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羽生善治のチェス、対バシエ・ラグラーブ、対ショート

12/05/09
 帰省のついでは神保町めぐりを楽しみとしてきた。今回は田村書店で粒来哲蔵『孤島記』を買え、アカシヤ書店でLutes『Danish Gambit』を買えた。『孤島記』はたとえばこんな言葉でつづられた詩集だ、「島においては、水ほど貴重なものはない。だから水は三角形のハトロン紙に丁寧に畳まれて、島人の髷のなかに隠されている(略)ひどく渇いた場合は、島そのものを握りしめ、思いきり絞りあげればよい。てのひらの川をとおって水滴がおちはじめ、舌で受けとめるとそれは火のように熱いのだ」。
 私は三〇年も昔からコンピュータとの対戦によくキングス・ギャンビットを使ってきた。最近になってやっと思うに、見た目ほどスカッとした定跡ではないのが不満だ。ダニッシュ・ギャンビットならどうだろう、と思ったのである。大阪に帰る新幹線の中で定跡書を読みふけった。中原中也を連想させる酒癖の悪い戦法である。こんなんで勝てるんだろうか。キングス・ギャンビットの魅力だった気品が無い。まあ、せっかく覚えたんだから、とChess.com の早指し戦で試してみた。駒がビュンビュン飛び交い、互いにポカを連発して、心臓がバクバク、肝臓までプルプルした。これは楽しい。自戦記を残して事始の記念とする。
12/05/08
 連休は法事で実家にいた。嫁も自分の実家に大事をかかえており、私一人の帰省であった。おかげで、御茶ノ水と神保町で買った中古CDをたっぷり聴けた。アルバン・ベルク弦楽四重奏団によるハイドンの作品77の1が収穫だった。大阪に引っ越すときに残した棋書を読むのも実家の楽しみである。今回は二〇〇〇年の竜王戦を。藤井猛が羽生善治に勝って三連覇したやつだ。藤井システム全盛期で、通算成績でも羽生に10勝8敗で勝ち越した。当時の観戦記は「羽生藤井時代がこれからも続くか」を論じている。結論は、「藤井システムの成否にかかっている」とのこと。
 藤井が強い。終盤のカラさ、づぶとさが魅力的だ。第一局、羽生の3六歩で控室に当惑が漂ったそうだ。先手藤井優勢のはずだが、難しくなってしまった。▲同歩では△5六歩から△5五角の筋が嫌らしい。▲5九金引が筋のようで、△3七歩成▲同銀△8九飛成のあと△5七桂がきつい。藤井が指したのは▲5九金打だった。これなら鉄壁である。第七局にも、うなった。やはり先手藤井が優勢ながら、羽生玉はヌルヌルしていてつかまらない。例によって△6六角なんて意味わからない。これは詰めろなのか。後手の駒台はギラギラしている。しかし藤井は読み切った。必勝の一手は▲8六歩である。四十手ものあいだほったらかしにされていた、閑地の歩を取って補充したのだ。以下、△1二玉▲2四歩△2二金▲4三銀不成で、さすがの羽生もあきらめて形作りに入った。
 最近の藤井は終盤に崩れることが多いそうである。藤井システムも急戦に弱いという評価が下され、とうとうB級2組にまで落ちてしまった。原田泰夫の例もある。復活を願う。
12/04/23
 ショートのイヴェントに参加なさった方からメールをいただいた。「会場は南青山、クラブ兼イタリアンレストラン」で、一般客は四〇名弱くらい、快適な観戦状況だったらしい。二人に一台づつipad が配られて、局面はそれで伝わったそうだ。会場でも26.Nxc3 の局面で「ショートの勝ち」と思った人が多かった、とのこと。
 愉快な話もあって、観客から抽選で選ばれた数人がショートや羽生とブリッツを楽しんだおりのこと。対局者にはかの皇帝陛下もおられ、陛下の登録商標1.e4. e5, 2.Nf3. f5 が炸裂した。第一九世永世名人はぼそっと「なにこれ」とのたまわれたそうだ。
12/04/22
 すでに紹介したとおり、羽生とショートの対局があった。感想戦の様子をもとにざっと棋譜を再現しておく。結果は引き分け。これがいかに天晴か、いちいち説明しない。
12/04/17
 八海山をなめつつ、デュプレのソロでハイドンのチェロ協奏曲を聴いております。事情は察してくださいまし。
 こないだのクィーンズギャンビット2...Be6 の対局である。一時は負けを覚悟する棋勢であった。それをなんとか互角にした。一ヶ月半に渡る戦いの間に、書いては消した研究手順のうち、残ったメモだけで三二二五字あった。
 図は白番。引き分けを確信した局面である。正着はKf2 だ。わかりきっている。なのに、私はPf4 と指したのだ。
 持ち時間が一手につき三日もある対局で、相手がこんなポカを指すことは何度もあって、不思議だった。自分がやってみると、避けられぬ運命としか言いようのない神秘を感じてしまう。
 それでも原因を分析すれば、やはり、精力を使い果たした後に安心したのが、脳をゆるませたのだろう。無意識まで考えれば、もう負けて楽になりたくなっていたのかもしれない。
 こないだのFritz 氏との対局とあわせ、私が睡眠時間をけずってきた二局、どちらも負けてしまったわけだ。
 それにしてもハイドンは効く。馬鹿な自分を許せる別の自分が発生する気分だ。ベートーヴェンのピアノ協奏曲に激励されても場違いだし、また、モーツァルトを聴いてしまっては、自分がかわいくなるばかりで、自己憐憫のループから抜け出せないだろう。
12/04/16
 嫁の授乳期がやっと終わりそうになったので、もともと呑兵衛の彼女をねぎらうべく、私の愛飲していたシャトー・ラネッサンを買ってあげた。子供を寝かしつけ、親もうっかり寝てしまったけど、午前二時半になって目をさまし、台所にすわりこんで晩酌会を始めることになった。おいしくいただいて、また寝ようか、その前にtwitter を確認しておこう、と見たら、まるぺけ(maruX)さんがオンライン囲碁ゲームCOSUMI というのを紹介してくださっている。六路盤を試した。とても打ちやすく快適だ。私の囲碁は五級くらい。なかなか勝てない。「でわあたくしが」と上機嫌の嫁がヨロヨロと寄ってくる。すると、十級もないくせに負けず嫌いなので、いわゆる「猿」になりかかった。私は彼女を羽交い絞めするようにして寝室までひきずってゆくことになったのである。もっとも、私も人を笑えない。いくつか対策を練りながら眠りについた。翌朝、さっそくそれを試してみる。ようやく連勝できるようになった。殲滅にも成功したので、次は七路盤に挑戦したい。
 chess.com での対局から珍しい序盤を紹介しておこう。シシリアンで、図の4...e5 である。実は二度も出会った。私の白番はぜんぶで二〇局だから頻度が高い。黒は、b5 地点とd5 地点にスキがある、変な陣形だと思う。とはいえ、これをとがめるのが難しい。たとえば、普通に5Nb3. Nf6, 6.Nc3. Be7, 7.Be2 なんて指したら7...Nc6 で難攻不落のボレスラフスキー型になってしまう。5.Bb5+ が常識かなあと思うが、5...Bd7 以下、ドロー臭が漂ってくるのが気に食わない。実際、私がそう指した一局は引き分けであった。
12/04/04
 昇級を知らされた瞬間の橋本崇載について二月に書いた。後に竜王戦の観戦記でも書かれており、本人の言では「あれは高笑いをかくしていた」とのこと。そうかな。この観戦記は佐藤康光との熱戦だった。しかも勝った。こないだまでは羽生善治との観戦記だった。なんとこれにも勝った。おかげで橋本と山崎隆之が一組の準決勝で当たる。嫁のわくわくする組み合わせだ。そういえば、昨年もこの二人の対戦があり、感想戦でいささか「不穏な空気が流れた」のだった。11/07/06 を参照のこと。
 私のchess.com でのレイティング1800台の高揚は半月で終わった。昨夜に負けて1799になった。検討すると、私のポカ1手で決まったようだ。全30手のうち、相手の14手はInformant と同じで、15手はFritz と同じだった。勝てるわけがない。私は健闘した方だろう。敗戦の傷をいやすべく、八海山をなめつつ、ハイドンのチェロ協奏曲をふたつ聴いて寝た。ソリストはもちろんデュプレである。素晴らしい。これからは負けた晩はこの酒とこの曲に決めた。なんだか毎晩負けたくなってきたぞ。
12/04/01b
 一日未明、将棋棋士久保利明さんが将棋連盟職員にともなわれて原宿警察署に出頭した。器物損壊の容疑。将棋会館で使用する銀将の駒をやすりで傷つけていたところを職員に目撃された。取り調べに対して久保さんは、「すこしでも遅くしたかった」と意味不明の供述をしている。
12/04/01a
 四月からいよいよ定跡の配給制がスタートする。特定の戦法ばかり指す棋士にはつらい制度だが、「これによって棋譜の画一化が防げる」と将棋連盟会長米長邦雄は胸を張る。将棋連盟の職員は休日返上で各棋士に定跡券を送る作業に追われていた。今後、棋士は対局の際に自分が選択した定跡の券を記録係に渡さねばならない。たとえば、棋士一名につき矢倉券が年に九枚配給される。穴熊は三枚、超速は二枚。伝統的な振飛車を保存する狙いもあるようだ。藤井システム券はほとんどが未使用で返却される見通し。なお、昨夜になって、棒銀券がごっそり盗まれているのが発覚したが、「そっとしておいてやろう」ということになった。
12/03/24
 「ねえねえ!」と喜色満面で嫁が寄ってくる。鉄道ネタかな、アニメかな?「とちぎ将棋まつりで藤井猛が藤井システムを使ったんだって」。あんたがどこでそんな情報を?「その瞬間すんげえ盛り上がったんだって」。あ、わかる、いかん、目頭が熱くなってきた。なんつうか、竹千代が岡崎城に帰った時の松平家家臣団のような。「みなには長く苦労をかけた」「なんのこれしき!」「これからはみなとともにあるぞ」「およよよよ」。
 それより、奥さま、御相談が。「なに」。若島正という『ロリータ』の翻訳者にして現代詰将棋の第一人者がおられまして。「うん知ってる、漢字で書けるし」。それは話が早い。そのかたが、詰めチェスの世界大会を日本で開催しようと思い立たれたのです。「すげえ」。こういう夢と男気をわかってくれる女性と暮らせるのは幸福である。「で、寄付は一口いくらなん」。一万にござります。「何口したいん?」。関心のある方はProblem Paradise のページの「ご寄付のお願い」をご覧ください。特典ありです。
12/03/18
 やっと気が付いたよお。7...g6 には8.Qb3 ではっきりした優勢ぢゃないか。
 しばらくなりを潜めていた皇帝陛下がページの更新をなさっている。ショートの来日に触発されたとのこと。他のブログなどでも告知されてるとおりで、ショートは日本王者の小島慎也と、そして羽生善治とも指すとのこと。ショートはこのブログでも何度も登場した超A級の偉大な選手です。五期も続いた、カルポフとカスパロフによるタイトル戦に終止符を打ったのも彼です。御存知ないかたは、このページの左上の「HOME」からInformant Gallery を探して1991年と1993年の二局をご覧ください。素晴らしい棋譜(と解説)です。
12/03/17
 自戦記の第五局ができた。Yahoo Japan でチェスしていた頃はレイティング1800 の人と当たると、急に歯が立たなくなったものだ。この強い数字に憧れていた。まさか自分がchess com で到達するとは。荷が重いのは認める。参加する大会のレベルが上がって、以前とは比較にならぬしんどさである。おまけに個性的なメンバーばかりの組に放り込まれてしまった。フレンチに2.f4 を指したりする。クィーンズギャンビットに2...Be6 で応じる人なんて、どんな発心をしたのやら。しかも、各自にそれらを得意にしているらしく、上手に指しこなす。風変りな序盤に対しては、私はその特性を熟考するタイプなので、数局たて続けに熱中してると、頭が痛くなって、朝の四時になっていて、呆然とすることが二回ほどあった。とはいえ、この甘美な数字を維持して終わりたいのである。
 それにしても、2...Be6 にどう対応すれば良かったのか。私は普通に3.Nf3 から、相手の3...Nf6 に4.Ng5 を跳ね、図になった。以下、5...Qd7, 5.Nxe6. Qxe6, 6.cxd5. Nxd5, 7. e3 に7...g6 である。このフィアンケットの構想が賢くて、黒は破綻していない。白がいくらか良さそうではある。けれど、私に見落としがあって現在は互角の終盤戦だ。
12/02/27
 自戦記の第四局を作った。クラシック音楽については本欄よりもtwitter で書くようになった。トスカニーニのベートーヴェン九曲とか。また、今年はハイドンの全交響曲を早めに聴き終ってしまったので、職場までの冬散歩にはスカルラッティを聴いている。もう二十年くらいも昔になるか、友人に「スカルラッティが好きだ」と言ったら、「あんなの練習曲ぢゃん」と言われて、愚かにも「そういうもんなんだ」と引き下がってしまって以来のことだ。好きなものは好きなんだ、とやっと気が付いた次第である。twitter で書くこともスカルラッティの話題が多い。好きな曲は動画もリンクさせているので、いつでも見やすくしておきたい。まとめておくことにした。五十曲くらいは動画を集めたいものである。
12/02/20
 王将戦第三局の棋譜中継に感想戦の発言が追加されている。ヘンテコな読み筋を自信満々で披露する佐藤の絶好調が感じられる。
 嫁が『月下の棋士』にハマった、「最後の四巻は怒涛のように読み切った」。お気に入りは意外なことに大和天空だった、「人間味がある」。顔は花村元司がモデルかもなあ。すると、さっそく画像を見つけて、「こんな顔のおっちゃんがいたら、なんでもしてあげたくなっちゃう」。それがくせものでね、金将を隠し持って、ピンチになるとそれを使った人だぜ、盤面に五枚金だ。「将棋指しって碁打ちと比べて変なひと多くね?」。それは私も思っていた。碁界が舞台では『月下の棋士』の強烈な人物たちは生きていない。
 嫁は二月が誕生日だ。花束でも買おうかな、と思っていたら、「将棋を教えてください」。ペコンと頭まで下げる。すごいな『月下の棋士』。入門書を贈ることにした。アマゾンで『羽生善治のビギナーズバイブル』(一九九六)を探す。ところが、古書しか無い。「若い頃の羽生さんが表紙ならそれでいい」と言うので注文した。全三巻各八〇〇円が計一五〇〇円でそろった。「著者、羽生善治」というのは、どこまでほんとかわからない。良くできている入門書であるのはたしかだ。ルールや作法、初歩的な形勢判断などの説明がきめこまかく、まわり将棋や八枚落の解説があるところが気に入った。嫁はさっそくまわり将棋を試したいようだが、あれは盤駒がいたむからやだああ。
12/02/18
 佐藤康光の読み筋は人と違う。だから、NHK杯で解説しても、彼は予想手がぜんぜん当たらない。それを気に病んで、「みなさん、私のことを弱いと思われてるかと、心配で」なんて言ってる。将棋は異常感覚でも、自意識はいたって人並なのだ。たぶん、対局しながら、「これ変な手だよな、自分ぢゃ最善と思うんだけど、笑われちゃうかな」なんて、不調な時はおどおど指してるに違いない。そのあたり、インタヴューで平然とつまんない応答をする森内俊之なんかと比べればわかる。
 佐藤康光がそんな不安を持たず、我が道を行くときは誰にも止められない。どんな対戦者の個性も無意味になって、盤面の駒すべてが康光世界の花吹雪である。そんなふうに王将戦の久保利明は三連敗したところだ。昨日の第三局は佐藤の銀三枚が中央で久保陣を押さえ込んだ。終盤も桂桂香を中段に三枚並べ、慎重な検討陣の予想にはお構いなく、穴熊に突っ込んで久保を撲殺してしまった。
 自戦記の三局めを作った。相手は同時に一一七局も指している人だった。ほとんど考えないプレーヤーに違いない。
12/02/11
 二か月連続で「将棋世界」を買うなんて、十数年ぶりかもしれない。パラパラっとめくって、いきなり"orz"の形に私は突っ伏した。嫁がびっくりする。ざっと説明してあげた。「駅馬車定跡を知っていますか」というページがあって、あの有名な局面が載っている。それを見て、佐藤康光は「駅馬車定跡ですね」。森内俊之は「駅馬車定跡ですね」。谷川浩司は「有名な駅馬車定跡ですね」。ところが、渡辺明は「これは知りません」。久保利明は「これ、定跡ですか」。広瀬章人は「駅馬車定跡?」。ポストモダンってのはほんとに歴史が喪失されてしまうのだな。そんなことでは、君らの棋譜も忘れ去られてしまうのだよ。嫁が慰めてくれた、「ま、広瀬なんてゆとりだし」。
 Tactics Trainer はとんとんと一九九四に上げた。そこから私は図にのってしまい、ヤケにもなってしまい、一気に一八四六まで下げた。数字を年号に直すと、数分で平成六年から弘化三年までタイムスリップした計算になる。
12/02/07
 嫁は橋本崇載を応援している。しかし、彼がA級に昇格することまでは期待してなかったので、今期の結果にはぽかーんとしている。「A級ってどんな人がいるの?」、えーと、羽生、谷川、渡辺、「うんうん」、佐藤、郷田、「それから?」、ハシモト、「似合わねー」。さっき、嫁がニュー速の記事を見せてくれた。昇級を知らされると、「橋本七段は「えっ!」と驚きの声を上げて、しばし絶句。その後、ソファーに崩れ落ちた」とのこと。モニターで結果を確認する間も腰が抜けたままだった。昨年の橋本で印象に残るのは竜王戦で羽生を破った辛抱の一局である。あの頑張りを続ければ、何とかなるさ。
 私の方はレイティング一七〇〇台の維持はできる気がしてきた。一八〇〇を目指してみようかな。Chess.com では、駒をバラバラに並べて指すChess960 も指せる。試してみた。感覚が狂って見落としばかりする。さっさと投了してしまった。一方、Tactics Trainer は一九〇〇を超えた。次は二〇〇〇を目指す。
12/02/04 紹介棋譜3参照
 言うまでも無く、うちのテレビは嫁の支配下にある。サッカーをよく見る。嫁が熱く語る戦術や選手の特性などを、私は謹聴する。数年前、何の気まぐれか、彼女がプロ野球の日本シリーズを流したことがあった。久々に私が解説者だ。配球やバントは当然として、エラーのタイミングまで当てた。挙句の果てには、「もうこれはぶつけるしかないよ」と私が言うと、本当にデッドボールになった。高度成長期に少年だった男の野球眼を嫁は思い知ったわけだ。逆に言うと、私は一九九三年に始まるJリーグがまだ上っ面だ。
 子供の頃に将棋を覚え、成人してからチェスにはまった。将棋に比べてチェスがなかなか身につかないのは、そのためだろう。何度か書いてきたことである。図は自戦記の二局めから。次の一手は白Rd1 だ、これは私もわかる。けど、Rad1 なのか、それともRhd1 か。みなさんはどちら? 私はこの感覚が三〇年も指していてまだわからず、間違えた。悩まずに間違えた、というのがつらい。将棋なら、単純な局面で6七金右か金左かを指し狂う自分は考えられない。
 とはいえ、やっとチェスを会得できたような気分に浸れることも増えてきた。Chess.com を試したくなった理由はそれである。自戦記の二局め、こないだ書いた7.Nc4 から8.c3 は、実は一九九八年リナレスのアナンド対イワンチュクと同一局面だった。読者さんから御指摘をいただき判明した。私の新手ではなかったのだ。訂正いたします。反面、仕事を上の空にして出した結論がアナンドと重なったならうれしい。
 アナンドは6.Nbd2 から7.Nc4 だった。私は6.Na3 の局面に集中して、7.Nc4 から8.c3 を見つけた。自陣が板塀から石垣に変わったような感触を得たものだ。けど、リナレスの棋譜を私は目にしていた。6.Na3 の段階でそれが意識から落ちていたわけだが、「見つけた」というのは、うそではないにしても、言いすぎである。ただ、昔の私なら「感触」が無かったと思う。
12/02/03
 Chess.com にはTactics Trainer というコーナーがあって、「次の一手」を次から次へと繰り出し、その成績をレイティングで評価してくれる。時間制限があるので、正解しても減点されてしまうことがある。私のような高齢の長考派にはつらい。始めて二か月ぐらいだ。ぢわぢわと一八九四までレイティングを上げたところで足踏みしており、ここ半月ほど一九〇〇の壁が破れずにいる。設問がにくい。たとえば図はどうだろう。正解はNxf8 なのだ。そんな簡単な問題が出るとは思わず、Ne7+ やBe7 やQxh7+ など悩んでしまう。そして時間が過ぎる。逆に、簡単な問題だと思って安易に解答すると、間違ってしまうこともある。とても実戦的で良い練習だと思う。
 自戦記の二局めを作った。
 渡辺明や米長邦雄がコンピュータと指した対局料はどのくらいだったんだろう。クラムニクの時は、勝てば百万ドル、負ければ五十万ドルだった。『月下の棋士』には、チェスの元世界チャンピオンが生活に困って日本に来て将棋棋士になる、という話がある。これはいくらなんでもありえん。実話として存在するのも、むしろ坂口允彦のように将棋からチェスへの転向である。また、白と黒を間違ってチェスの局面を描いている絵がある。もともとうそっぽい見せ場を画力で押し切る漫画なのだから、しっかりしてほしい。
12/01/30
 王将戦の第二局はすごかった。不利だった佐藤康光が終盤になって泥沼流というか羽生マジックというか、久保利明を不可解な局面に追い込んだ。△3四玉あたりから混迷極まった。久保はテンションの高い手しか選べない心境になってしまい、▲2六桂△同歩▲同銀の詰めろ、そこで△1二歩がまたも予想に無かったはずだ。ここで一分将棋になり▲3六香を打つ。佐藤は△4三桂、これで逆転したらしい。もちろんこの時点でそれがわかった人は居ない。控室の検討陣は一手一手に仰天するだけだったようだ。
 私のChess.com の対局で思い入れのあるのを残しておこうと思った。まづ一局。レベルの低い棋譜だから、私の個人的なメモでしかない。対局時に考えていたことを保存しておきたかったのである。
12/01/29
 職場の私は戦力としてよりはしばしば占い師として期待されており、部署の違う女の子でも私に話しかけてくる。「あたし将棋始めたんです」と言うのがきた。昨年の夏である。八枚落ちで私の圧勝だった。二十分ほどだったか。それから二度ほど彼女を駅のホームで見かけた。いつも入門書を読んでいた。「焦点の歩が難しくて」なんて言う。いやいや、君は頭金と並べ詰みを覚えなさい、とアドバイスした。こないだ、久しぶりに挑戦してきた。再び八枚落ちでまたも私の圧勝。ただし一時間かかった。たがいに暇だったのだ。「角を6六に出せば簡単に9三に成れたよ」とアドバイスしたら納得していた。次は負ける気がする。
 親子三人で散歩した。一歳十ケ月の息子の歩む方向に従ったところ古本市場に着いた。何かのお導きであろう。私は『月下の棋士』全三十二巻を買い、嫁は『しおんの王』全八巻を選んだ。『月下の棋士』は連載の始めだけ読んだところで、私は職を得て生活が変って漫画を読まなくなって、そのまま十五年が経っていた。ついに読み終えることができた。
 全知全能の神と神が将棋を指したらどうなるか。小林秀雄がたしか『考へるヒント』で書いていた。『月下の棋士』は人間と神の対局がテーマだ。人間の代表が主人公氷室将介であり、神に近づく人としてライバル滝川幸次が描かれている。二人が対局すると、滝川は初形の駒を並べた時点で自分がたとえば五五手で勝つことを知っている。氷室がそれに逆らって別の手順を指したとしても、滝川は氷室がそうすることをとっくに読んだうえで五五手を用意している。実際は人は滝川のような視点に立つことはできない。巻を追うごとに滝川が人でなくなってゆくのは象徴的だ。氷室の立場は明解である。彼は言う、「ドラマを楽しむのによ…ラストから見始めるやつはいねぇだろ!?」。
 氷室将介は古くさい坊やだ。思想にせよ小説にせよ、いまのはやりは「ラストから見始めるやつ」である。メタレベルに立つやつ、と言い換えてもいい。「思ったとおりの結末だ」「これ死亡フラグが立ったね」、いまの多数派はそんなふうにドラマを楽しむのである。最近の私は毎日これについて考えていて、ひとまづの結論だけ書いておくと、この傾向の特徴は、情報と現実の区別が弱くなることだと思う。両者の区別は難しい。違いは無い、と考えるのがはやりでもある。情報を捨てることも難しい。私の書棚にチェスの本やCDはまだ増える。ほんとは抵抗したい。メタレベルに立つ占いは売れないから。
12/01/26
 手詰まりに陥ったボンクラーズの辛抱をほめる意見が多い。私も紹介した一人千日手の無意味な手順である。完封されてもやけを起こさず、無理に攻めたりしなかった。これについては、「ものぐさ将棋観戦」の「米長の押さえ込みが完璧だったので動こうにもさすがに動きようがなかったのかもしれないが」という解釈が正しいと思う。大山康晴はしばしば誘いの隙を作って、相手の手詰まりを解消させたものだ。そうして相手に攻めさせるのである。何局か見たことがある。あれは私の理解を超えていた。米長もそこまでは大山流を真似できなかったようだ。
 図は前回の続きで6...Nxd6 まで。定跡辞典に示された手順は7.Bf4. Qa5+ 以下互角。私には黒に不満が無いように見える。7...Qa5+ はシシリアンの良さを活かしている。これを防ぐなら、たとえば、7.Nb5. Nxb5, 8.Qxd8+ とすればいい。けれど、自陣c2 をNb4 から狙われる。Nxc2+ の両取りは痛い。ほか、図は、いづれ伸びてくる黒Pe5 が好形だ。
 ここはものすごく考えてへとへとになった。私が苦吟した新手は7.Nc4 である。相手は恐れず7...e5 を指した。これは取れない。それは私も読めていた。だから、ぢっと8.c3 で控える。これでQa5+ もNb4 も消せた。踏ん張ったつもりである。でもまだe5 の黒ポーンを消すという難題が残り、自分が白番とは思えない心境が続いた。
 6.Na3 は感心しない手だったのか。7.Nc4, 8.c3 の構想が貧弱なのか。まだ対局中なのでFritz で調べるわけにもいかない。ただ、次に3...Nf6 と出会ったら、もう私は4.Nc3 で普通の形にすると思う。タリによると、4.Nc3 の欠点は4...cxd4 をクィーンで取る意味が弱くなることだそうだ(The Magic of Mikhail Tal )。つまり、白はPc4 を指せない。もちろん、それを気に病む人は少なかろう。
12/01/16
 九年前の記事03/09/23 に私はとても自信を持っている。ソフト指しの歴史的な意味を最初に示唆したのはヘーゲルなのである。米長がインタヴューでファンに「尊敬」を乞うたのは、彼も意味を理解していたからだ。6二玉にせよ、インタヴューにせよ、久しぶりに彼は知性を示した。引退してから初かもしれない。ひととき彼は現役にかえったのだ。この対局前には「負けたら引退する」と言っていた。また元に戻るのかと思うと惜しまれてならない。
 図はChess.com の対局で3...Nf6 まで、私の白番。ここで4.Nc3. cxd4 から普通の局面に戻せば無難である。私はそれができないたちだ。4.dxc5 を指した。4...Nxe4 からが難しい。5.cxd6 に5...Nc6 という妙手がある。6.dxe7 は6...Qxd1+, 7.Kxd1. Nxf2+ が気になる。駒得になりそうだが勝てる気がしない。7...Bxe7 もある。定跡は6.Na3 だ。半信半疑でこの手を選んだ。相手は自然な6...Nxd6 だった。ここでどう指せばいいかわからない。みなさんなら?
 こないだの答えを。私はKa7 と指してしまった。白の次の一手はPa4 だった。たぶんこれで白が良いでしょう。
12/01/15
 仕事の合間にものぐさ将棋さんのtwitter をチェックした。ボンクラーズの▲7六歩に対し、米長は再び△6二玉を採用した、とのこと。今度は押さえ込みに成功したらしい。帰宅し、ニコニコ動画にログインすると、すでに感想戦が終るところだった。米長は負けていた。
 インタヴューが始まり、米長は「序盤は完璧だった」と述べた。が、見落としがあり、「万里の長城を築きながらそこから穴があいてしまった」。優勢を維持しようとしたため、「もっと安全に確実に」という気持ちに支配されてしまい、強く踏み込むタイミングを逸した。それが敗因のようだ。
 棋譜を並べた。△7二玉まで、たしかに後手が良い。コンピュータは手詰まりで、以下、▲7六歩△同歩▲同飛△7五歩▲4六飛△8三玉▲7六歩△同歩▲同飛△7五歩▲7八飛という無意味な手待ちを繰り返すしかなかった。逆に言えば、この辛抱を無表情で指せるところが機械のメンタルの強さである。
 初手△6二玉はボナンザの開発者保木邦仁に教えを乞うた手であることも明かした。この初手によって機械の苦手な漠然とした局面に導くのが米長の狙いであった。ヒュドラが登場するまでのチェスコンピュータに対する人間の、特にカスパロフと同じ方針である。△6二玉には、コンピュータに内蔵された定跡辞典を外す、という意味もあろう。それはカスパロフだけでなく、前回にふれたクラムニクの3...b5 とも通ずる。
 何を言いたいかというと、△6二玉は決して奇策やケレンではない、ということである。この点を米長は特に強調していた。前回の△6二玉を「奇策」と評した新聞報道への抗議である。私も報道は不愉快であったので、我が意を得たりという思いだ。
 米長はさらに言う、「大山康晴になりきって指した」。これも我が意を得たりだった。その一面はこないだ書いたとおりだ。「ただ」と米長は続けた、「私がミスをするのをぢっと待つボンクラーズも大山康晴のようだった」。ちなみに、とっくの大昔に大山は言っている、「コンピュータとは戦わない方がいい」。理由は「人間が間違えて負けるから」。
 最後に今後のことを。米長はこうも言った。「コンピュータはコンピュータとして進化すればいい。人間は人間として脳に汗して戦う姿でファンを感動させたい。プロ棋士をこれからも尊敬してほしい」。
12/01/13
 私のChess. com での連勝は十九でストップ。いいのさ、フィッシャーと同じだし。羽生王座だって十九連覇だし。
 米長邦雄とボンクラーズの対局日に仕事が入ってしまった。おととい、打ち合わせの会議があり、要領を得ない議事進行にうんざりして、私はずっとchess. com の対局をしていた。そのうちの一局は1.d4. d5 で始まり、私は当然の手順として2.c4 を指した。私のレベルの対局者の多くが2...dxc4 と応じる。この日もそうだった。さらに先の予想がついた。3.e4 に3...b5 である。ほとんどこうなる。
 くやしいのはここからだ。なかなか白勝ちの局面にならないのである。今回もそうだった。帰宅し、私のFritz 内蔵のデータで2000年から07年までを検索したら、なんと白黒互角5勝5敗2分ではないか。3...b5 は私の知る限り最も勝率の良い疑問手である。有名な試合ではクラムニクが一手詰めを見落としたDeep Fritz との第二局がある。黒が負けたものの、06/12/04 に書いたように、本来なら黒ペースの引き分けだった。
 みなさん、会議中に対局してはいけません。その一局で私は優勢をだんだん悪くし、連勝が途切れました。図が逆転した局面。わが黒王の逃げ場は二か所。落ち着いて考えれば間違えなかったよなあ。みなさんならKa7 ですか、Kb8 ですか。
12/01/08
 今年初めての囲碁将棋フォーカスのゲストは加藤一二三だ。御歳七二の年男、しかも誕生日が一月一日というおめでたさ。最高にふさわしい人選である。嫁と大喜びして画面に見入った。神武以来の天才は、美人二人にはさまれ、さっそく年齢と誕生日を話題にしてもらい、照れ照れである。嫁がもだえている、「なんてカワイイの」、そして叫び出した、「似てる、、、ミニラだ、ミニラ!」。
 いま王将戦第一局を見ながら書いていた。後手久保利明王将の中飛車に対して、久々のタイトル戦登場佐藤康光は、、、え? ▲5七玉ですか。5六の一歩を救うために王様は九十九匹の羊を捨てて駆け寄った。ひふみんといい、やすみつクンといい、私は棋士が大好きです。追記。佐藤は勝った。
12/01/06
 北斗星の感謝状は生前に授与されたものだ。彼の命日が近い。一月二一日だ。しかも今年は没後五〇周年にあたる。
 オペラ座の局と同じ進行になったこないだの対局は私が勝った。相手の大ポカのおかげである。実は一時は私が指しにくい形勢だった。7...Bc5 のあと、8.Bxf7+. Kf8, 9.Nc3 そして10.0-0 と指した。これで駒得のうえ余裕の展開、と思ったのが甘かったらしい。7...Bc5 は好判断だった。
 図の7.Bc4 までの局面を手持ちのMega Database 2003 で検索したら、五二局あった。白の四九勝一敗二分である。黒にはレイティング二〇〇〇以上の人が二人いた。モーフィーがもう一局、この局面を指しているので驚いた。ハルウィッツとのマッチ第八局である。忘れていたよ。
 ハルウィッツは7...Bd6 だった。私の対局と似ているようで、違いは大きい。8.Bxf7+. Kf8 のあと、モーフィーは9.Bg5 から10.Bh5 だった。私もこれは読んだ。しかし捨てた。私の場合は9...Bxf2+, 10.Kxf2. Nxg4+ から11...Qxg5 をくらってしまうのである。7...Bc5 が好判断だったと思うゆえんだ。
 それにしても、なぜ私もモーフィーも9.Qxb7 を指さなかったのだろう。
12/01/04
 昨年は私事で二十二回も新幹線に乗った。伯父が亡くなった事情が大きい。その家の墓のすぐ斜め後ろが菅谷北斗星の墓だ。神奈川県小田原市曽我谷津の法輪寺である。子供の頃から私はそれが誇らしかった。碑文をここに書き写しておく。改行を示す記号として句読点を使った。「感謝状、菅谷北斗星殿。貴殿ハ多年ニ亘リ棋界ニ深イ理解ト愛情ヲ寄セラレ苦難ノ時ヨリ三十有余年観戦記文学ノ創始者トシテ全国ノ将棋フアンニ親シマレ棋界ノ隆盛ニ寄與サレタ功績ハ多大ナルモノガアリマス茲ニ記念品ヲ贈リ感謝ノ微意ヲ表シマス。昭和三十四年七月二十一日、日本将棋連盟、會長加藤治郎」。
12/01/03
 年末は帰省先で「将棋世界」を買った。twitter で評判が良かったからである。血族が紅白歌合戦を見ている傍らで、私は竜王戦第五局の観戦記を読み、これで昨年の棋譜の並べ収めとした。小学二年生の甥が興味を示して寄ってくる。将棋を知らない子だ。どうぶつしょうぎを教えることにした。将棋盤を3x4のマス目だけ残して紙で覆い、王将をライオン、飛車をキリン、角行をゾウ、歩兵をヒヨコにした。甥はたちまちルールを覚え、熱中した。
 新年の指し初めに私はいつもオペラ座の局を使っていた。近代チェスのさきがけの名局を年の始めに並べるのは良い気分だ。今年はそれをせず、Chess.com の対局が私の年頭の一局になった。ところがである。私の白番でさらさらと進み、数分で図の局面が現れてしまった。「いつもどおりになさいよ」とCaissa にたしなめられた気分だ。実は私は図の局面を経験するのは二度目である。一九世紀から今にいたるまで、中級者にありがちな流れなのかもしれない。今回の相手はレイティング一六〇〇台で、ここで初めて長考し、指したのは7...Bc5 だった。
 帰阪してさきほど聴き初めの儀もとりおこなった。今年はハイドンの弦楽四重奏曲作品1の6をウィーンコンツェルトハウス弦楽四重奏団で。十二枚組CDの一曲目である。今年はこのハイドン弦楽四重奏曲集を月一枚づつ聴くつもりだ。作品1を聴くのは十年ぶりくらいか。作風の定まらない初期作品だから馬鹿にしていたのである。久しぶりに聴いて悪くなかった。何より演奏が素晴らしい。ぬるい芸風という印象があってあまり聴かずにいた弦楽四重奏団だったけど、しみじみうまい。いまは残り四十四曲が楽しみ。たぶん一九五一年録音。
11/12/26
 米長邦雄とボンクラーズの前哨戦があった。結果は機械の圧勝。十月から米長はしっかり準備していた。彼は自分のページに書きとめていた。毎日このプログラムと対局する。最初の頃は、「1手30秒で指しています。相変わらず勝率は低い。というよりも殆ど勝てません」。若手を集めた米長道場まで再開する。十二月に、「ようやく勝ちパターンが分かってきた」という発言が現れた。「必殺技」の一手も得たとのこと。ただしかなり変な手なので、「指せば何を言われるか分からない」。でも指したい。初手7六歩に対する6二玉である。前哨戦でこれが試された。ボンクラーズも変な手で応じた。四間飛車から角を8八に置いたままの7七桂である。米長の狙いが当たったようにも思う。しかし、米長陣は右辺に偏りすぎ、その欠陥を突き、ボンクラーズの飛車があっさり成って、勝負は決まった。6二玉に関する米長の敗戦の弁は、「立派な一手と今でも思っています」。twitter での評判を見ると、米長に対する揶揄や失望、悲嘆、憐れみの声が多い。私は大山康晴を思いだしている。彼は初手合の若手に惨敗することがよくあった。そうして相手の力量を見極めるのである。米長も同じことをしているに違いない。つまり米長は本気なのだ。自分を支えた前世紀の勝負哲学を賭けているのである。
 Chess.com は初戦に負けて以後は十六連勝中である。まだ自分に合ったレベルが見つかってないらしい。レイティング一七〇〇台までは上がりそう。Yahoo Chess で指していた頃と同じ数字である。FIDE のレイティングと比べると、中級者にとっては三〇〇くらい甘い勘定ではないか。さて、ハイドン交響曲全曲感想記はやっと完成した。来年に聴き直す時に読み返す楽しみができた。私の場合、音楽、特にハイドンに関してはこんな風に自分自身と対話するより無い。音楽に限らず、いつも不思議に思うのは、こういう個人的な文書は公開する形に仕上げる必要があることである。来年は弦楽四重奏版を作りたい。
11/12/21
 観戦記によると、丸山は最後の見事な渡辺の中合いを食らうまでは自分の勝ちだと思っていたそうだ。
 端歩が手損である好例を、現在進行中の対局からひとつ。図は私のQb3 まで。黒はBg5 を警戒し、キャスリングを後回しにしてPh6 を指している。おかげでf7 地点が危ない。黒はやっとここで0-0 を指した。もちろん私はBxc6 だ。以下、黒Bxc6 白Qxb4 で白駒得である。Ph6 なんてやめて、一手早くキャスリングしておけば問題無かった。
 大会参加者のうち一番レイティングの低い私がいまのところ絶好調である。対局相手のみなさんは、敗勢に陥っても誰も投げない。図の対局は現在、QR交換まで私の駒得が広がっているが、相手はドローを申し込んできたりして余裕綽綽である。日本のネット将棋も低段者はこんな感じなんだろうか。私なら大差の対局は粘らずさっさと投了して、反省の時間を確保するなあ。
 ハイドン交響曲全曲感想記は難航している。これまで好きになれなかったザロモン交響曲の奥深さがやっとわかった。感想記なんて何の役に立つのか、というと、こういうことである。ザロモン交響曲はそれ以前のとはぜんぜん違う。楽譜も読めない素人には手に余り、何度聴き直してもつかめない。なんとか前半の七曲まで終えた。あと六曲。
11/12/18
 竜王戦の新聞観戦記はまだ第四局である。渡辺の三段ロケットが完成したあたりで、丸山の激しい嘔吐がトイレに響く描写があった。重圧を思う。もちろん嫁の反応は、「食べ過ぎやろ」。
 Chess.com では似たようなレイティングの者同士を集めた大会がたくさん開催されている。そのひとつに参加した。三日以内に一手指すという条件で、五人を相手に白番黒番二局づつ計十局を一気に始める。けっこうきつい。まづ、やる気を無くした者が条件をクリアできずに数手で脱落していく。私などのレイティングの低い対局ではよくあることだ。
 これまで何局か指した印象を言うと、Nb5 やBg5 などを異様に恐れて端歩を突く人が多い。将棋と同じで端歩は手損につながる。私のように位取りや展開力を重視する者にはとてもありがたい。図のように極端な局面が何度も生じる。以下、私の手順だけざっと書くと、Pe5 -Ne4 -Nxd6+ -Nxf7+ -Nxh8 で楽勝だった。
 先月の二五日に若島正が深夜のtwitter で、チェスや将棋などで愛読した二十冊を選んでくれており、最後まで見届けたくて寝る気になれなかった。ヴァン・ダイン『僧正殺人事件』については、これを「挙げなくてはいけないのだろうな」と前置きしてから、「Troitskyの有名なエンドゲーム・スタディを改作というか改悪して小説の中に埋め込んだ経緯に興味あり」。有名な、って何だ。検索したら、Novoye Vremya (Nowoje Wremja), 1895 発表のものだとか。これがなかなか見つからない。手持ちのTroitskyの作品集にも無い。見落としたかも。別の本をいろいろ探して、やっと『1234 Modern End Game Studies』(Dover)の一六〇番がそれらしき一品かな、と思った。また間違えるといけないから図にはせずにおく。
11/12/04
 私はチェス選手の棋風を分析するのが上手だった。たぶん将棋でもできると思う。渡辺明の棋風について、「局面をよく読んで、それに自信を持つ、というか、それに賭ける」と書いたのは去年の十二月だ。けっこう早い例ではなかろうか。今期竜王戦で似た観戦記をネットや新聞で見かけるようになり、ひそかに得意である。今期の渡辺は強かった。丸山忠久を四勝一敗で下して八連覇だ。四勝はどれも完勝であり、敗局だって五勝〇敗と言ってもいいような内容だった。防衛が難しい棋戦として知られる竜王戦で、これは偉業だ。渡辺はいつまで強いのか。このままでは三十代で落ちてしまうはずだ。年齢を考えれば、よく読めるのはあと数年だからである。この数年のうちで美意識を鍛えるべきであろう。
 ハイドン交響曲全曲感想記は九四曲を終えた。あとはザロモンセットを残すのみ。
11/11/19
 記事の訂正をいたします。私の記憶が混乱しており、昨日の11/11/18の記事に大きな事実誤認を生じてしまいました。ご迷惑をおかけしてしまったかたからご指摘をいただき、この記事を削除した次第です。この記事を御覧になったかた皆さんにお詫びいたします。当該記事を読まれていないかたにも影響があるかもしれない記事でしたが、そのようなことがありませんように、と願っております。
11/11/11
 いろんなブログにChess.com の話題があって、私も入ってみた。ネットで郵便チェスをするコーナーが気に入った。一手につき三日とか、思考日数を選べる。一日一手の設定で実際は一時間で勝負がついたりする。そんな場合でも、子供の夜泣きが始まったら席を立てるのがうれしい。持時間一〇分のネット対局ではできなかったことだ。
 図は一時間で終わった例。黒番の私は王頭をほったらかしてQ翼から攻め込むことが多い。この攻めが、自陣の弱いK翼を遠くから守っている、そんな神秘的な関連が生じたら最高だ。実際は一回も実現したことが無い。必ず負ける。本局もその典型だ。1.d4. d5, 2.Nc3 の開始から図11...Qxa2 まで、我ながらすんなりQ翼を攻略したつもりである。いかにもフランス定跡の経験が生きた形をしている。けれど、12.Bh5 とされて簡単ではなかった。12...g6, 13.Bg4 のあとがわからない。13...Na6 からNb4 という構想は悪すぎた。ポカも出て惨敗した。図のような展開を好むのは悪いんだろう。
 ハイドン交響曲全曲感想記は歌劇中心の過渡期まで終えた。残り三〇曲ほど。
 交響曲「告別」を聴いたことが無くても、終楽章のエピソードを知ってる人は多いだろう。Blue Sky Lable でシェルヘンの厳粛な演奏を聴き、永年の疑問についてあらためて考えた。このサイトの席主ユング君の解説で、二〇〇九年のニューイヤーコンサートでのバレンボイムが酷評されている。「猿芝居」とは手厳しい。You Tube の映像 を見つけて、同君の言いたいことはわかった。
 人はあのエピソードをハイドンのユーモアとして紹介する。実際はさびしい音楽だ。私はそう聴いてきた。私は現場の異様な雰囲気を想像する。ハイドンから話を聞いて書かれたディースの伝記にも、「侯爵と、居あわせた人々は、驚きのあまり沈黙を守っていた」とある。驚きのあまり?怒りのあまりではないか。別荘生活を楽しんでいる主君に対して、無礼にもほどがある音楽であり演出だ。これを最後は笑って許した侯爵は立派である。そうせざるをえないだろう、と読んだハイドンもすごい。反面、立派過ぎ、すご過ぎて、信じがたい。そこが釈然としないエピソードなのである。「猿芝居」を見て私が思ったのは、「これなら笑って許せる」。これが真相だったのではないか。
11/11/06
 嫁が怒鳴っている。続いて一歳半の子供の泣き声が聞こえた。どうやら、子供があんまりまとわりつくので嫁が爆発したらしい。なだめなきゃ、と思ってその部屋に入ると、嫁の激怒は私に向けられて、「あなたは職場に行けば楽でしょうけど、あたしは二十四時間子供と一緒なの!」。え、そうなのか、職場は楽なんだ。しばらく子供と散歩して帰ると、嫁の機嫌が回復しており、「これも幸せやろ、子供とあたしのハッピーセットや」と言う。どういう意味か、と思っていると、「なくどなるど」だそうだ。味なこと言う。
 ものぐさ将棋さんの連投twitter に、Blue Sky Lable で聴いたシューリヒトのベートーヴェンが「実に軽い明晰なベートーヴェン」と評されている。つられて聴いてみた。その通りだと思った。「軽さの中に高い知性、智慧、センスを感じるという類の演奏である。現代的な演奏に欠如している何かを感じさせる」。落語や歌舞伎について昔を知る人が、「志ん生は良かった」とか、「先代の方がうまかったねえ」なんて語るたびに、若い頃の私は「こんな年寄りにはなるまい」と思ったものだ。それでも言いたくなる。現在の指揮者と音楽評論と文芸評論は知性も智慧もセンスも失った。ラトルやゲルギエフを私は一枚も持っていない。音楽評論も一冊も無い。
 それにひきかえ、感心するのは将棋とチェスで、升田大山やボトヴィニク・スミスロフの時代に負けない魅力のある棋譜を、羽生やアナンドは生産している。昔と今とどちらが強いか、なんて問題にならない。升田は現代の奨励会では問題を起こして退会させられるだろうし、豊島が関根名人の修業時代に生まれていたら餓死しているだろう。
11/11/03
 古いチェスファンなら誰でも知ってることを確認しておく。同時対局でという条件なら、東公平がラルセンと引き分けている。ラルセンこそ世界最強クラスの強豪である。棋譜は『ヒガシコウヘイのチェス入門』にある。手元に無くて記憶で書くと、駒数をとことん減らすまで戦い抜いた。将棋でたとえれば三浦弘行との多面指しで、アマチュアが持将棋になるまで頑張ったようなもんだ。それから、九年前の国際将棋フォーラムでは、2004 と 2005 にフランスチャンピオンになるロチェが、羽生森内佐藤の三人と同時対局をしてくれて、森内が引き分けている。羽生と佐藤は負けた。棋譜は05/07/09 の紹介棋譜に。
11/11/01 紹介棋譜2参照
 ものぐさ将棋さんとtwitter で意見交換していてふと思いついたのは、「駒損しても局面全体を支配する、という羽生独特の大局観は、チェスではありふれたもので、もしかしたら、チェスに凝る前の羽生には無かった棋風かも」。
 この一局は多くの人がすでに発言している。新聞報道の威力である。棋譜の出来栄えとしては、六年前のウェルズ戦とか、四年前のニコリッチ戦の方が衝撃的だ。また、今回の対戦相手も、新聞やネットが騒ぐほどの実力差のある相手と戦ったわけではない。長いファンなら知っているはずだ。羽生なら引き分ける力は充分持っていた。「持っていた」のではなく、いまだに「持っている」ことが、今回の私の喜びである。参考までに言っておくと、八年前にベンジャミンと引き分けた真剣勝負のレイティング差も三二二あった。
 森内の頑張りがあったことも忘れてはならない。素人には形勢判断の難しい戦いに進め、中央のポーンを捨てて、敵王に直接襲いかかる。強豪相手にはなかなか成功しない構想を、森内は実現させた。図の15...Qh4 がその瞬間である。わかりやすく書くと、白Nxe4 なら黒fxe4 白Bxe4 黒Rxf2 で白陣は崩壊である。バシエ・ラグラーブはf2 地点を放棄して16.0-0-0 と早逃げするしかなかった。なのになぜ負けたのか、私の棋力ではわからないほどには、これも惜しい一戦であった。
 同時対局だから、バシエ・ラグラーブは羽生だけでなく、森内とも難しい戦いを強いられていた。これが彼の集中力をいくらか奪って、羽生の助けになったろう。記録は記録であるし、それをそのまま新聞が伝えることに恨みは無い。羽生がチェスを指せることを知って、人が騒ぐのもよい。長いファンとして私が記憶したい内容は、羽生ひとりではなく、森内とのふたりがかりで得た引き分けではないか、ということである。
 たまにはクラシック以外の音楽を。カルテットならぬフォーテット(Fourtet)ってご存知でしょうか。たまたま「There is love in you」というのを一枚買って気に入ってます。
11/10/31 紹介棋譜1参照
 強かったころで初段くらい、1400くらい、と書いて思うのは、よく閲覧する将棋やチェスのブログの中で、私がいちばん弱いことである。恥を知らぬほどの弱さだ。「弱いくせに偉そうなことを書くな」と言われたことは無い。将棋中心のブログではこうはいかなかった気がする。チェスファンは温かい。
 今月は忙しかった。休める日がほとんど無く、昨日の日曜も仕事で、それが済んでやっとひと段落だ。帰宅して熱が出て寝込んだ。翌朝に目が覚めると、嫁の第一声が、「羽生さんがチェスですごいことしたらしいよ」。飛び起きてネットを確認すると、ものぐさ将棋さんを通して、小島慎也ブログに棋譜があることを知った。紹介棋譜に。
 パリ近郊で開かれた国際将棋フォーラムで、バシエ・ラグラーブに対し、羽生善治と森内俊之が同時対局を挑み、森内は敗れたものの、羽生は引き分けを得たそうだ。いやもう、惜しいったらない。図でQe7+ から即詰だった。将棋でいえば並べ詰みに近い簡単な手順である。変化手順に含めておいた。実際に指されたのは確実に駒得するQxc2 だった。それでもまだ優勢だったと思うけれど、羽生が選んだのは連続王手の引き分けだった。「チャンスがあったと思ったが、時間がなくて読み切れなかった」とのこと。中盤はキングをごそごそするしか無いほど縛りあげられた非勢だったので、仕方なかろう。あれをよく耐えた。
 これまで羽生のチェスをずいぶんアップしてきた。記憶にあるだけで、05/07/09、05/10/25、06/05/02、07/05/15やその周辺である。今回は久しぶりだ。腕があまり落ちてないようでうれしい。
 名曲率の高い調ってあるのかな。『名曲名盤300』で調の書いてある曲を数えてみると、長調ではニ長調(21曲)とハ長調(17曲)が多い。次がイ長調(13曲)と変ロ長調(12曲)で、ト長調と私の変ホ長調(ともに10曲)がそれに続く。短調では、ハ短調(14曲)と二短調(13曲)が多く、ホ短調(9曲)が続く。あらためて私の選んだ100曲を確認すると、ニ長調がほとんど無く、ヘ長調が多いのが変わってる。うーん、やっぱ理由がありそうな。
11/10/29
 初段くらいだった私は相矢倉が得意だった。中原米長加藤の全盛期に彼らの棋譜を並べる機会が多かったからだろうか。それより、端歩や飛車先、玉を囲う速度、角の位置、等々諸要素の兼ね合いを見計らって、3筋歩交換のタイミングを狙ったり、端から攻め込んだり、そんな構想を立てるのが性に合っていたのだ。性に合う、アマチュアの多くはこの程度の理由で得意戦法を決めてるのではないか。また、レイティング一四〇〇ぐらいだったろう私はフランス防御が性に合っていた。序盤の不利をこらえて追いすがる感じが性に合っていたのである。
 音楽と比較できることかどうか。07/05/21 で好きなクラシックを百曲選んだことがあった。そのとき気づいたのである。私は変ホ長調が性に合うのだ。好き嫌いとは違う。いわば音の血液型に違和感が無く、曲が私の毛細血管にしみこんでくる。以来、そんな気分になった曲に会うと調を確認する。すると、かなりの確率で変ホ長調なのである。こないだもBlue Sky Label でケンプのベートーベンを聴いていて、ソナタ第十八番冒頭近くの可愛らしい主題にあたり、「ああ久しぶり、なつかしい。こんな曲があったなあ」と思ったら、やはり変ホ長調であった。私に絶対音感は無い。でも、何かが変ホ長調に反応しているような気がする。将棋やチェスと違って、説明できないのが残念だ。
 将棋のブログやtwitter でBlue Sky Label が言及されてるとうれしくなってしまう。ここの席主のユング君さんも将棋ファンのようだ。おかげで私は古い録音を聴く量が増えた。ふと、大好きなリパッティが気になった。彼は一九三三年のウィーン国際ピアノコンクールで二位になっている。一位にすべきだ、と主張していたコルトーは憤然と審査員席を蹴って出た。で、誰が一位だったの? 急に気になったのである。検索してもわからない。たいした才能ではなかった奴なのか。やっと、ポーランドのボレスラフ・コン(Boleslav Kon)が見つかった。 知らん。コーン(Khon)かもしれん。一九三二年のショパンコンクールでは三位に入ってる。さらに検索を続けると、精神を病んで一九三六年に自殺していた。録音は残っていないようだ。ウィーンの結果に話を戻すと、三位は該当者なし、四位はルーマニアのソフィア・コスマ(Sofia Cosma)だった。彼女はこの後に七年間もソビエトの収容所に送られて大事な時期を失ってしまう。九年という話もある。その後、祖国に戻り再び演奏を始め、アメリカに渡り、今年の二月に九十六歳で亡くなった。不運になる人ばかりのコンクールだったのである。三位が居なかったのは軽い救いだったかもしれない。
11/10/24
 本が届く。カスパロフの自戦記"Garry Kasparov on Garry Kasparov: 1973-1985" である。Everyman Chess から出してる大河シリーズの十冊目だ。何冊出るのだろう。いまさら買うのをやめるわけにはいかない。これから全巻を集める人よりは救われている、と考えよう。03/07/21 には、当初は全三巻の予定だったと書いてあり、それが五巻に増えたと知り、その程度で当時の私は当惑している。
 幼い頃の回想から始まる。七歳の年に父を亡くしている。父は子に会おうとしなかった。元気な姿の自分を覚えていてほしかったそうだ。幼かった自分をカスパロフは回想している。学校では「父は仕事で遠くに行っている」と言い続けていた。そして「突然」と書いている、「父がもう居ないことに気づくことになる」。亡くなった父と同年齢の彼は父親とそっくりだったそうだ。一種の再会であろう。
 棋譜は十歳から始まる。後の王様は図で18.Bf6. Bg6 そして、19.Bxg7 である。19...Kxg7 に20.Rxc2 だ。さらにRcd2 からPh4 で攻めが続いた。
 こないだBlue Sky Label を教わってから毎日いろいろ聴いている。ケンプの古い録音は素晴らしかった。格調高く優雅なベートーヴェンである。若い頃に私は彼が還暦を過ぎた録音ばかり聴かされて印象を誤った。あるいは、私が歳をとってケンプを好きになったのか。リリー・クラウスも五〇年代の録音のモーツァルトが素晴らしい。気まぐれのようでいて絶妙である。六〇年代の録音ではいけない。調べたら彼女は第二次大戦で日本軍の捕虜になって強制労働をさせられていた。指いためませんでしたか?なのに、戦後は来日して日本を大好きになってくれたそうだ。
 ハイドン交響曲全曲感想記は疾風怒濤期まで終えた。残り五〇曲ほど。

戎棋夷説