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松浦寿輝、トリノのチェス五輪、フォロス

06/07/23
 映画「Chess Fever(チェス狂)」について03/08/24と04/04/13で触れました。読者さんから教わったのですが、Google Videoで検索すると見ることができる、とのこと。ただし、字幕がロシア語だそう。私が畏友に見せてもらった版は英語でした。ネタバレになりますが、カパブランカのセリフを訳しておきましょう。なお、この読者さんはGoogle VideoやYou Tubeでいろんな画像を見つけてらして、フィシャーとタリの対局場面まであった、とのこと。ひまになったら私も探したいです。
 チェスの欠点は、仕事がややこしい時には向いてない、ということですね。ここんとこ、私は帰宅するとぼーっと映画ばかり見ています。ルビッチの、粋でいくらか悪趣味なコメディ「生きるべきか死ぬべきか」にチェス場面を見つけました。反ナチの傑作コメディといえば、これか「独裁者」ですが、どっちにもチェスが出るのは奇縁ですね。
06/07/22 紹介棋譜参照
 ともに1990年生まれだけど、カリャーキンはカールセンよりほぼ一年年長である。だから、セルゲイの活躍は来年のマグヌスの期待度の設定目安になる。華やかさではやや劣るが、カリャーキンの方が着実に力を着けてるように見える。もちろん、二人の棋風や教育環境は異なるので、こんな比較で将来を占うのは変だ。でも、これもファンのひとつの楽しみ方なのだ。
 トムスクでモロゼビッチ、ポノマリョフなどなど6人の強豪を集めた早指し大会があった。大差で優勝したのは5勝1敗4分のカリャーキンである。白番で勝ったモロゼビッチ戦を紹介棋譜に。図はともに狙いをもって布陣したところ。黒番だから15...Bxc3、で、16...Qa3+と17...Qxc3の流れで黒P得になった。これは私でもわかる。そこでカリャーキンは18.Nb3。おお、次に白Bd2で黒女王は捕らわれの身ではないか。少年はモロゼビッチに読み勝ったらしいのである。以下きれいに優勢にもっていった。
06/07/18
 ここのところカールセンがあとちょっとで優勝しそこなってる。まづ、今月初めのことだが、ノルウェーのトルムソの大会で二位になった。顔ぶれからして、優勝してほしかったくらいだが、シポフとの直接対決に負けてしまったのだ。そして、つい先日はノルウェー選手権があった。03年は三位だった。04年はオステンスタッドとのプレーオフに引き分けて準優勝だった。05年は師匠Agdesteinとのプレーオフに敗れて再び準優勝だった。で、今年も師匠との優勝争いになり、ついに直接対決に勝った。しかし、最終戦でオステンスタッドに敗れ、またまた決着は師匠とのプレーオフに持ち越されることになった。紹介するほどの棋譜は無い。例年、この大会のプレーオフは間をおいて行われるので、今年もそうだろう。
06/07/15
 小さな仕事だけど、相手にウケないと困る仕事があった。どうにか規準はクリアできたと思う。それにしても、公私ともに忙しい。更新と情報収集が途切れてきた。そんな歳になったのだろう。ちょうどフロスト警部を読んでいるところで、彼の乱雑なデスクや、締め切りを守らないところとか、とても共感してしまう。いまの私は床に散らばったファイルを飛び越さないと、職場の机までたどりつけない。対して、羽生善治の忙しさとクリーンな活躍ぶりには頭が下がる。フィラデルフィアではIMになる規準をまずひとつクリアしていた。ウェブで「ネット社会を生きる奥義」を語ったり、先日はテレビで茂木健一郎と話していた。もちろん、王位戦の第一局も勝った。
 畏友の名言を紹介しよう、茂木について、「この人、顔が脳っぽくて、そこにリアリティあり」。傾向としては前々からだが、いよいよ本格的に脳ブームかもしれない。将棋連盟も脳の研究に協力する姿勢だ。砂糖会社が食品の健康調査に出資するような印象を受ける。きっと、将棋は脳の活性化に役立つというデータが出るだろう。ちなみに私は話題の小型ゲーム機を買って、脳のトレーニングと英語の練習にいそしんでいる。前者の判定によれば、四日間で私の脳は44歳から21歳まで若返った。まあ、楽しければいい。でも、後者の英語ゲームは実際に役に立ちそうな気がする。高価な従来の英語教材はどうなるだろう。
06/07/12 紹介棋譜参照
 フィラデルフィアの最終ラウンドで羽生はグランド・マスターに勝った。当初は棋譜がわからず、不戦敗かどうか気になっていたのだが、黒番で勝っていた。紹介棋譜にしておこう。わかりにくい戦いだ。28...Qxe5, 29.Rd7のところがどうにも解せず、Fritzでずいぶんと調べたので、その変化も載せた。30手目以降は差が開く一方だったと思う。相手の調子も良くなかった感じだ。
06/07/11
 久しぶりに私の仕事が好評だった。気のせいか?でも本当なら本当に久しぶりだ。で、調子づいて難波の古本屋に寄ったところ、欲しかった本が極安で二冊も見つかり、ツイてた。たとえば、Rolstonの大判写真集『Big Pictures』が千円である。十数年前の洋書屋さんでは一万円を軽く超えたもので、手が出なかった。でも、このジョディ・フォスターが忘れがたかったのだ。
 映画クイズも静かにウケて、尊敬するサイトで言及されたのが嬉しい。答え合わせをすると、上級問題はキューブリック監督『現金に体を張れ』。犯罪映画の佳作ですね。時間の経過と緻密な計画に沿って事件が淡々と描かれます。中級はデュシャンとマン・レイが出演した『幕間』。本欄でもすでに04/05/24で触れました。初級は『ボビー・フィッシャーを探して』。出題の場面は、登場人物が、子供相手に歓喜をさらすわけにもいかず、気持ちを抑えながらクロックを調整しているところです。
06/07/10 紹介棋譜参照
 忙しい。ついまた仕事をすっぽかしてしまった。本欄も、まさか四日もさぼったとは。畏友も忙しいことが多い。「なるはや」が彼にしばしば要求されるとのこと。「なるべく早く」の意とか。
 それでもサッカーW杯の決勝だけは見よう、と起きてるところです。フォルツァ、イターリア。キックオフの前に一筆。フォロス大会についてまだ書きそびれていたことが残っていたのです。ハリクリシュナがベスト・コンビネーション賞を受けました。手数が長いので図を付けても解説しきれない。紹介棋譜に。アナンドにしても、サシキランにしても、インドの棋士は技が綺麗ですね。
06/07/05 紹介棋譜参照
 この際ですから、初級問題も出します。最高のチェス映画ですね。あえて、脇役の"モーフィアス"に出てもらいましょう。ここは大好きな場面です。
 羽生善治と森内俊之がフィラデルフィアの大会に出場していた。順位表には237人の名があり、羽生は5勝2敗2分で38位。森内は4勝3敗2分で88位。優勝は5勝0敗4分のカムスキーで、同点者とのブリッツに勝って決めた。
 羽生の惜しい引き分けを紹介棋譜にしよう。白番ながら、いささか元気の無い中盤で不利になった彼だが、黒が欲張ってくれたおかげで、図では逆転の一手が生じている。羽生は見逃さず、30.Rxe4と指した。黒fxe4なら白Nc6+である。以下、あと少しでグランド・マスターを倒す寸前までいったのだが、終盤で微妙にふらつき始め、最後は見落としがあって追いつかれた。森内からは敗局を選んだが、相手はユスポフである。偉大な棋士と指せたのだからむしろ名誉だと思う。相手の得意定跡で、9手目と10手目に珍しい手を指されながらも、Fritzで調べると24手までは好い勝負だったようだ。
06/07/04 紹介棋譜参照
 昨日の映画は上級問題だった。今日は中級問題を。ヒントは、右がアングルのバイオリン、左がヒゲの有るモナリザ。答え合わせは後で。
 フォロスの好局賞を獲ったのはマメデャロフだった。初日から白ルブルレフスキーに土を付けた一局である。紹介棋譜にしたので、決め手の好手はそちらで御鑑賞いただこう。それが序盤からの流れによって生まれた、という話をしたい。図はフォー・ナイトから、4...Nd4, 5.Ba4まで、たまに見る形だが、次の5...c6が珍しい。dポーンを使いたいのだ。で、6.Nxe5に6...d5と突き出した。これはさらに珍しい。以下、7.d3. Bd6, 8.f4. Bc5だ。ビショップを二度動かして、白f4を誘ってるところが面白い。狙いはキャスリングの阻止であり、それによって黒クィーンを白K翼に侵入させる構想も見ているはずだ。決め手がすでに用意されているところにマメデャロフの緻密さを感じる。
06/07/03
 フォロスの経過を語っておこう。3勝0敗2分で前半をリードしていたのはボロガンだった。第6Rに彼とルブレフスキーの対決があり、黒番を得意のQGAで勝った後者が同点に追い付いた。これが大きかったのである。陣立てが難しい一局だった。たとえば、図でルブレフスキーは15...Qg6と指した。決断が要っただろう。当然、16.Qxg6. hxg6と進んで、黒陣の方がポーンの形が悪いから。ルブレフスキーは引き分けを狙ってQ交換したわけでもない。むしろ、この方が黒駒に活力がある、と判断していた。クィーンが消えれば、白Ne4の変化が生じた場合、Chess Todayの解説を紹介すると、黒Ba6に白Rd1と逃げるよりないが、そこで黒Be2と入れる。で、なんと、白Rにはもう逃げ場が無い。
 セガール主演の「イチゲキ」に対局シーンがあった。でも今後は出題形式の方が面白いかな。では、この映画わかりますか?監督は「2001年」と「ロリータ」も撮ってるので、チェス族ですね。
06/07/01
 難波のジュンク堂でたくさん買った。でも本当のお目当てはたった一冊で、駒場和男『ゆめまぼろし百番』である。私は詰将棋愛好家ではないが、買わずにはいられようか。なにしろ、平成十八年にもなってようやく昭和にケジメが着いたのだ。若島正『華麗な詰将棋』には、「昭和の詰将棋史を作った作家をわたしの独断で三人選ぶとすれば、駒場和男・山田修司・上田吉一となる」とある。もうすこし引用を続ければ、「宗看の古典的な力強さをその極限まで押し進めたのが駒場和男」。まだ『夢の華』も『極光21』も出てない頃の文章だ。
 私は読めもしないコーヘン『連続体仮説』を持ってるほどの男だから、わけのわからぬ詰将棋の名著を揃えるくらいは平気である。が、作品解説を読みながら、作者の実現するとは思えぬ構想、信じられない途中図たちの出現に、素直に敬意が湧いてきた。私でも話せるような例を挙げる。たとえば第30番、20手までの局面と70手までの局面を比べてみよう。50手も進めていながら、本質の一点にしか違いが生じてないのだ。
06/06/30
 ウクライナはクリミア半島の最南端にある保養地フォロスで強豪を集めた大会があった。参加者はポノマリョフ、イワンチュク、グリシュク、シロフ、カリャーキン、などなど十二名。優勝は5勝1敗5分のルブレフスキー。初戦を落としたものの、3ラウンドから5連勝した。今年はずいぶん負けてる人なので、急に目が覚めた感じ。棋譜はこれから調べます。
06/06/29
 出張の6月がようやく終わった。慣れない仕事で疲れた。もっとも、明日から業務が楽になるわけではない。この間、たくさんの仕事が手付かずで溜まってしまった。Chess Todayだけでも30日ぶんほど読んでない。
 一件の出張につき、携帯で写真を一枚撮ることにしていた。典型的なのをここに遺しておこう。
06/06/24 紹介棋譜参照
 昨日は「ラ・パロマ」に興奮しているうちに日が過ぎて更新できませんでした。奇跡のような映画、と畏友に伝えたら、返信が「ええ、ミラクル」。ちなみに、ほかに二人の間でミラクル認定されてるのは「シェルブールの雨傘」です。
 レオンの早指し大会もとっくに終わってます。決勝はアナンド対トパロフで、結果は前者が1勝0敗3分で優勝しました。図は勝負が着いた第二局です。白の手番。ここからの数手で黒が難しくなったそうですが、まず26.Rfd3. Kxe5、そしてそこで27.Re3+ですと。私にはまったくわかりません。でも、27...Kf6, 28.Rd7となってみると、白はc7を取れるから駒損は回復できるし、何より二線を制してるので指しやすそう。ですから、黒は26...h4が正着だったとのこと。図から投了までを紹介棋譜にしておきます。わざとeポーンを取らせてから、e筋にルックを置くのが良いんですね。
06/06/22
 出張をすっぽかした。連絡先を間違って、行く予定も無い所に「行く」と伝えてしまっていたのである。自分が日に日に無能になってゆくのを感じており、これは始めの一歩としか思えない。
 松浦の話はおしまいにして、6月のチェス界を振り返ろう。まず、すでに九日も前にテンプラ騎士さんのブログで紹介されているが、クラムニクのインタヴューがあった。オリンピアードでのロシアの不振について、新世代が育ってないことを挙げている。治療は順調のようで、トパロフとのマッチに自信を持っている。勝つ理由として、これまでの対戦の感触を挙げた。歴史を振り返れば、カパブランカもスパスキーも、負けたことの無い相手に王座を奪われたのだから、あまりあてにならない説明ではある。けど、すべてをマッチに向けて充実してる雰囲気がうかがえるインタヴューだった。ドルトムントさえもマッチ準備の一環と考えている。反面、コンピュータ戦の訓練がおろそかになってるようだ。それで良いと思う。
06/06/21
 詩人だった頃の松浦寿輝が私は好きだった。ウサギのダンスを書き写しておこう。「いつも浅薄なことしか言わない」と飯島耕一が評していたのは正しい。そういうバブル経済期のポストモダンらしい魅力が彼にはあった。
 「八×八の迷宮」が最後に言及するのは、十九世紀と現代の空間の比較である。モーフィーが華やかなギャラリーの好奇と感嘆の視線の中であの一局を指したのに対し、現代の観戦者は「おのおの自分のコンピュータ画面を孤独に覗きこみながら、名人同士のゲームの進行を時々刻々モニターしつづける」。
 チェス棋士について松浦は、「王の位置の空白を充填すべく登場したあの『人間=主体』の一人だと言ってよい」と書く。明らかに『言葉と物』に言及した一節だが、要するに松浦は、棋士がそんな存在だった時代の終りを言っているのだ。たしかに、カスパロフの絶妙手が画面に映れば、われわれはオペラ・ハウスの貴族と似た興奮を味わう。が、その素晴らしさはコンピュータソフトの演算によって瞬時に評価されてしまう。むしろ、絶妙手の多くはソフトに予告さえされている。モーフィー的な「人間」の輝きはもはや無い。仮に、演算の評価を超える手が指されたとしても、われわれは熱狂するよりは、どう評価すればいいのか戸惑ってしまうだろう。ただ、それでも結構私は楽しい。そこが不思議だ。
06/06/20
 今日の出張が早めに済んだので映画を見ることにした。ぜひ見たいという作品は無かったので、軽いやつがいいと思い、「春の日のクマは好きですか?」を。そんな風に見るには最適の一本だった。主人公はごく普通の感じの若い女性で、図書館から借りた画集に自分へのロマンティックなメッセージを見つける。誰かに愛されてるらしいのだ。そして、メッセージには次の画集が指定されていて、それを借りるとまたメッセージが載っている。もともと夢見がちな主人公なので、どんな男が書いているのか気になって仕方が無い。そこに高校時代の同級生だった男が現れて、いささかユーモラスな展開になってゆく。いかにも韓国映画らしい田舎芝居は許せるし、また、ほのぼのと切ないフランス映画風の音楽がとても良い。
 チェスが出てる映画を今月もいくつか見つけた。まず、カサヴェテス「アメリカの影」。指しかけの盤駒がちらっと。でも、次のカットには無い。はは。それから、「引き裂かれたカーテン」。月に一本づつヒッチコックを今日までに四十本近く見て、ようやくここまできた。ちらっと映るだけだが、私には以前書いた「下宿人」以来の目撃である。
06/06/19
 書くことが溜まっているのだけど、この際だし、松浦寿輝のチェス・エッセイをあと一篇、紹介しておきたい。『知の庭園』所収の「八×八の迷宮」である。十九世紀のパリという空間について、モーフィーやルイス・キャロルのチェスを絡めて論じたものだ。
 久しぶりに読み返してすぐ、「オペラ・ハウスの戦い」に関する私の知識の間違いに気付いた。「オペラ座の局」と私が呼んでいたあの一局は、有名なオペラ座が建つ前のことだったのだ。しかも、この夜の演目は「セヴィリアの理髪師」と「フィガロの結婚」の"さわり"であったという。前に読んだはずなのに、私は「セヴィリアの理髪師」だけだと思い込んでいた。
 ジャック・ピノー『チェスの花火』にも「オペラ座の局」が紹介されている。かつて私は水野優さんのブログに、その一節「モーフィーはクラシックが好きで、『フィガロ』のイタリアバージョンを聞きにパリのオペラ座に来ていました」を引用して、ピノー氏に「何か深刻な勘違いがあるのでは」と書いた(昨年11月23日)。いまでも意味不明の一節だが、私の方こそ意味明白な勘違いをしていたのである。
06/06/18 紹介棋譜参照
 松浦「憂鬱」の論点は、シュタイニッツの開発したポジショナル理論に親しむことが「はたして面白いことなのだろうか」と問うことにある。「小さな優位をちまちまと蓄積する」理論の憂鬱さは、昨日ふれた楽天性と対を成す近代の側面なのだ、と述べている。確かにそうだろう。この憂鬱と楽天性の果てに「深き憂鬱(ディープブルー)」が到来したことは誰もが知っている。
 ただ、松浦の言う「理論」が想起させるのはシュタイニッツよりもタラッシュだ。シュタイニッツ自身の棋譜は「理論」で割り切れぬ不可解さを黒々と孕んでいる。先日たまたま原啓介氏のブログが、1889年のチゴリンとのマッチ第十五局を紹介してくれていた。図から15.Nxe5と取ったのがチゴリンの疑問手で、最後はシュタイニッツが勝つのだが、そんなことより、原氏の言うとおり、「黒のポジションは酷い。酷過ぎる」。しかし、これがシュタイニッツなのである。こんな局面から勝ちたい、と真面目に研究してしまう棋士を「理論」的であると呼べようか。私の目には倒錯期のロマン派とさえ映る。
 ところで、図での正着は15.Qb4だった。マッチが終わった後になってから、相談チェスでチゴリンとシュタイニッツはその手を試している。あまり知られてない棋譜と思うので紹介棋譜にしよう。度肝を抜かれるはずである。分析手順も含め、Steinitzの"The Modern Chess Instructor"から採った。
06/06/17 紹介棋譜参照
 今年二十歳、Dedijer嬢のトリノでの棋譜をチェックしておりましたら、左の局面を見つけました。白が彼女です。次の一手は36.g4。面白い。実戦は彼女の狙い通りに、37.g5、38.g6と進みました。この間、黒はナイトもルックも動かしようが無く、ポーンをd4とd3に進めただけ。もうわかりますね、38...hxg6に39.Nh4で詰めろです。Mansurの棋譜は残念ながら見当たりませんでした。ただ、「Mansour」が一局だけあって、これが彼女かもしれません。併せて紹介棋譜に。
 松浦の「シュタイニッツの憂鬱」を読むと、あたかもシュタイニッツが1866年の段階からポジショナルな棋風を確立しており、それでアンデルセンを破ったように書いてある。たぶん、実際に棋譜を並べることもせず書いたのだろう。
 それでも、シュタイニッツ理論の近代性に関して、「定石の実践を通じて、誰でも或る程度のところまで行けるという民主主義的な楽天性が」みなぎっている、と彼が指摘した点は紹介しておきたい。良い本を読んで良い情報を得れば上達できる、とは私に限らず誰もが思う。してみると、チェスではまだ近代が終わってないということなのか。
06/06/16
 ここ二三年のブログ流行のおかげで、英語情報を読む間が無くても、チェス界の出来事を日本語で気軽に知れるようになった。しかも、チェスの場合、読んでいて快適な文章が多いのが喜びだ。下記の出来事もチェスドクターの日々で知った。
 男性棋士Aと女性棋士Bは国籍こそ違うものの、メル友だったようである。そして、二人とも先ごろのトリノ大会に出場できた。そして事件が夜のパーティーで発生した。Aは見たのだ。Bとダンスしているアロニアンを。問答無用、Aはアロニアンをぶん殴ってしまった。
 思うのだが、これがアロニアンでなくて、たとえば同世代の、想像しにくいがポノマリョフだったらどうだろう。せいぜいAは二人に割り込んで引き離すか、軽く突き飛ばすだけだったのではないか。アロニアンには、どうも人をイライラさせるところがある。無論、彼が悪いなどというつもりは無い。ただ、彼の試合では相手が勝手に転んでしまうことが多い。彼の棋風と性格には通ずるところがある気がする。
 オリンピアードのような大会では美人棋士が話題になる。ボスニア・ヘルツェゴビナのSanja Dedijerとアラブ首長国連邦のMariam Mansur を見つけた。申し訳ないが、いつもの私と違って棋譜まで調べる余裕が無い。
06/06/14
 出張先から一時帰宅したところです。今日は5時半から会議がある。馬鹿げてる。もともと私は会議を回避することに痛痒も感じない者だったが、歳をとったか、そうもいかない気がしている。堕ちたものだ。出かける前にざっと書いておこう。
 松浦『散歩』には「ボビー・フィッシャーという天才」が収録されており、「世紀の局」の17...Be6について、「感嘆のあまり眩暈に襲われないわけにはいかない」と述べている。フィッシャーの「倫理」に最後は焦点を合わせており、文章の味まで紹介しきらないと意味が無いので、気になる方はお立ち読みを。
 『青の奇蹟』には、「シュタイニッツの憂鬱」と、河口俊彦を語った「『人生の棋譜』を読む人」が収録されている。河口についてこう述べている、「重要なのは、彼が将棋という盤上ゲームの帰趨に人生を透視しているということだろう。彼の文章はその一点において、単に指し手の解説だけで出来ている技術主義的観戦記から身を引き剥がし、文章の魅力だけで自立しうるもっと深い言語作品へ接近することになる」。私も同感だ、というより、松浦にしては物足りないほど妥当である。
06/06/13
 出張が続いて疲れました。実は我が死のロードはこれからが本番。嗚呼。
 帰り道に難波のジュンク堂に寄る。面白そうな本が一杯で、どかどか買い込んでしまった。高額購入者の栄誉"ドリンクチケット"を軽々とゲットできた。将棋本で買ったのは湯川博士『秘伝将棋無双』、門脇芳雄の監修である。江戸の好棋家が三人集まったという設定の仮想研究会で、伊藤宗看の作品を検討し鑑賞する。やさしめの第五十五番から始まって、神局と呼ばれる馬鋸の第三十番まで二十作を扱っている。
 チェス関連の本は、思想書の棚で見つけた。松浦寿輝の『青の奇蹟』と『散歩のあいまにこんなことを考えていた』である。前者を買った。著者は『知の庭園』でもモーフィーを語っている。
06/06/10
 日本通信チェス協会はそのニュースレター第2号を、昨年亡くなった早川茂男の追悼号としている。昨日の拙文に関して、この号の星野栄造氏の記事が参考になるかもしれない、と読者の方に教えていただいた。簡潔ながら、60年代の日本チェス界の事情がわかる、とても興味深いエッセイだった。ここに転載するわけにもいかないのが残念だが、坂口允彦夫妻の果たした役割がうかがえ、また数少ないチェスクラブだった横浜チェスクラブと東京チェスクラブにどんな会員が居たかとか、貴重な証言だった。将棋界とチェス界の縁が深かったこともわかる。私も畏友もこういう昔話は大好きなのだが、競技者としての交友関係を持ってないので、聞く機会の無いが残念である。
06/06/08
 FIDEの会長選挙に際しては、コクを推す人たちによる「Right Move」なる反イリュムジノフのキャンペーンがあった。Chess Todayもそれを支持していたが、結果はすでに述べたとおり。キルサンの再選について、当然ながらチェスの未来を憂慮する記事を載せた。特に強調していたのが、持ち時間の短縮によって、棋譜のレベルと対局条件が悪化することだった。
 畏友が神保町の古本屋で倉田操『チェス』(虹有社、1955年)を買った。『チェスの打ち方』ではないところがすごい。もっとも、彼が気になってこれを買った理由は、この本(1958年の第4版)に「"日本チェス連盟"の小冊子が入ってたんです」。"連盟"かあ。ただ、これは本の付録ではなく、「チェスセット付属だったのではないか」。私もそう思う。そして、これが「はなやま」製だったら畏友も気にすまい。裏表紙には「廣」とある。さあて、この会社は何だろう?御存知の方がいらしたら御教授くださいませ。
06/06/07
 畏友に教えられて今月は「将棋世界」を買った。河口俊彦の対局日誌が最終回なのである。「将棋マガジン」の頃から何年も私は愛読していた。棋譜鑑賞の目を養うという点で、私が最も影響を受けたのがRetiの『Modern Ideas In Chess』と河口の「対局日誌」である。
 いま力富書房版の『将棋対局日誌集』をぱらっと開くと、「おやつに西瓜が出た。みんな大好物とみえて、いっせいに横を向いて食べ始めた。一時休戦といったムードが対局室全体にただよう」、なんて一節に当った。味がある。対局室の面々とは、二上、米長、森安、勝浦などなど。二十年以上も前の話だ。
 ただし、私はここ数年の連載はほとんど読んでいない。「将棋世界」を買っても素通りすることが多かった。いま引いたような対局風景の記述が消えてしまった気がする。記述というより、そんな対局風景自体が消えたのかもしれない。棋譜解説にも棋士の人柄がうかがえない。これも、そんな棋譜自体が消えかかってるのかもしれない。最終回もそんな感じだった。

戎棋夷説