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2012年、アナンドがゲルファンドに勝ってタイトル防衛。

13/06/03
 谷川浩司と私はほぼ同い年なので、彼の衰えはひとごとではない。竜王戦で二組から落ちた話は身につまされた。ところが三組の今年は昇級どころか優勝である。決勝戦を新聞の観戦記で読むと、勝ち方も素晴らしかった。先手番の角換り腰掛け銀だ。相手は広瀬章人で、この戦型を避けなかった。名高き谷川の十八番を受けてみたかった、とのこと。定跡どおりに組み合って、千日手模様になる、というよくある流れになった。先手はどう打開するか。谷川の手順に控室は驚いたという。そりゃそうだ。▲7九玉△1二香▲6八玉△1一玉で広瀬得意の穴熊を許し、そこで▲9七桂である。見たことの無い手順だが、これで先手がうまくやったらしい。もし△8二飛なら▲7四歩だ。広瀬は△6三角で7筋8筋を耐えたが、谷川は迷わず1筋を突き捨て、▲7六銀▲7七金と盛り上げ、▲6五銀左以下、中央を突破した。1筋の突き捨ては最後に詰みに働いた。9筋から後手は反撃したが、玉が6八まで避難していたので、王手ひとつ掛からなかった。計算し抜いた谷川らしい完勝譜を久しぶりに見た。
 私はというと、chess.com での一手三日のレイティングは二〇〇〇台に乗ったり落ちたりで、これが実力の限界かな、という棋譜も増えてきた。持時間十分戦はデンマーク景気が収束してからは一四〇〇台から抜け出ることができずにいる。ダニッシュ・ギャンビットは慣れるとかえってうまくいかないようだ。欠点に敏感になって踏み込みが弱くなるのかもしれない。なにより、レイティングの高い相手に通用しにくい。
 ほか、今年は持時間二分戦も始めた。一手ごとに一秒加算されるので、三〇手で終われば持時間二分半戦である。反射神経がすべてだから、五〇歳の私にはつらい。一月下旬に初期設定一二〇〇のレイティングから始めて、初日でいきなり八七四まで落ちた。二五〇戦ほどしてなんとか一一〇〇台後半まで戻したところである。持時間が短かすぎて思い入れが無く、負けてもあまり悔しくないのが気に入っている。自分の流れにハマればびっくりするくらいきれいに勝てるが、たいていは、たがいに凡ミス連発のドタバタ劇に終始する。そんなのを自戦記第二二局にした。
13/05/27
 アナンド対ゲルファンドの最終回としよう。所定の十二番が1勝1敗10分の同点で終り、早指しで決着をつけることになった。まづ持時間二五分(一手につき一〇秒追加)で四局指し、それでも同点なら、持時間五分(追加は三秒)で二局指し、それでも同点なら、、、と最大で一五局の延長戦を一日で指す。最後の一五局目は白有利の持時間設定にして、引き分けなら黒の勝ちとする。何が何でもケリをつけるのである。古来、相星で終わったタイトル戦は王座の防衛というしきたりであった。私はこれが好きだ。最近はそうもいかなくなっている。ちなみに、強引に一人の勝ち残りを選ぶ事態は三〇年前にも発生した。びっくりする方法が採用されている。03/09/20 に書いた。それに比べればマシなのは確かだ。
 さて、早指しの第二局である。これで勝負が着いたことは12/08/29 に書いた。第一〇局一二局と同様の、ゲルファンド新手に対して、アナンドがPb3 に構え、黒に奇怪なポーン型を強いる流れである。もちろん、2...Nc6 に3.Bb5 から4.Bxc6 と指したのも同じだ。たまたま『渡辺暁のチェス講義』を読み返していたら、この傾向に触れている箇所が目に入った。著者は、アナンドがしばしばビショップをナイトと交換し、ナイトを残していたことに注目していた、「もしかするとこのマッチは、ナイトとビショップの関係について再考を迫るきっかけとなるかもしれません」。New In Chess でも、本局の解説でニールセンが言っている、「序盤が済んだ段階で少なくとも九局(!)はゲルファンドが、ビショップ二つの優位を得ていた」。私はもともとナイトで勝つことが多いので気にしてなかった。ニールセンは言う、「現代チェスでは、ビショップ二つを保持することは駒得に等しいと、ほとんどの場合で考えられている」。しかし、本局でもアナンドはさっさとビショップを手放した、「ヴィシーは駒組の構造面で代償を得る」。これは私でもわかる。
13/05/19
 チェスコムではここんところ、早指しでも通信戦でも「亀」との手合いが多い。流行ってきたんだろうか。サーバーが不調になった時など、チェスコムはコンピュータとなら対戦できるようになっている。その棋風が「亀」なので、それが流行に影響しているなら腹立たしい。勝てる相手とは言っても、「亀」は楽な相手ではない。爽快感が無くしんどいのである。将棋でいうと、居飛車穴熊を苦にしない振飛車党でも、ずっと続けば疲れてしまい、心理面から負けが増えてくるのと同じである。なんとか勝ったのを自戦記第二一局にした。2000台上場の一局と同じ相手である。
 アナンド対ゲルファンドの第一二局は第十局同様のPb3 型ロッソリモになった。ただし、その時の新手5...e5 をアナンドは微妙な手順前後で避ける。さらに、ポーンの突き捨てにより、10.Nd2 まで図のような悪形をゲルファンドに強いた。黒は駒得とはいえ、これではビショップを働かすことができない。どうやって自陣をほぐしていくか。ゲルファンドの解答は、c5 もe5 も捨ててしまうさばきだった。まづ10...c4、そして、11.Nxc4, Ba6, 12.Qf3. Qd5 である。以下、13.Qxd5. cxd5, 14.Nxe5 で、またたく間に黒は駒損に転落したが、ビショップの見晴らしが格段に良くなった。
 駒得をどう活かすか、今度はアナンドが解答する番だ。彼が選んだのは、冷静になること、そして二二手の引き分けで終えることだった。観戦者たちが非難したのは言うまでも無い。しかし、無理に攻め込んで負ければもっと非難されることを彼は知っていた。「いつも辛抱強く、いつでもガッチリ構えてくる相手に対して、カミカゼみたいな真似はできません」。実際、引き分けの形勢だった。
 かくて、早指しの延長戦にもつれこんだ。早指しなら対戦成績はアナンドが凌駕している。それを見込んで早めに引き分けたのだろう、と見る向きもあった。これについてアナンドは強く否定している。自分がいかに早指しの達人として知られていようと、大舞台での緊張感を背負えば話は別なのだ。そうした勝負にアナンドは向いてない、という説がある。「同感です」と彼は素直に認めた。
13/05/13
 一月に「亀」について書いた。最近の私は早指しの成績が下がっており、ますます亀と対戦する機会が増えた気がする。chess.com のレイティング1400 近辺が亀の豊富な地帯なのかもしれない。ようやく御覧にいれても恥ずかしくない亀退治の棋譜を作れたので、自戦記第二〇局にする。
 最近のタイトル戦は全十二局なので、第一一局はゲルファンドにとって最後の白番だった。一か八かの勝負に出るならここだ。結論から言うと、そうはならなかった。アナンドは再びニムゾインディアンに組む。そして、六〇年代に流行していた古い手順を選んだ。ついに、と言うべきだろう、これが初めてゲルファンドの予想を裏切った。彼は最初の九手で三〇分も考える羽目に陥ったのである。一方、アナンドは一三手までを五分で飛ばした。ゲルファンドは自信を失い、穏健な手順を進め二四手で引き分けた。アナンドがタイトルを防衛する確率が上がった瞬間である。
 古い定跡書や実戦例を調べてるうちにアナンドの工夫がわかってきた。図は11.Rd1 の局面で黒陣の特徴は、白a3 に対して黒Bxc3 をしていないこと、そして、黒Nc6 でなく黒Bc6 であることだ。さて、自然な11...Nbd7 は12.d5 が好手だ。アナンドが指したのは11...Bxc3 である。12.bxc3 の後なら12...Nbd7 が安全なのだ。もともと黒Ba5 の布陣は、このビショップを残す発想で指されていた。しかし、アナンドは、機を見てBxc3 を実行するという発想に立ったのである。なお、図でよく指されていたのは11...Qe7 だった。これは12.Bd2 を許すので、黒Bxc3 の機会を失う。対して、アナンドは逆方法のQa5 に進出し、以下、Qh5 -e2 という転換で観戦者を驚かし、クィーン交換を果たして引き分けの流れを作った。
13/05/07
 連休は法事で帰省していた。親族間の長年の懸案の最終局であった。嫁と息子アキラ(三歳いづれ竜王)に感謝である。大失敗も切り抜けることができた。疲れたので、実家で恒例の棋書再読はちょっとだけ。小松定吉対相川治三吉(一八九二)を並べた。定吉の名は「三香」の方が有名だろう。たいへん繁盛した道場の主だった。治三吉は本所小僧として知られた謎の神童である。消えてしまった人だ。
 横歩取りで始まって、後手治三吉の内藤流△3三角に驚く。▲5八玉まで、たぶんたがいに、歩得した先手が成功した序盤と思ったのではないか。そこで、粘ろうとしたのか、治三吉はわけのわからぬ△8二歩を打った。不可解な彼の棋風は人間味が薄くて、どこか、受けを強く仕込まれたコンピュータを思わせる。飛車も引っこめてしまう。ぢゃあ徹底防戦なのかと思うと、そんなことはない。三枚の桂でネチネチと相手の飛車を追い、最後は端でしとめるのだ。収束が特にコンピュータらしい。ずっとゆるやかに指していながら▲4六銀打に対していきなり△6九銀で襲いかかり、▲同玉△7五香以下、あっさりと寄せてしまった。つまり、全局の流れというのを感じさせないのである。
 第八局九局で流れはアナンドに移ったように見えた。しかし、ゲルファンドの序盤準備の在庫はまだまだ豊富だった。第十局のアナンドは初手を1.e4 に戻した。ゲルファンドが2...Nc6型のシシリアンを選び、スヴェシニコフに構えようとしたのは言うまでもない。これに対してアナンドが用意してきたのは、スヴェシニコフを避ける3.Bb5 だった。ロッソリモ変化である。五手目に少し変わった5.b3 を指したのも、ゲルファンドの研究を避けようとしてのことだろう。ところが、それにもかかわらずゲルファンドは驚愕の新手5...e5 を用意していたのである。「五手目に新手を指すのはいつだって良い気分です。毎日起こることではありませんからね」。以下、6.Nxe5. Qe7 と進み、7.Bb2. d6 でナイトを追い、8...d5 から9...d4 で白ビショップを封じて、10...Qxe4+ で駒損を回復し、いささか形は悪いが駒の活力で白に勝る、という形勢に持ち込んだ。結果は二五手の引き分けだった。
13/04/29
 チェスの世界王座がコンピュータに負けたおかげで、人間同士の対局が権威と人気を失ったかというと、そんなことはない。むしろ、注目される機会が減ったのはコンピュータの方ではないか。コンピュータのチェスはつまんないのである。それはコンピュータによる四色問題の証明が数学者の官能を刺激しないのとたぶん似てるだろう。さらに言えば、1勝0敗5分で人間が勝つこともあるんぢゃないか、と私はまだ思ってる。
 chess.com で持ち時間が一手につき二四時間以上あるonline 部門でのレイティングが2000台に乗った。三十一万人いる会員の上位四千人に五十歳の私が入ったのだ。もともと強いならまだしも、入会前の棋力は中級だったのだから、初老の快挙と言えよう。chess.com からメールが届いた。本文冒頭は一応「Congratulations 」ってあるものの、件名はでかでかと「Important Message About Cheating 」である。要するに「あなたは成績上位者の仲間入りをしたが、もしコンピュータソフトの力を借りて勝ってることがバレたら即刻退会である。この点に関してわれわれは無慈悲である」という高圧的な通知であった。
 2000台上場記念の一局を自戦記にした。対局中はソフト指しを疑われてしまうのが心配になるほど上手に指したつもりの一局だった。実際は好手の機会を何度も逃がしている。それでも、白も黒も序盤から終局まで初心者並の悪手が無いので、私には一番まともな棋譜だ。試合放棄や大ポカで2000台に上がったわけでもない。それがうれしかった。
 アナンドはさすがに第九局はスラヴをやめてニムゾインディアンに変えた。これまでと違い、普通の定跡に従って手が進んでゆく。白が指しやすいように見えた。しかし、一九手でちょっとゲルファンドが隙を見せたとき、アナンドは決断した。クィーンを捨てたのである。チェスには、大きく駒損して勝ち目は無くなっても絶対に負けない籠城の駒組というのがある。アナンドはそれを目指したのだ。そして、ゲルファンドは攻め口を見つけることができず、四九手の引き分けに同意した。図が終局図である。
13/04/27
 電王戦に反応した負け惜しみがtwitter にたくさん流れた。最も多いのが、「もともとコンピュータは人間が作ったものだから、べつに人間が負けたわけではない」というものだ。ほんとうにそうなら、先日の三浦弘行の敗北は、彼が羽生善治や森内俊之に敗れるのとあまり変わりないよくある一敗だ。
 初級者は最初から「歩よりも飛車が重要である」その他の理屈を暗記して将棋を指している。したがって、この理屈の外に出るのは難しい。対して、三浦が現在の実力を獲得するには、たくさんの代償を払ってきたに違いない。その結果が「歩よりも飛車が重要である」その他だ。最初から決まってた金科玉条ではない。だから常識に反した妙手を指せる。さて、コンピュータ将棋はどうだろう。学習法は初級者と同じだろう。違いは手が込んでるだけだ。そう考えると、三浦の全人生の研鑽が初級者の丸暗記に完敗したような気がしてくる。この場合、先日の一敗は三〇連敗よりも絶望的だ。
 昨年のNew In Chess 四号にアナンドのインタヴューがある。第七局で負けて「落ち込みました」と述べている、「記憶にあるうちで最悪の日のひとつでした」。寝苦しい夜になった。「タイトルを失ったらどうなる?わからない。バズナの大会にはぜったい行く、ヴェイクアンゼーの大会にはぜったい行く、、、私はもっと上手になりたい、もっと上手になれるのか自分の力を試したい」。なんだ、失冠後の人生もだいたい同じぢゃん。でも、と彼は続けた、「自分の頭に銃口をつきつけた、いまみたいな気分でやりたいわけぢゃない」。かくて第八局の会場に現れたアナンドはぼろぼろの十七年前とは別人であった。
 初手は1.d4 だった。平常心を失っていたのはゲルファンドの方かもしれない。図で8...Bf6 を指したのだから。以下、9.Bxf6. exf6 で、みづから締まらない陣形をさらしてしまった。結果はあっけない。数手後にポカが生じ、わづか一七手でアナンドが勝った。百年を超える王座戦の歴史でも最短の手数だそうだ。
13/04/25
 twitter でいろんなことを教わる。シューマン「詩人の恋」をヴィオラとピアノで演奏したCDがあるとか。昨日はNHK「情報まるごと」に三浦弘行が出演して電王戦を語ると知らされた。職場から嫁にメールして録画を頼んだ。自分を倒した相手を三浦は「怪物」と呼んでいた。△7五歩▲同歩に△同角で歩を取り返すのではなく△8四銀だったことに衝撃を受けたそうだ。これで三浦は自分が得をしたように思っていたが、手が進むにしたがい、勝てない流れにはまっていることに気づくことになる。もう人間は機械に勝てないのではないか、という質問に対して、「なんとか弱点を見つけなければいけないと思っています」と答えたが、そう答えるまでに長く考えこんでしまったのが、完敗の痛手を象徴していた。
 アナンドは一九九五年のタイトルマッチではカスパロフに惨敗している。最初の八局すべてを引き分けで持ちこたえ、せっかく第九局で先勝したのに、すぐ次の第十局であまりにも鮮やかに吹っ飛ばされ、さらに続く第十一局では予想外の定跡をぶつけられ、精神をぼろぼろにされてしまったのだ。第十局の敗因はハッキリしている。アナンドは黒番でずっと同じ定跡を続けたから、カスパロフに読まれ、驚異的な新手をくらったのだ。その時と似たことが一七年後にまたしても、とは言えないだろうか。
 第七局から後半戦に入り、奇数局はゲルファンドが白番を持つことになった。アナンドは黒番でずっと同じ定跡を続けている。本局もそうだった。ゲルファンドは6.c5 を用意してきた。
 ただし、カスパロフとは異なり、ゲルファンドの方針は相変わらず安全策だ。アナンドが挑発的な手を見せて、ゲルファンドを乱戦に誘うのもこれまでと変わりない。図の15...Qb8 がそれだ。白はBxf6 で敵陣にダブルポーンの悪形を強いることができる。ところが、慎重に考えてゲルファンドが指したのは16.Bg3 だった。これではむしろ黒Bxg3 で白陣にダブルポーンが生じてしまう。実戦もそう進んだ。ゲルファンドってこんな低姿勢の棋風だったかなあ。
 それにしても15...Qb8 は不自然な手だ。そして、そんな手を本局のアナンドは連発する。これがゲルファンドの待っていた展開だったに違いない。アナンドの棋風の悪い癖を分析していたわけだ。結末を言えば、無理を重ねたアナンド陣は収拾がつかなくなり、見込みの無い反撃に打って出るよりなくなって、その隙をゲルファンドが突き、黒王を詰め上げ、ついに一番首を挙げた。
13/04/22
 五種のプログラムと五人の将棋棋士が戦う今年の電王戦は四局を終えて人間の1勝2敗1持だった。大将戦とも言うべき第五局が最終戦で、コンピュータは六八〇台をつなげた特別仕様のGPS将棋、対するは順位戦A級一組三浦弘行である。第一局の始まる前の私の予想は「人間の一勝四敗か二勝三敗で、特に三浦は負ける」だった。最終戦の結果は三浦の惨敗で、王手ひとつかけられなかったことが明白な投了図が残された。終局が近づくにつれ私が思ったのは、もちろん、予想が当たった喜びではなく、「信じられない」という呆然自失であった。
 さてチェス。どちらかというとゲルファンドのペースだろう。彼の研究範囲から逃れようと、アナンドがもがく。けれど何を指してもゲルファンドはすでにお見通しなのだ。カスパロフがこんな状況に置かれたなら、自分のセコンドの誰かがゲルファンドと通じたスパイではないのか、と猜疑心で乱れてしまうかもしれない。ただし、ゲルファンドも白番で安全な手を続けている現状では、負けないものの勝てそうにない。第六局の彼はそれまでの6.b3 をやめて6.Qc2 を指した。これはよくある手だ。たがいに研究済みの手をすらすらと盤上に再現してゆく。そして図の14...0-0 が指された。これは新手だ。
 従来は14...Rd8 でひとまづdポーンを守り、その後でRc8 に移動して白Qを狙っていた。アナンド新手の意味は、dポーンを守らず、Rd8 を省略して即Rc8 で白Qを狙うことである。ゲルファンドは考え始めた。15.Nxd5 からポーンをひとつ奪うことにする。そして、17...Rac8 を見てさらに長考した。ポーン得を維持して積極的に勝ちにいくか、ポーンを返却して平和で負けの無い局面に誘導するか。彼が選んだのは後者だった。以下は駒の交換が進み、二九手で引き分けた。
13/04/19
 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読み終わった。ヘルシンキの描写に一回だけチェスが登場する、「大きな通りの中央に設けられた公園には、作り付けの石のチェス・テーブルが並び、人々が持参した駒でチェスを楽しんでいた。全員が男で、その多くは高齢者だった。(略)彼らはどこまでも寡黙だった。それを見物している人々もまた寡黙だった」。
 ゲルファンドとその仲間たちによるグリュエンフェルドの研究発表会に、アナンドはとうとう付き合うのをやめた。第五局は1.e4 で始まったのである。とは言え、もちろんゲルファンドはこれも研究しており、ささっとシチリア防御のスヴェシニコフ定跡を盤上に現した。本局に限らず、一手指すとすぐ立ちあがって舞台から消えてしまう。記者会見で理由を問われて、彼はこう答えた、「舞台裏にすごいクッキーがあるからです」。きっと、ヤマが当たり続けて御機嫌なのである。
 アナンドはスヴェシニコフを目にして驚いてしまったようだ。複雑な定跡である。罠にはまるかもしれない。やや慎重な手を選んだ。そして、それさえもゲルファンドの想定内だったらしい。たとえば、図での16...Bxd5, 17.cxd5 は、一見して黒が損だった。ビショップを手放してしまう、黒Pd5 が不可能になりd6 ポーンは悪形の位置に固定されてしまう、白はc筋が拓けた、などなど。しかし、それだけに16...Bxd5 は周到な研究の裏付けを感じさせるのである。実際、黒ナイトが17...Nb8 から18...Na6 に身をひるがえし、好所c5 への進出をうかがうという、卓抜な転換が披露された。白は勝ちきれるだけの優勢を確立できず、二七手の引き分けに終わった。
13/04/16
 第四局は第二局と同様の定跡になった。ゲルファンドは何を用意してきたかというと、13/04/14 の図での10.Qc2 だった。意味は前回と同様で、黒が暴れるのを警戒して、白はおだやかな駒組を心がけ、小さな有利を維持する。これがゲルファンドの白番での方針らしい。「アナンドのような棋士を倒せる方法ではなさそうだ」とナイディッシュは解説した。ゲルファンドの消極性は図での15.h3 に表れている。以下、15...Bd7, 16.Rad1 でd筋に駒柱が立った。その後は駒数が順調に減って、私の目にもわかる引き分けの局面に至り、三四手で終わった。アナンドは局後に「特に危ない瞬間はありませんでした。ずっと釣り合いの取れてる駒組でしたから」と語った。
 自戦記第十八局を作った。以前の自戦記と読み比べた。現在の私の方が強いと思う。五〇歳でも上達できるのだ。ただ、何が強くなったのか、よくわからない。いろんな手を読めるようにはなったかもしれない。特に相手の手を。ただ、いくら読めても指せるのは一手しか無いし、その一手に関しては、今も昨年も自分らしさに変りが無い気がする。
13/04/15
 昨日は家から徒歩十分ほどの近所で文学フリマが開催された。twitter で知り合った清水らくはの編集する将棋文芸誌「駒.zone」が出店するという。嫁はこういうのが好きだ。家族で出かけた。盛況であった。文学は終わってる、と確信してる私には不思議な光景であった。「駒.zone」のほかに私が買ったのは、廃墟の写真を撮り続けている成宮澪の『摩耶観光ホテル』である。この素晴らしい写真集が千円とは。嫁は鉄道オタクの旅行記を買っていた。
 第三局でもゲルファンドはグリュエンフェルドを採用した。今度はアナンドも研究してきた。3.f3 という波乱含みの攻撃を仕掛ける。驚いたことに、これをゲルファンドは想定していた。あまり時間を使わぬまま手が進んで、図の16...e4 さえも悩むこと無く指された。研究済みなのだ。もし、17.Nxe4 なら17...Nxe4, 18.fxe4. に18...Rxf1 という猛攻が決まる。どういう猛攻なのか私にはわからず、Fritz に伺ったところ、19.Rxf1. Nc4 で白はb2 地点を防ぎきれなくなり、さらなる猛攻をくらって、詰んでもおかしくないほどの敗勢に陥るようだ。だから、アナンドが指したのは17.Bd4 だった。それでもゲルファンドの早指しは止まらない。このマッチでゲルファンドが善戦できた最大の理由は、序盤研究が成功したことだろう。
 それでもさすがアナンドは世界チャンピオンである。本局では彼が優勢を築いた。だが、熟考を重ねたため、三〇手の段階で残り時間は一〇分しか無かった。このため決定打を逃がし、ゲルファンドに反撃を許し、三五手の引き分けで終えることになった。局後にアナンドが言ったのは、「たぶん、勝ちの局面がありましたね。でもまあ、マッチはまだ進行中です」。
13/04/14
 アナンド対ゲルファンドをちょうど読み終わったタイミングで村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』が届いた。こないだの近江八幡のクラブハリエで買ったバウムクーヘンの包装紙を切って本のカバーに仕立てた。これがなかなかいい。近江八幡店の包装紙は、この町の美しい古地図なのである。
 第二局について書いておこう。ゲルファンドは初手d4 の棋士である。このマッチもその姿勢を変えなかった。アナンドが選んだのはスラヴ式防御だった。そして、Pe6 でセミスラヴ式防御、さらにPa6 でチェバネンコ型も兼ねるという、まったくアナンドが指すとは想像もつかない定跡になった。にもかかわらず、ゲルファンドのチームはこの定跡を予習していたのである。どうやら、アナンドが何を指しても対応できるよう、ゲルファンド陣は膨大な数の定跡を準備してきたらしい。
 ゲルファンドが用意していた布陣は、Pb3 から図で10.Rc1 とし、Pe4 を突くというものだった。黒が張り切る流れを避け、白がぢっくり安全に勝てる含みを持たす、という方針である。これに対し、アナンドは新手を十四手目に披露した。ゲルファンドは目を閉じて長考に入る。この新手は研究してなかったようだ。そして、彼は対局場で考える勝負を避けることにした。駒交換を進めて局面の緊張を解消し、二五手の引き分けで終えた。研究室に帰って仲間たちと改めて今回のスラヴ式防御について考えることにしたのだろう。
13/04/11
 泊まりがけの出張で近江八幡に行ってきた。桜が残っており、これを楽しめたのは良かった。行き帰りに読んだのが、アナンド対ゲルファンドのタイトルマッチを解説した本である。書いたのはダニエル・ロヴァスという知らん人だ。検索するとあまり強くなさそうなハンガリー人が現れた。本は悪くない。手の分析はあっさりしていて、それよりも、対局者のしぐさや、周囲の反応を重視した報告になっている。私ぐらいのレベルの読者には楽しい内容だった。ゲルファンドの序盤準備が万全で、その研究範囲からアナンドが抜けだそうとして、局面の緊張が高まってゆく様子が伝わってくる。
 第一局で、アナンドの1.d4 に対しゲルファンドが用意したのはグリュエンフェルド防御だった。ゲルファンドがこれを採用するのは二〇〇一年以来のことであり、大方の予想を裏切った。もちろん、ゲルファンドはそれを狙ったのである。アナンドは意欲的に対応した。よく見かける定跡にひとまづ従っておいてから、d筋のポーンを進めて意表を突き、九手目で相手を考えこませる。ゲルファンドは、クィーンで遠くの白aポーンを取りに行き、戦果を挙げたこのクィーンを自陣に帰還させる、という方針を選んだ。こうしてゲルファンドが盤端に手間暇かけている間に、中央から攻め込んでしまおうというのがアナンドの作戦である。図の14.d6 がその場面だ。
 白のQ翼が崩壊しているようだが、中央では白が攻勢のうえ黒はキャスリングが遅れており、受けが難しい。ゲルファンドの腕の見せ所である。ルークをa8 -a7 -d7に移動させて中央を補強する、というのが彼の導きだした解答だった。切羽詰まった局面において悠長な配置展開を行ったのである。これが功を奏し二四手の引き分けに終わった。挑戦者の好調を思わせる開幕戦であった。
13/04/01
 日本栄養学会で、ウナギに脳の劣化を早める成分がある、との研究発表があり、市ヶ谷の日本将棋連盟に衝撃が走った。渡辺明竜王「あの人がもっと早い時期にコンビニ弁当に転向していたら、今でも二冠は堅い」。あの人「ええ、ええ、ウナギは大山先生に薦められたんです。やっと真意が判明いたしましたですハイ」。
13/03/22
 母の古希を祝おうと思ったら、「喜寿よ」とのこと。すんません。で、一族を集め、箱根は福住楼に泊まってきました。明治からの古い建物で、いまだに水道が無く、それでもトイレがきれいだった。なにより、湧き水を使ってると米がうまい。お風呂が素晴らしいのは当然で、交通事故で指が固まってしまったという仲居さんが、「通ってるうちにホラ」と、手のひらをわしわし広げてみせるのもむべなるかな。窓からの眺めも、玉堂百穂漱石露伴など画人や文豪に愛されたのがわかる風情でした。「王将」の北條秀司も好んでいたとのこと。川の音が良いのに、ここに泊まりにきてわざわざ聞こえない部屋をいつも指定していた川端康成はやっぱ変態ですね。
 翌日の新幹線は私一人で乗ることになり、Horowitz, "Solitaire Chess" (1962) の第二問を解きながら大阪に帰りました。アリョーヒンやカパブランカなどの実戦譜を並べながら、彼らがどんな手を指すのか、序盤の終りから終盤まで当て続ける問題集で、当たった手数の総合評価で棋力も判定してくれる。どんなもんか紹介します。自分は中級者かそれ以上だ、と思うかたはお試しを。
13/03/11
 いま渡辺明対郷田真隆に注目している。特に郷田の勝った棋王戦第一局とA級順位戦最終局が素晴らしかった。どちらも郷田の直球勝負だ。流行の最先端や勝率の高い戦法を選ぶのではなく、自分が本筋と信ずる手で勝つ。米長邦雄を追悼する文で郷田が、「升田大山米長と続いた、力と力の戦いを受け継いでいるのは自分だけだ」ということを書いていた。私には意味不明だったが、こんな将棋のことを言いたかったのだろう。
 下馬評とは異なり、棋王戦は郷田が防衛すると私は思っている。将棋の格が違うはずである。実際は昨日の第三局を破れてカド番に追い込まれてしまった。渡辺が銀を捨てて攻めの形を作る。正確に受ければ駒得が大きく、郷田の勝ちだったろうけど、それは難しい。感想戦の郷田はずっと形勢が悪かったことを認めていたが、それは敗戦後の発言であって、勝っていれば自慢話が聞けたかもしれない。実際、対局中の解説者は「郷田良し」だった。13/01/21 で書いたような素人レベルのチェスと同じことが、プロの将棋でもあてはまるのだろう。かつて「塚田泰明が攻めれば道理が引っ込む」という言葉があったように、無茶な攻めは、その無茶っぷりの一方的な主導権が実戦的に勝ちやすいのである。つまり、問題の局面でいちばん勝ちやすい手として銀損を選んだ渡辺が、格はともかく、勝負師としては上だったということになる。渡辺を「正確に読む機械」としか評価していなかった私には意外な結果だった。
 無茶攻めを受けるのが嫌で、黒番の私は初手e4 に1...e5 で応じるのをやめ、1...c5 やら1...e6 やら1...Nf6 まで試していた。で、いままでの自分をふりかえり、戦績を調べてみると、1...e5 の勝率がいちばん高いではないか。先手7六歩に後手8四歩を指し続ける郷田の気持ちがやっとわかった。勝率がきっかけでわかったのが恥ずかしいけれど、要するに勝率の問題ではないのである。私には1...e5 がふさわしい。自分が本筋と信ずる手で勝つのだ。そんなわけで、先手7六歩に後手3四歩を指した第二局の郷田には、第四局では後手8四歩をお願いします。
 さて、1...e5 に回帰した私である。腹を決めたせいか、無茶攻めにも対応できてきた。無茶攻め定跡のなかでも特に負けたくないのがキングス・ギャンビットである。これは若い頃から勉強してきたからだ。最近の一局として自戦記第一七局を紹介しておく。
13/03/07
 閑散期の雲仙観光ホテルに二泊する、というのが我が家の恒例になりつつある。先月に行ってきた。人気の宿をほぼ貸し切り状態で通常より安価に楽しめるのが魅力だ。閑散期ほど力をそそぐのではないか、というもてなしも味わえる。往還の新幹線や特急で嫁も子も寝てしまうと本が読める。今年はMinev, A Practical Guide to Rook Endgames を持っていった。ページ数は薄く、内容が手厚くて、とても良い。七年前のロレンの部屋の記事がずっと気になっていて、やっと読み始めた本である。最初は通勤電車でさくさく読み進めたものの、全部で一八〇番まである局面図のうち三六番と三七番がいきなり難しく、手順を脳内盤で追い切れず、ここで一か月ほど止まっていた。旅先ならのんびり乗り越えられるだろう、と思った次第だ。目論見どおりの成果をあげることができた。私の言葉で三六番を紹介しておく。本来のテーマのほか、ポーンやキングの初歩的な進め方が納得できた。
 珍しい動画をたくさん教えてくださった懐かしい読者「Kさん」から、開設十周年のお祝いをいただいた。ラスカーの立ち会いのもとでアリョーヒンとボゴリュボフがブリッツを楽しんでいる動画と、ルビンステインの対局動画である。「Chessbaseの記事で知った」とのこと。
13/02/17
 本日はこのホームページの開設十周年である。チェスのホームページで、現在も管理人本人による更新が続いているものとしては日本最古かもしれない。世界でも珍しいか。継続は力なりという格言が必ずしも正しくはないことを証明できて、とてもうれしい。ネットで知り合い、開設前からずっと励ましてくれた畏友に感謝する。十年間の更新で思い出すのは、04/07/16 から05/04/06 までの成田事件の報告、05/08/26 から05/09/15 まで、07/01/01 から07/01/05 までの、小野五平のチェスに関する調査である。どちらも資料のほぼすべてを畏友が集めた。いつも資料だけを提供してくれ、私の文章に注文をつけることが一回も無かった。いまはチェスから彼の関心が離れ、つきあいは薄くなっている。
 まさにそんなおり、新刊のフランク・ブレイディー『完全なるチェス』(佐藤耕士訳)がアマゾンから届いた。副題は「天才ボビー・フィッシャーの生涯」である。ブレイディーは一九六五年と七三年にもフィッシャーの伝記を出しており、今回のは彼の死までを調べた最終版ということになる。私は帰宅して、届いた箱を見るなりむしり取って、成田事件の書かれた章を立ったまま読み始めた。畏友と私の報告の方が詳しいことも多かったけれど、ブレイディーの方が重要事項を整理してわかりやすく説明してくれている。
13/02/16 紹介棋譜2参照
 チェスコムで指すようになって、つくづく感じるのは、私の序盤センスの悪さである。三十年間、私にとって序盤の勉強とは、定跡の理解と選択だけを意味していた。それが間違っていたようだ。
 反面、終盤は悪くない。才能よりも努力や年輪がものを言う分野なのだろう。私の場合は、若い頃にコンピュータと対戦したあとは、終盤を何度も再現し、指し直した。難解な局面を検討するのではなく、勝勢で考えずに勝ちきる練習である。おかげさんで、五十歳になったいまでもブリッツは五十秒を残して終盤に持ち込めば三十手は何とかなる。
 終盤本も難解書よりは薄い基礎読本が良い。10/10/19 に書いたアヴェルバッハ『チェス終盤の基礎知識』が最適である。今は水野優による和訳まである時代だ。こないだ、彼の訳でもう一冊、チェルネフ『終盤の300題』が出た。原題はPractical Chess Endings である。これも私はよく読んだ。懐かしい。実戦に出てきそうな終盤の問題集で、中級者がぢっくり考えればそこそこ正解できる難易度だ。なによりチェルネフはコメントも編集も楽しい。
 典型的なのを一問紹介しておこう。図はDedrle による1921年の作品。黒王が戦場から遠く離れており、一目で白の勝勢であることがわかる。それでも五手くらい読む必要があり、勝勢だからといって油断すると、我々のレベルでは勝ちきれない。正解手順は紹介棋譜に。
 久しぶりにページを開くと、自分は最初の八十数問しか解いてないことがわかった。ポーン・エンディングの部分までである。昔の私はそれで充分だったのだろう。中級者代表として最後に言っておきたいのがこのことで、ポーン・エンディングがいちばん大事だ。
13/02/03
 ロボットが人間と似てない場合、それはただのロボットである。逆に、とてもよく似ている場合は人間と見分けがつかない。問題はその中間の場合のロボットだ。これは気味が悪いものらしい。で、この中間領域を「不気味の谷」と呼ぶ。デビューしたての羽生善治に感じた私の嫌悪感はこれと同じものだろう。人間なのに人間味を感じさせないからだ。前にも書いたとおり、加藤一二三戦の名高い5二銀を目の当たりにした時、私は強烈な吐き気に襲われた。
 谷川浩司に続き「マイナビムック」の第二冊が出た。羽生善治である。谷川を超える素晴らしい出来で、言いたいことがたくさんある。話題をいつもひとつにしぼる私にしては珍しく、ふたつ書いておきたい。ひとつは、デビュー当時の写真である。いま見ると、不気味の谷をまったく感じないのだ。多くの読者もそうだろう。現在は羽生の将棋が常識になった宇宙なのだ。私は慣れてしまったらしい。たぶん、いま5二銀の再放送を見ても、「絶妙手だ」としか感じないと思う。
 ページをめくり、むかしを思い出せる棋譜をさがした。一九九二年の森下卓戦の終盤があった。覚えてる。ここからたった九手で終わってしまう薄気味悪さ。▲5三銀△同角▲5三桂不成△6五銀右▲同飛△同銀▲4一桂成△同玉▲7五角にて後手投了。▲5三桂不成には人間の考えた手が表現する鮮やかさも迫力も無い。無表情に森下の死を計算してるだけだ。
 もうひとつは、十八世名人と十九世名人がともにまだ十一歳だった一九八二年の熱戦譜を。後手森内俊之の横歩取り4五角戦法である。△5四香▲8五飛打△4五桂に驚いた。以下▲同飛△5七香成で攻める。先手羽生は粘りに粘る。森内はそれをまったく寄せつけず、二〇四手もかけて勝った。二人が将棋の常識を変えたのに、二人そろうとずっとそのまんまです。
13/01/29
 米長邦雄の追悼対局をしませんか、というチェスの企画があって乗った。終わったので自戦記にしておく。私の白ナイトは黒ポーンを四個も食った。図はその投了図だ。ナイトが勝利を決めたことが明瞭である。実はそんな投了図が私の勝局には多い。逆に、ナイトが働かないと私は負ける。これまでchess.com のonline 戦で負けたスタンダードなチェスの九局すべてで、私のK翼ナイトは最後まで残らず、どこかで取られている。
 Modern Chess Openings で名著として知られているのが、ファインの書いた一九三九年の第六版と、エヴァンズの書いた一九六五年の第十版である。第六版は持っていて、第十版が欲しかった。USA のAmazon から注文して手に入れた。こないだ紹介棋譜にした、ビショップ定跡の2...Nf6, 3.Nf3 には、「3...Nc6 からのツー・ナイツ定跡を御覧なさい」という指示がなされていた。やっぱりそれが安全なのかなあ。それが悔しいから3...Nxe4 で取ってきたんだけど。
 どうでもいい記事を。昨年晩秋に鞆の浦に遊んだ。ポニョの地であることを抜きにして観光地として悪くなかった。素晴らしい景色のほか、歴史があり、山中鹿之助の首実験、足利義昭の鞆幕府、坂本竜馬のいろは丸、七卿落等々のエピソードで彩られている。朝鮮通信使が立ち寄ったことが理由なんだろう、韓国と日本の棋士による囲碁対局も行われていた。喫茶店も良いのがある。土産物も海産物のほか、地元の陶芸家が、よくあるのとは違って楽しい。嫁は落武者の爪楊枝立てを撮影していた。
13/01/24
 七帝柔道というのがある。かつて帝国大学だった大学の間で行われている特殊な柔道だ。どう特殊か、三十年くらい前に選手から聞いた話を思い出すと、要するに、消極的な試合態度でもポイントで不利になることが無い。そこで、強い相手に対してはうずくまってしまい、その姿勢を時間切れまで維持すれば引き分けを得られるのである。この戦術を「亀」という。エリートもこんなみっともないスポーツをするんだなあ、と私はいまだにしみじみした気分になる。実際は楽ではない。話してくれた選手に、私は「ためしてみる」と言ってうずくまった。すると、数秒で裏返され、そのまま押さえ込まれてしまった。根は弱いけれど特別な技能者が一人前の亀になれるのだ。
 チェスでは短い持ち時間で黒番が「亀」をよくやる。駒を三線の外に出さず、白の攻めをぢっと待ち構えるのだ。初めて亀に出会ったとき、私はどこを攻めればいいのか糸口がわからず、無駄な長考を繰り返し、時間切れで負けた。次も負けた。似た経験をお持ちの人も多いのではないか。三度目からの私の対策を書いておこう。図のように、ノータイムでc、d、e、fのポーンを突き並べてしまうのである。どうせ相手は反撃してこない亀だ。さらに、Bd3 からキャスリングし、Pe5 で仕掛けてしまう。そして、何が何でも無意味に攻め続ける。相手は根が弱いので、このfour pawns attack を受け切れない。戦績は7勝0敗0分である。ただし、棋譜は恥ずかしい無茶攻めばかりで、自戦記を御覧にいれるわけにはいかない。
13/01/21 紹介棋譜1参照
 黒番で1.e4 に対して1...e5 で戦える、というのが私の願いなのだけど、chess.com のブリッツでは困難である。しばしば白にBc4 からBxf7+ やNxf7 という無茶な攻めを叩きこまれてしまうのだ。無茶なのだから理屈では黒が良いのだけど、持ち時間10分で受け切るのは難しい。コンピュータで調べた正着の一例を紹介棋譜にしておく。これを実戦で私が指せるとはとても思えない。
 ただでさえ黒番での1.e4 対策に悩んでいた。ところが、前回書いたように、アリョーヒン・ディフェンス1...Nf6 が私に合うらしいことがわかり、楽になってきた。愉快なのは、この変則的な手を警戒して2.Nc3 を指す相手が多いことだ。これには2...e5 で応じる。すると、ウィーン定跡になり、念願の「1.e4 に対して1...e5 」がかなうのだ。これなら白Bc4 が上記の無茶攻めにつながる心配が少ない。たとえば3.Bc4 なら3...Nxe4 がある。4.Nxe4 には4...d5 で良い。実際に3...Nxe4 を指すかどうかは別にしても、相手が警戒してくれて、まだ3.Bc4 に出会わない。
 1...Nf6 に対する正着はやっぱり2.e5 だろう。その例を自戦記第十五局にした。
13/01/13
 chess.com でのブリッツが四〇〇局になった。勝率は六割でレイティングは1400台である。不本意だ。日数の長い勝負のレイティングが1900台なのだから、初老の年齢を考慮しても、1600台には乗せたい。序盤でしくじるのが低調の原因である。ブリッツ特有の荒っぽい序盤感覚に未だに対応できてないのだ。
 それでもこつこつ努力はしており、本人は「少しづつ改善されている」と思うようにしている。終盤に持ち込めば滅多に負けないから、序盤をおだやかに通過するような定跡を身につければいい。黒番なら初手d4 にはd5 で、クィーンズ・ギャンビットの有名定跡を目指すようにしている。ところが実現したのは三局くらいしか無い。それであたふたしていた。だんだん覚えてきたのが、時間を使わず図のような型に組み上げる作戦で、勝率は上がってきた。問題は初手e4 への対策である。65勝60敗6分で、勝率五割強しかない。とうとうアリョーヒン・ディフェンスを試すところまで追いつめられた。もっとも、いまのところ結果は良い。期待しているところだ。
 白番の場合は、相手が格下なら1.d4 で安全に勝つつもり、同格以上には1.e4 でマグレ勝ちを狙う。久々の自戦記第十四局で、1.d4 の研究成果を披露させていただこう。クィーンズ・ギャンビット・アクセプテッドである。対戦相手の指し方が独特なので、定跡書に無い手順を自分で考えないといけない。いまのところ、2...dxc4 には10勝2敗1分で、勝率八割強である。対局数が少ないようだが、3手目以降にも応用が利くので、実用価値は高い。
 ちなみに図の勝率も書いておく。白ポーンがd4 とe2 にあって、黒ポーン8個は図のとおり、という形で検索するのが適当だろう。結果は9勝1敗1分で、勝率を四捨五入すると九割に達する。研究は大事です。
13/01/06
 新年最初の「将棋フォーカス」は米長邦雄の追悼特集だった。あとを継いで将棋連盟会長になったばかりの谷川浩司が招かれていた。米長が彼に挑戦した一九八九年の名人戦を思い出した。対局室で米長はことさらに話し続けており、それが盤外戦術であるのは明らかだった。谷川は不機嫌そうに応じたり、最後には無視したりしていた。四戦で終わった名人戦である。みっともない。初めて米長をそう思ったのがこの時だ。七度目の挑戦で名人位を獲得するのはその四年後である。うって変って緘黙を貫いたのが印象的だった。普通は、撮影のために初手は何度か指し直したりするのに、それさえ拒んで、カメラマンの声を無視して、米長はあらぬ方角を見つめていた。表情はこわばっており、無理してそうしているのが痛々しかった。まさか勝つとは。これも四戦で終わる名人戦であった。負けても勝っても無理してる人だったな。不自然流か。
 正月の帰省はいつもどおり、実家に置いた棋書を読んできた。私が専門家の将棋に興味を持ったのは一九七八年のことで、一六歳だった。羽生善治も同じ年で、八歳だった。ふたりとも年末は十段戦に夢中だったわけだ。中原誠に挑戦した米長が三連敗してから四局目に中飛車で流れを変え、三連勝したのである。この第五局、第六局の矢倉が私は大好きで、何度か並べてきた。今回もこの二局を並べたのである。第五局の終盤、馬を引き寄せ、さらに切って捨てた中原の裂帛の気合がすさまじく、記録係は手が震えて棋譜を採れなくなったという。そして第六局。これも終盤が素晴らしい。メモを採って大阪に戻った。ここに残して追悼としたい。
12/12/20
 棋士が強いのは当たり前なので、すると、勝負がつくのは、どちらが偉大かという一点にかかってくる。ルールや制度、棋士の生活環境をどれほど変えたか、である。十九世紀ではスタントン、二十世紀ではフィッシャーが最も偉大であった。将棋の十九世紀では伊藤宗印、二十世紀では関根金次郎である。彼ら四人は自分が偉大であるべきことをよく自覚し、実際に偉大であった。
 中原誠と米長邦雄では米長がはるかに偉大だった。日本将棋連盟会長としての業績だけを見てもそれは明らかだ。おかげで連盟はあと十年は安泰だろう。彼は連盟に延命治療をほどこしたのである。根本的な改革ではなかった。たぶん、偉大であるべき人ではなかったのである。偉大でありたい人であった。その不純な執念において純粋な人であり、その矛盾が本人と周囲を苦しめた。中原誠と米長邦雄では米長がはるかに偉大だった。そんな優劣は私にはどうでもいいことである。けれど、最後にこう書けば彼はきっと喜んでくれると確信している。とても長いつき合いだったから。
12/12/12
 左の図で、持ち時間が一手につき三日もあって、黒番の私はRc7 を指して寝た。翌朝、白Rxc7+ を見て何が起こったのか、わかるまで数秒かかった。苦しい局面を二か月も持ちこたえ、やっと必勝の駒得にたどり着いた直後のことだ。chess. com の大会の一局であり、これを勝ち切れば一位で次の大会の出場権を得られることもほぼ確定していた。
 レイティングが1900 あるくせに、私にはこんなミスがよくある。自分に腹が立ち、巨神兵に化身して口を両手でふさいだまま閃光を発し自爆して、すぐさま生まれ変わり、ツァラツストラのように「これが人生だ、よしもう一度!」と叫んで永遠に自爆を繰り返したくなる。三日たってやっと受け入れる気分になってきたところだ。投了ボタンを押そうと思う。
 一手詰めを見落として負けた瞬間の羽生善治の声は「あ、ひどい」だけだった。クラムニクの一手頓死も06/12/05 に書いたように静かなものだった。きっと屈辱感は巨大で、叫べばアルゼンチンまで穴が開いたであろう。よく耐えたと思う。二人が取り乱さずに自身を支えることができたのは、さらに巨大なプライドが歯を食いしばっていたからだろう。
12/11/28
 何度か書いた近所のアイリッシュ・パブやらワインバーやらで、私は高級な盤駒を使わせてもらっている。常連の弁護士さんが、あちこちの開店記念などに贈ったセットだそうだ。この常連さんは、私のブログの読者さんでもあった。そんなわけで、とうとう店の人たちに本欄の筆者が誰であるかをばらされてしまった。プライバシーの侵害である。訴えるど。ちなみに、盤駒はCheckmate Japan の大阪堺店で購入した名品であるのは言うまでもない。
 この常連さんがある晩、アイリッシュ・パブに二手詰のプロブレムを持ってきた。マスターはそれを記憶し、後日私に見せてくれた。なんとか解けた。驚いたのは、相客にスウェーデン男性が居り、彼がとことん考え抜いたことである。一時間半も粘ったであろうか。閉店時間が近づいたところで降参した。これが北欧人というものか。もっとも、私もアイラ島で難解な三手の詰将棋を示されたら、ボウモアをなめつつ夜明けまで食い下がるに違いない。日本人として外国で詰将棋を解けなかったり大外刈りを披露できなかったり忍術を使えなかったりするのは恥である。同じ炎が北欧の魂を焦がしていたのではないか。
 私も、と思って、Chess.com のTactics Trainer で見つけた左図の一問をワインバーに持っていった。黒番だ。自分が十分以上かかった問題である。f2 をナイトで取った場合とクィーンで取った場合を比較して、正解を選び、優勢か勝ちが確定するまでの手順を示す、というのが題意だろう。ヒントを言えば、「詰む」。するとマスターは五分もかからずに解いた。店のみなさん、ぢわぢわ腕が上がっている。この日飲んだFrederic Magnien (フレデリック・マニャン)という赤がすごくおいしかったことも付け加えておく。

戎棋夷説