しんでる私の感覚がずれてるのだろう。
08/03/21
 もう一冊はBareev とLevitov の"From London to Elista" だ。ぶ厚くて英語がたくさんで困るのだけど、なんとか読む時間を作りたい。バレーエフが偉大な棋士で、しかも長くクラムニクのセコンドを務めていたことは言うまでもない。深刻ぶらぬ話のできる人だ。本書では充実した棋譜解説をたっぷり読めそう。レヴィトフはバレーエフともクラムニクとも親しいチェスファンだ。本書のたくさんの英語部分は、彼が引き出すバレーエフのインタヴューから成っている。
 題名からわかるとおり、語られるのは2000年のカスパロフ対クラムニク、2004年のクラムニク対レコ、そして2006年のクラムニク対トパロフのマッチである。読んでないので書評はできない。2004年最終戦の最中の写真があった。対局者ではなく、妻と未来の妻の姿だ。二人とも対局会場の片隅に座っており、一人は何も無いテーブルを無表情に見つめ続け、一人は両手で目をふさぎ、うづくまっている。誰もかけてあげる言葉が無い。
08/03/20
 なかなか本の話をできてなかったので三冊を簡単に。世界王座戦を扱った本をいろいろ買っているのである。
 二年前のエリスタのマッチを解説したのが"Topalov- Kramnik" である。書いたのはTopalov とGinchev で、負けた側が書いたというのが珍しい。言っておきたいことが彼らにはある、ということだろう。Ginchev はマッチで報道関係を担当していた。本書のメッセージについて解説する必要は無かろう。読む気もしない馬鹿話とはいえ、歴史資料として所有しておきたい、と思って金を払った。ただ、棋譜解説はトパロフが真面目に書いている。クラムニクの証言も収録されている。だから、必要な部分だけで考えれば、立派な本であることは強調しておきたい。
 昨年のメキシコシティ大会を扱った"Vishy's Victory" も出ている。これについて言うのは、所詮、Keen の本だということだけでよかろう。サンルイ大会のような素晴らしい本を期待する人には薦めない。私だって期待して買ったわけではない。世界王座戦の本はなるべく持っておきたいではないか。おかげで、書棚にあるのは、1978年、1981年、1987年、1990年、1993年、1995年、2004年、2007年がキーンである。三十年にわたる悪夢だ。それに免じて読者よ、わが罵言を許したまえ。
08/03/19
 まだ棋譜を読む気がしないので、今月の無駄話でも。この一年でたくさん飲んだワインはシャトー・シランだった。嫁の愛読する石川雅之『もやしもん』の最新第六巻がブルゴーニュを舞台にしてワインを取り上げていた。「人間はどうすればいいワインに会えるんだろうか」という無邪気な問いに、ヒオチ菌が答えて言うには「ワインの専門店でお店の人に聞きゃあいいんだよ」。まったくだ。素人にはチェスよりはるかに難しい。シランもそうして知った。
 私を見つけると店主がすすっと出てくる。「いらっしゃい。いいのが入ってますよ」が挨拶だ。嫁を喜ばすには『もやしもん』の今だ、と思って「今日はブルゴーニュを」と頼む。「じゃあこれなんかどうです」と出てきたのはドメーヌ・オーディフレッドだった。店主は講釈が長い。私に親切なのは、そこそこ話を理解できて、最後まで聞いてくれる、得がたい存在だからだろう。
 いわく、ロマネ・コンティを仕立ててきたオーディフレッド氏が、自分の好きなようにワインを造りたくなって独立したんだそうだ。新興のドメーヌとのこと。6千円もするので覚悟が要ったが、すさまじくうまかった。嫁の愛情値が高まって作戦は成功である。
08/03/18
 咸臨丸やポーハタン号の日本人たちがアメリカで歓迎されたとは聞いたことがある。けれど、宇宙人を見物するような好奇の視線にさらされた程度かな、と思っていた。ところが、畏友の話を聞くと、そうでもない。彼は将棋を例に挙げ、日本文化が敬意をもって紹介されたことを教えてくれた。公の場において将棋が欧米で指された最初の例でもなかろうか。日本人たちがチェスの本を、、、いやいや、あんまり私が話してもいけない。畏友が読み物としてまとめてくれた。ぜひ御覧ください
08/03/17
 昨日のゲーム名は副題で、本題は『Recettear (ルセッティア)』とのこと。売れてるようだ。例によって嫁に引きずられながら秋葉原を歩いて思った。「スタジャンにチェック柄のシャツとジーンズのメガネ男がリュックを背負っている」という古典的なオタク姿を見かけなかったのだ。スーツ姿も多くて、普通の街だった。畏友に伝えたら、「誰もがオタクの時代かも」。なるほど。反面、チェスやアニメに詳しいだけで、その人をオタクと呼ぶのも安易だろう。この兼ね合いが私はよくわからない。価値観の何かが倒錯したのがオタクだと思うのだが。
 神田の古本屋街もまわった。ネットで古書を買う時代だから、ここも遠からず変るだろうな。古い「NHK将棋講座」を探したが無かった。前にも書いたとおり、国会図書館やNHKにさえ無い。もっと大切にされるべき雑誌なのに。それでも、谷川俊太郎『定義』とフリードマン『選択の自由』を買えて満足である。後者が出たのは二十年も前だ。フリードマンの主張に従って、規制緩和や小さい政府、グローバル経済や自由貿易といった理念が実現されてきたことがわかる。悪くはないことだ。でも、フリードマンの論理は偽善だと思った。貧富の格差に目をつぶれ、と言ってるに等しい。
 どうでもいいことを書いてしまった。明日は面白い話を紹介したい。畏友が書いてくれた。日米和親条約が結ばれた頃のアメリカ人が、いや、アメリカが、将棋に関心を寄せたという話である。
08/03/16 紹介棋譜1・2参照
 「なあなあ」と嫁が更新の邪魔をしに来なくなった。こないだ秋葉原で買ってあげた『アイテム屋さんのはじめ方』という自主制作ゲームにハマっているのだ。2100円である。あいも変らずアイテムを嗅ぎまわるマンネリ剣士でなく、売る側を主人公にしたのが新鮮だ。RPGに興味の無い私が、朝の四時まで嫁の肩越しに見入ってしまった。いやはや、更新せにゃ。
 優勝者の勝局をひとつは紹介棋譜にしておきたい。候補は最初の3勝だ。その中でも派手なシロフ戦を。図は11.Rhe1 まで。最近のシロフはナイドルフ防御に対して6.Bg5から7.f4に組むようになった。フィッシャー時代の流行型で、80年代の初心者にとっても必修だった懐かしい戦法である。ただし、図の黒の構えが重要になるのは90年代以降だろうか。名局率が高そうな駒組みである。
 アナンドは11...Qb6 で応じた。ナンの本によれば88年版でも96年版でも11...0-0-0がベストである。理由があって、本譜では12.Nd5 を食らう可能性があるからだ。初例となった1980年チブルダニゼの猛攻を紹介棋譜に加えておこう。「名局率が高そう」というのが実感できるのではないか。
 でもシロフは12.Nb3 だ。よくある12...b4 には13.Nb1 と引くつもりだったろう。昨年のハンティマンシスクでもカリャーキンに対し、白Qh3からの流れで優勢を得ている。
 ところが、研究済みだったに違いないアナンドは12...Rc8 だった。新手と言ってよい。シロフが13.Qh3 と指した時、その意味が明らかになった。13...Rxc3 が飛んできたのである。「シシリアンではよくあることさ」とは言え、この後は白もK翼で圧倒的な攻勢を取れたので、かなりこわい。
 攻めにも受けにも際どいアナンドらしい一局だった。シロフはh7地点を狙う22.Qh4+ を指せたなら、22...N7f6 を強要し、23.Rf2 で熱戦を長引かせたろう。本譜は22.Qg5+だったので22...Ke8 に逃がしてしまった。これも23.Bxg6+ が見えるので勇気ある逃げ方だ。逃げたアナンドを誉めておきたい。
08/03/15
 最終日は全局ドローだった。いちばん手数が長引いたのがカールセン対ラジャボフである。これがまたシュリーマン防御で、ちょっぴり有利な白が勝ちきれずに終わった。引き分けでラジャは満足なのか、それとも、黒で勝つ気でこの定跡を身につけたのか、まだ私にはわからない。
 かくてアナンドが4勝1敗9分で優勝した。最後を六連続ドローで締めた手堅さが印象に残った。NICの連載でカスパロフが、マッチの適性について、アナンドは不当に低く評価され、クラムニクは実力以上の評判を得ている、と書いている。たしかに今大会の手堅さはマッチでも役立ちそうだ。二位はカールセンで5勝3敗6分だった。気前良く負けて結果を残すスケールがでかい。
 なお、カスパロフの連載では、拘留された彼をカルポフが訪ねようとしてくれたことについても触れられていた。「FIDEもロシアチェス協会も、また、かつての仕事仲間たちも黙ったまんまだった」のにね、と書いている。07/12/24 の繰り返しになるが、やはり「戦い抜いた二人だけの世界」を思う。さっき、チェスドクター氏のブログを見たら、スパスキーがフィッシャーの墓参りをしていた。そして言ったらしい、「隣はあいてるのか」。
08/03/14
 ラス前の第13Rである。イワンチュク対アナンドとアロニアン対カールセンはドロー。どちらもちょっとしたあやがあったが書かずにおく。トパロフ対レコは、トパロフが勝ってアロニアンと並ぶ三位に上がり首位に1点差とした。最終日はアナンドとの直接対決だ。けどそれだけに引き分けだろうと思った。
 ラジャボフ対シロフに面白い場面があった。図は20...Bf6 -h4 まで。新手だが研究手ではなさそうだ。大悪手だったからである。ちょっと気がつきにくい絶妙手をラジャに指さされてしまった。21.b4 だ。白Bc4で黒ルークは助からない。21...Rc8 でそれを防いだが、22.a4 で万事休す。白Be4がある。29手で勝負が着いた。
 優勝はアナンドだ、とは思いながら、最終日にちょっと私は期待していた。カールセンが勝てばアナンドに追いつけるはずだからである。例年のリナレスルールが適応されるなら、勝ち数が多いほうが優勝だ。つまり、カールセンの優勝も無いでは無いわけでも無くは無い、なんて都合の良い計算をしている東洋人が一人は居た。
08/03/12 紹介棋譜3参照
 第11Rはもう一局面白いのがある。トパロフ対シロフがグリュエンフェルドの、14...Bxa1 でBとRを交換する有名な定跡になった。結果はトパロフが勝ち、カールセン、アロニアンと並んで二位に上がった。でも先に進もう。第12Rが素晴らしい。
 負けても負けても這い上がるカールセンの敢闘を私は過去何回もお伝えしてきた。前日に3敗目を喫した彼だが、トパロフを破ってまたまた半点差の単独二位に復活する。Chess Today 配布のデータでカールセンはトパロフに4勝1敗4分だ。カールセンの得意な、駒の飛び交う戦いをトパロフが避けないからだろう。本局もカールセンらしく華々しい。それでもドローになりそうだったが、最後にトパロフのポカが出て決まった。直前の一手にカールセンは30分も考えた、それが相手を惑わしたのだろう、と父カールセンは見ている。
 シロフ対アロニアンはマーシャル攻撃の王者とPd3型家元の面子をかけた熱戦になった。シロフのPd3型は昨年から四回目だ。一回目の手順を彼から変えることは無い。よほど研究に自信があるのだろう。今回も第10Rのレコ戦を27手までなぞったところで、アロニアンが手を変えた。ただ、本局は終盤がすごいのだ。紹介棋譜に。
 素人目にもわかるスリリングな一場面だけ図にしておこう。58.Ke8 まで。白が有利だ。黒は白f8=Qを防げそうにない。しかし、58...Bf3 を見て驚いた。白f8=Q 黒Bc6# で詰むではないか。もう白は勝てそうにない。私に浮かぶのは白Kd7 黒Bg4+ 白Ke8 の千日手ぐらいである。ところが、また驚いた。59.f8=N+ が指されたのである。これで白の有利が続いた。最後はシロフが誤って引き分けになったのが、可哀相である。
 アナンドはずっと堅実だ。レコ戦もそうだった。07/09/07で整理した反マーシャルの9...Re8型で、10.a3 を選んだ。この手は「当りが弱いので、黒にBc5からNd4の反撃の余裕を与えてしまう」、と私は書いた。そのとおりの展開になり引き分けている。
08/03/11 紹介棋譜4参照
 第10Rは全局ドロー。シロフ対レコがPd3型マーシャルだった。08/01/29のバクロー流を採らず大人しかった。
 カールセンは第10Rアナンド戦と第11Rレコ戦で黒番が続いた。どちらもスベシニコフで、紹介棋譜05/07/03の図になった。あの頃は12...Ne7を「定跡書では評価が悪い」と書いたけど、今では12...0-0と並ぶ主流である。確認すれば、第1Rと第8Rに現れた08/02/27の図は12...0-0だ。
 12...Ne7に関するレコ戦の工夫は上記の05/07/03を並べ直せばわかる。白はNb4型に組み、ルークを捨ててでも黒の明色ビショップを消す。そうすることで急所のd5地点にナイトを残そうとする。だから、カールセンは明色ビショップをルークよりもd5地点のナイトと交換する道を選んだ。昨年すでにティモフェーエフやヤコベンコが試みている。
 白も黒も作戦がプロっぽいと思う。紹介棋譜に。欠点は、Q翼に出来る白のパスポーンのおかげで、引き分けるまで黒が苦労することだ。本局のカールセンは粘りそこなってしまう。52...Be3 が正着だったとのこと。これで一位と二位の差はまた1点に広がった。アナンドは最後の6ラウンドをすべて引き分けたが、この安定感で首位を守り続ける。
 定跡の話を続けよう。この型のわかりにくい点は、13.h4. Bh6 を入れることの善悪である。白は黒ビショップを不自由にするが、自陣K翼の形を崩してもいる。第10Rのアナンドは13.h4 を入れずに穏やかなドローで満足した。レコ戦は13.h4 の効果がはっきり現れたのが印象的だった。
 図で黒がPg6 を指させられている点がそうだ。ここで45.h5 が厳しかった。45...Rxf2+ で黒も大きな戦果を挙げるが、47.h6 でメイトを狙われ、以後の駒の動きが極端に制限されたのである。たとえば、51...Bxg5 と取れない。この動きづらさに業を煮やした52...Kg8 からの構想がカールセンの敗因になったというわけだ。
 これだけ素晴らしい棋譜を残したレコが2勝5敗7分で、シロフと相星の最下位に終わるとは。
08/03/10
 第9Rはアロニアン対アナンドでさっそくラジャの新手10.Qe4が使われた。アナンドの10...Bc6は穏やかな対応と言えよう。27手で引き分けた。トパロフ対対ラジャボフはまたシュリーマンである。マチェイヤやアナンドとは異なり、トパロフの対応は穏やかで、54手もかかったものの落ち着いた印象の引き分けだった。レコ対イワンチュクは黒が着実に有利を広げて勝った。攻撃的な棋士がベテランになってからカロカン防御で新境地を見せることがある。チュッキーも二年前から使う数が増えた。
 カールセン対シロフは死闘だった。定跡は六七年前にシロフが大流行させたアルハンゲリスクだ。07/11/18の紹介棋譜レコ対シロフをなぞる戦いになった。あれは新手15.f4からの中央制覇で白が圧倒した一局だった。本局も同じ流れで、19手目ではシロフが70分も長考するなど、しばらくは私の目にも白満足の棋勢だった。
 しかしシロフは丁寧に粘った。たとえば、図で41...f3+, 42.Nxf3 を入れてから42...Kg7 である。解説が見当たらないが、すぐ41...Kg7 ならたぶん42.c4 で、bcの連ポーンが強力になったのではないか。結果はしかし、七時間を戦い抜いた末、シロフにポカが出てしまう。80手でカールセンが勝った。首位に半点差の単独二位である。
08/03/09 紹介棋譜5参照
 素晴らしかった第8Rの話を一日で終えるわけにはいかない。
 ラジャボフ対レコは白がクィーンズインディアンの新手を見せた。わざわざ黒のB筋に入る10.Qe4とは面白い。その後もラジャボフは綱渡りのようなギリギリの攻めを見せてくれた。ところが、TWICの解説によると、まだ勝つ可能性がある局面で引き分けを提案し、終わってしまった。03/08/05でも触れた、ラジャボフのよくわからない一面である。拍子抜けの一局ではあるが、彼の個性が出てるとも言えるし、何より、終局までの激しい応酬があまりに魅力的なので、紹介棋譜に残しておく。
 アロニアン対トパロフはイギリス定跡の代表的な型になった。分類番号A29というやつである。これは最近のInformantで白の勝率がすごく悪くて、私は気にしている。本局はトパロフに私の目にも不可解な一手が出た。それからはアロニアンの駒が非常に効率よく働いて、白が勝ってくれた。
 これで2敗も3敗もしてないのはアナンド一人ということになった。アロニアンとカールセンが二位に上がったが差は1点ある。プレイの安定感からして、すでにアナンドの首位が脅かされることは想像しにくかった。
08/03/08 紹介棋譜6参照
 第8Rはさらにさらに面白い。前半のモレリアを終り、中四日を空けて舞台はリナレスに移った。となると、アナンド対シロフから始まるわけで、またアナンドが勝った。シロフは奮戦してくれたのだが。いや、もっと落ち着いた手なら負けないかもよ。
 序盤は08/02/27の図になり、16.b3 から16...Kh8, 17.Nce3. g6 だった。意味はもう解説済みだ。ただ、アナンドは「18.h4でPf5を許さない」のではなく、18.Qe2という、一手ゆるめてむしろ18...f5を誘う新手を見せた。意味は昨年末のハンティマンシスクで指されたカリャーキン対シロフと比べればわかる。私にしては珍しくその一戦を紹介棋譜にしなかったので、両戦の比較を書ききれないのが残念だ。結論だけ書くと、シロフは新手の狙いをうまく外したと思う。ただ、その後の時間切迫が敗因になった。
 時間切迫といえば、すでに予告済みのイワンチュク対カールセンが時間切れで終わった。イワンチュクは最後の10手ほどは一手一秒で指さねばならぬ状況だったという。そうなるだけのことはある大乱闘だった。これは紹介棋譜に。10手を済ませたあたりではイワンチュクが良かったらしい。
 図はその10.Qc2. Qd7 まで。この10...Qd7に、私が愛してやまないカールセンの真骨頂がある。本譜は当然11.dxe5. Bc5, 12.Rxe4 だ。そこで私のマグヌスは損失なんて取り戻さない。12...0-0-0 である。かくして全軍が中央で円陣を組み、g7のポーンにまで召集令状を発行し、お得意の、砲弾が尽きたら爪と歯でしがみつく日本陸軍のごとき絶望の前進が始まった。そして神風を呼ぶのだ。どこでどう逆転したのか私にはわからない。時間切れになった段階では大差で黒が有利であった。
 ところで、昨図のアロニアン戦について、Blackdog掲示板にGishiさんのカキコミがあり、「カスパ玉(19...Kh7)だったら返しを喰らわなかったのかな?」。たしかに、これなら22.Qxd4だ。チェックにならない。黒にはBxd4だけでなくQxh4やNh2+といった選択肢が生まれる。念のため20.Bxf7をFritzで調べたが、これはKh8でもKh7でも大差なさそうだ。
08/03/07 紹介棋譜7参照
 第7Rがさらに面白い。三局も勝負が着いた。2敗3敗は当たり前という狂乱の大会になってきた。
 まづ、レコ対トパロフは、レコがトパロフの得意技を受けて立った。私も何度かトパロフの勝局で紹介棋譜にした型であり、たとえば05/09/29では他ならぬレコが痛い目を見ている。その時も書いたように、レコの得意型でもある。今回は中盤までレコが悪くなかったが、そこから疑問手を連発して負けた。
 カールセン対アロニアンは後者が王頭から攻めた。図は、黒が王を隅に寄せてから20...Rg8+, 21.Kf1 としたところ。変な所から手を作ったなあと見ていると、次が21...Ng4だった。もし22.Bxd8 なら22...Nh2# ではないか。こんな狙いがよく思いつくなあ、しかし、カールセンの返し技が決まってしまう。22.Qxd4+だ。メイト包囲網を破り、先手も取った、しかも駒得まで狙える。なんとか奮戦してN対PPPの駒割にアロニアンは留めたが、形勢を大きく損ねて敗れた。これを紹介棋譜に。
 シロフ対ラジャボフは黒の駒組みに微妙な違和感があった。そこをシロフが突いてリードを広げ、勝っている。さすがカスパロフに可愛がられただけのことはあるキングスインディアンの料理ぶりであった。
 トパロフとシロフが首位アナンドを半点差で追う展開になった。しかし、二人が優勝争いができたのはここまでだった。特にシロフが崩れてしまう。なお、レコとアロニアンの敗戦について、前日の難戦の疲れを指摘する評があった。
08/03/06 紹介棋譜8参照
 第6Rでようやく面白くなった。勝負が着いたのはラジャボフ対カールセンである。ラジャボフの陣形感覚と終盤力が卓越していた。これを紹介棋譜に。駒得せずにむしろ手損になる10.Qe2、わざわざ王頭にダブルポーンを作る11.h3、ポーンを捨てる19.Rad1、この三手に特徴がある。たんに形を悪くして駒損したようにしか見えないのだが、Chess Base の解説によると、ピースの働きに大きな差があるらしい。30.b4 でやっと私も白の勝勢に納得できた。
 引き分け局でも面白い場面があった。図はアロニアン対レコの新手9.Qa4である。f2地点を捨てたのだ。これを見てレコは長考に沈んだ。84分も考えたという。実際、9...Qxf2+, 10.Kd2 でも白Ph3 やNc7+ がちらついているから、当然ながら黒の単純な駒得ではない。それだけにどうなるか実践してほしい。が、そこはそれレコのこと、9...g5, 10.Bxe5からの穏やかな手順が選ばれた。
08/03/05
 旅の宿は鳥羽の戸田屋だった。皇族から庶民まで泊まれる、いわばホテルの万葉集だ。著名人の色紙を一面に張り連ねた壁があったが、ほとんどが棋士の揮毫であり、タイトル戦でも多く使われてることがうかがえた。名人経験者のうち八人が揃っている。迷わず大山の色紙を嫁に撮ってもらった。昭和二十八年というと、大山が名人になった翌年だ。バカヤロウ解散の年であり、テレビ放送が始まった年でもある。しかし、三月というのが謎だ。対局とは関係無く遊びに来たということか。
 第5R、レコ対アナンドは、11.g4. 0-0 なら両者がキャスリングし合ったイギリス式攻撃の基本形になるところを、11.Nd5という非常に珍しい形になった。レコは研究していたんだろうが、結果はアナンドが勝って単独首位に立った。ほか、カールセンがトパロフにアリョーヒン防御で勝っている。昔のリナレスを知ってる者としては、異様にドローが少ない今年だが、棋譜がいまひとつ物足りない。
08/03/03
 会議でよく隣の席になる、でも部署の違う同僚が居て、こないだ話しかけられた。「うちの嫁とそちらの奥様で話がついて、両家の旅行が決まったんですが、ご存知でしたか」。知らんぞ。いつの間に仲良くしてるんだ。もっとも、どちらの夫も、似たような嫁だから、互いに事情を察し合った。「お忙しいところ、すいません」「いやこちらこそ」「日程は我々で相談して良いそうです」。というわけで、明日は更新を休むことになりました。
 とりあえず第4Rである。イワンチュク対アロニアンがまた08/02/29の図になった。ただし今度は9.Nxd4. exd4, 10.e5 だ。これは強豪同士の対戦でも見うけられ、たいていは引き分けになる。だがこの日は順調にイワンチュクがポーン得をふたつ重ねていった。そこでベテラン特有の悲劇が起こってしまう。残り時間が少なくなっていたチュッキーが、ポカでビショップを失うのだ。残り二十数手を指し続けたが負けた。第8Rにも時間切れで敗れる運命が彼を待っている。
 ラジャボフがアナンドにシュリーマン防御を使った。この定跡で彼がワールドカップを敗退した話は07/12/20に書いた。その時のマチェイヤの自戦記がNICにも載っていて、やはり彼はシュリーマン対策を準備していた。簡単に言えば4.d3である。アナンドもそれに倣った。今度は22手のドロー。ラジャがこの定跡を使い続けることは確実だろう。
 シロフ対トパロフは第1Rが影響を与えたようだ。08/02/27の図になる直前で黒が手を変えて、前例の少ない局面になっていった。結果は、シロフの方が終盤は上手いなあ、という流れになってトパロフが負けた。
 トパロフ、アロニアン、アナンドが2勝1敗1分で一位である。早くも全員が負けを経験しているという展開だ。
08/03/02
 シロフとカールセンはどうしてもアナンドに勝てないのか。第3Rでもカールセンは序盤が雑で負けた。おかげでアナンドは以後調子が整ってゆく。
 このラウンドはもう一局トパロフ対イワンチュクで勝負が着いた。イギリス式攻撃の、私がちょっと興味のある局面になった。白も黒も意地を張り、キャスリングせず、受けもせず、10.g5. b4 を突き合ったらどうなるの、という変化である。前例や定跡書を調べたが、たぶん、誰もよくわからずに指している。わりと基本的な形に見えるだけに、そんな感触を得たことが面白かったが、素人の悲しさ、これでは私も語りようが無い。結果はキャスリングせぬ欠陥が黒の方にきつく出て、イワンチュクが負けた。
08/02/29 紹介棋譜9・10参照
 第2Rに進もう。二局で勝負が着いた。どちらも紹介棋譜に。
 アナンド対アロニアンはマーシャルだった。白が主流定跡を外れることが最近は目立つ。この日も早めに12.Re1を引いた。12...Bd6に13.g3で黒Qh4を防ぐ手だ。07/09/20で触れたメキシコ大会でのマーシャル対策をアナンドはまた使ったわけである。アロニアンはその前例とはまったく異なる対応をした。彼には、「マーシャルを指すには、具体的な手順を知るよりは、局面を感じる方が良い」という名言があるそうな。とても面白いチェスになり、ポーンをふたつ捨てたアロニアンが勝った。
 イワンチュク対レコはアンチマーシャルだった。この白も主流定跡を外れた。図から8.d4. Nxd4 でe5ポーンを浮き駒にし、9.Bxf7+ に捨てる。9...Rxf7 以下、この駒損は取り返せる。昔からある手だが、超一流の棋士が使うのは初めてだろう。古い本だけどNunn "The Marshall Attack" (1989) の解説を少し変化手順に加えておく。なお、Lalic の同名の本(2003) では9.Bxf7+は「?!」の扱いだ。黒に強力な主導権を与えてしまうからである。
 本譜は19.Bf4などで黒の主導権をイワンチュクが少しづつ消していった、ということか。43手でイワンチュクが勝っている。
08/02/28
 ラジャボフの構想は彼の独創ではない。前例を昨譜の変化手順に加えた。まづ、2006年チェス五輪トリノ大会のベルグ対スパソフが当時の常識に沿って20...Nxf5を試している。ところが、黒はこれでは22.Qd5からa5ポーンを取られてしまう。ナイトはe7に残してQd5を防がねばならないわけだ。その改良形が20...Bxf5から21.Nxf5. Rxf5だ。昨年のカリャーキン対ハリフマンがこれであっさり引き分けになった。すると、レコの工夫がわかってくる。20...Bxf5の正しさを認めてa5を取るのは諦め、d6へ狙いを変えるのだ。20...Bxf5に21.Ra2と引き、22.Rd2と転戦する。これで黒の苦労する局面が続くことになった。
 ちなみに、16.Ra2なら20...Nxf5が可能である。2006年のカールセン対ファンヴェリーがそうだ。図だけ示すが、白はキャスリングできておらず不安だ。そこがレコと違う。22.0-0. Be4と進んで白Qd5は不可能になった。つまり、「当時の常識」をスパソフもカールセンも充分には理解していなかったわけだ。カールセンにはまだそんな面があると思う。
 実戦例への批評の深さがレコの勝因なのである。以下は蛇足を。TWICではCrowther 、Chess Base ではRogozenko がモレリアを解説してくれる。だが、二人とも頭を使わず機械的にChess Base で実戦例を検索しているだけだ。二人とも2000年の実戦例を参照して黒の25手目が本局の新手だと言うが、仮にそれが正しかったとしても、その指摘は本局の理解を何も助けない。何より、そこにいたる手順が違うではないか。Crowther は別の棋譜も参照してるが、やはり手順が違う。しかし本局はそこが大事なのだ。16手目において先にRa2と指すかb3と指すかが要点である。本欄の読者ならすでに理解しているはずだ。
 上記の二人に限らず、専門家がこの種の安易な分析を書くことはとても多い。そしてもちろん、この二人がいつも安易だというわけでもない。専門家というのは油断ならぬ人たちだ。
08/02/27 紹介棋譜11参照
 Chess Informant 全100巻の中で最も掲載された定跡がB33、つまりスベシニコフである。昨日の三局ではレコ対ラジャボフがこれだった。調べると二年前のモレリアでも同じ局面を二人は戦っており、レコが勝っていた。06/02/22の紹介棋譜である。その時はわからなかったが、後にNICでレコが書いた自戦記によれば、序盤に争点があった。
 図の局面で、b2を守るのに16.Ra2と16.b3があった頃の話である。両者の違いは説明せずにおこう。どちらの場合でも、黒はPf5を狙っているので、16...Kh8と指してあらかじめKを隅に隠しておく。2005年までスベシニコフをよく指していたレコは、2006年からナイドルフに転向した。おかげで、かねてから恐れていたスベシニコフ対策を、自分が白番で発表する機会を得たわけだ。それは16.b3だった。
 現在は16.b3が主流だが、それは上記の勝利のほか、紹介棋譜06/01/25のカリャーキン対トパロフで16.Ra2の白が負けたのが理由だろう。16.Ra2. Kh8 で17.0-0なら17...f5が好手だ。それを防ぐ17.Nce3が05/03/02の紹介棋譜ポノマリョフ対クラムニク以来の流行である。あくまでPf5に賭けている黒は17...g6と指すものだった。対して白は18.h4でPf5を許さない。しかし、実は黒はあっさり17...Bxe3と切ればPf5を実現できるのだ。それを証明したのがいま述べたトパロフだった。
 さて、ようやく今年のモレリアだ。二年前と同じ局面に誘った以上、ラジャボフがリベンジを狙っていたのは間違い無い。用意した構想を一言で言えば、トパロフ式の17...Bxe3を16.b3に対しても通用させる、ということだ。
08/02/26
 モレリアは初日から四局中三局で勝負が着いた。シロフ対アナンドは黒勝ち、トパロフ対アロニアンは白勝ち、レコ対ラジャボフは白勝ちである。ところが棋譜を並べていない。
 フリードマンの伝記『最強の経済学者』に読みふけってしまったのである。これによると高校生のフリードマンはチェスクラブに在籍していた。半分ほど読んで思ったのは、スティグラーはチェスを指せなかったんだろうな、ということだ。残念ながら成人後のフリードマンは彼を相手にポーカーやブリッジで時間をつぶすことになる。
 ケインズのこんな一節が引用されていた。第一次大戦の始まる1914年までは、「ベッドのなかで朝の紅茶をすすりながら、ロンドンにいながらにして、電話一本で世界中のさまざまなものを注文できる。(略)パスポートなど不要で、いろいろな国や地域に安く気軽に立ち寄り、異国の地を旅することができた」。今世紀のグローバリゼーションって何なんだろう、と思った。

戎棋夷説