紹介棋譜 別ウィンドウにて。
HOME
現在に戻る
フィッシャー問題大団円、ドスエルマナス、カスパロフのインタヴュー。

05/04/19
 昨日の5局が懐かしく、何度も並べ返してました。素晴らしいですね。このインタヴューでも当時のチェスと今を比べてました。1986年の王座戦は意思決定やその過程の質の高さにおいて今の棋士達を凌駕している、という意見。
 他にもいろいろな話がありましたが、いちばん驚いたのは、「過去を振り返って後悔してることは」と尋ねられた答え。彼が挙げたのは、FIDEと決別した1993年の王座戦でした。「1993年だ、どうしたって。あれは間違いだった。FIDEが腐敗してたにせよ、彼らと交渉するのが、話の進め方として最善だった」。
05/04/18 紹介棋譜参照
 カスパロフのインタヴューの二回目が出た。最初の話題は自分で選んだ名局。数え挙げれば250局を超えてしまうとのこと。『Predecessors』の九巻と十巻で詳説してくれるらしい。「こんなに多くても集めるのが難しいとは思わんよ、いやホント」。あまりにごもっともです。今回、彼が愛着を持って挙げたのは8局。そのうち、
  Kasparov-Anand, New York(m/10), 1-0, C80, 1995
  Kasparov-Topalov, Wijk aan Zee, 1-0, B07, 1999
  Kasparov-Kramnik, Astana, 1-0, C67, 2001
 は、すでに私のページで御紹介したか、またはその予定の名局。他5局は紹介棋譜欄にまとめておきましょう。どれも十年以上も並べずにいた棋譜ですが、懐かしい。5...h6とされて6.Bxf6と取るQGDなんて、よく勉強してました。
05/04/17
 中国の反日騒動を見ると、かつてドイツでユダヤ人が国内不満の吐け口にされたのが実感できる。たまたまチャップリンの「独裁者」を見た。若い頃には軽蔑しきってた映画だが、歳のせいか今度は例の演説にさえ感動してしまった。チェスの対局シーンもあることを皆さんはご存知だろうか。
 そういえばカスパロフはユダヤ系だ、ユダヤの大統領って前例があるのかなあ、と考えていたら畏友から衝撃のメール。カスパロフが暴行を受けた。チェスボードにサインを求めるふりをして若い男が近づき、頭部をボードで殴ったのだ。大きなコブが出来てしまい、でも病院に行かなかったというが、呉清源の事故とか連想してしまうので心配である。
 犯人はプーチン大統領の支持者だったよう。カスパロフの立候補を現政権の脅威と受け止める人が居るんだ。
05/04/16
 私のチェス好きを知る同僚が、「日本経済新聞、朝刊文化欄、15日を見よ」とのこと。天童市の人間将棋が話題になっていた。創始者の子が書いたもので面白い。駒を演じるのは公募に応じてくれた一般市民なので、たとえば香車役になった人が終局まで一回も動かないのではお気の毒である。そこで、対局者は出来るだけすべての駒が動くよう腐心する。打ち合わせをする場合さえあるようだ。羽生の感想が紹介されていて、単純ながら美しい。「満開の桜の下で将棋を指せたのは一生の思い出になった」。今年が50回目で、渡辺と山崎が務める。
 観光用の触れ込みでは、豊臣秀次の故事に倣って始めたことになっている。しかし、実際は人間チェスを参考にしたものらしい。人間チェスはイタリアのマロスティカ市が有名だ。両市は姉妹都市の協定を結んでいる。
05/04/14
 名人戦、第一局は素晴らしかった。羽生が先勝。
 朝刊の一面を見たら鶴岡稔彦裁判長の名があった。またも外国人に温情のある判決を下してくれていた。フィリピン女性と日本男性の間に生まれた子供に日本国籍を認めたもので、この子は、親が結婚していないため、現行の国籍法では日本人にはなれなかったのだが、それは憲法に反する、という判決だった。彼のような人がフィッシャーを担当してくれたのは単なる幸運なのか、配慮してくれた人が居たのか、興味深い。彼が国外退去を差し止めてくれたのを私は「妥当な決定」と書いたが(04/09/09)、あれも大きな節目だった。妥当でない決定を下す方向に話を進めていく裁判長の方が多い気もする。
 コルチノイがDVD“My Life for Chess”を出したとのこと。対局も元気で、GreenfeldやDvoyrisも参加したイスラエルの早指し大会で優勝。9勝1敗3分で、二位を2.5点も引き離した。
05/04/13
 あまりに長いインタヴューだが、ざっと要約すると、1、引退の理由を述べ、復帰の可能性を否定した。2、自分を破ったクラムニクは後継者として役不足で、彼の仲間を中心にしたACPにも期待できない。3、アナンドにも将来は託せず、もっと若いカリャーキン、カールセン、ナカムラの時代が来る。4、1999年と2000年、特に前者が自分の全盛期で、チェスの歴史では80年代と90年代の棋譜が最も質が高い。5、優れたコーチを養成するシステムが必要だ。6、ベストコンディションの人間は機械より強いが、長いマッチで好調を維持して機械に勝ちきるのは難しい。7、ディープブルーより、ディープジュニア、ディープフリッツの方が強く、ブルーが自分に勝ったのは不正があったからだ。
 15年以上も彼の棋譜を並べ続けてきた私としては、99年が全盛期だったという印象は無いが、棋譜の完成度だけを見た自己診断としては、そんな見方もあるかもしれない。「5」を熱く語ったのはさすがである。カールセンを育ててみたい、という意欲さえのぞかせた。「6」は、勝負師の発言としては敗北宣言に近いと思うが、私は同意見ながら、彼がそれをあっさり認めたのが意外だった。
05/04/12
 ChessBaseにカスパロフの長いインタヴューが載った。しかも、これで全三回の初回だという。引退会見の時は顔つきや発言に寂しさがあふれていたが、もういつもの彼に戻って、気前が良く自慢話が大好きな王様ぶりである。『Predecessors』については、「全六巻なんてやめて十巻まで延ばすんだ」、おいおい。チェスの未来や機械戦など、大事な話をしてくれたが、小ネタもむんむんしてる。ドルトムントのボロガンやトリポリのカシムジャノフのような、「一時力(いっときぢから)」で優勝した棋士について語ったあたりだ。
 カスパロフとポノマリョフのマッチは直前になってヤルタ騒動で流れてしまったが、もちろんカスパロフはそうなるまではトレーニングを続けていた。その練習相手がボロガンだったのだ。なぜボロガンがレコ、クラム、アナンドを抑えて優勝できたか。「わからんな。でも面白いぞ、ドルトムントの前に俺と彼は二ヶ月も一緒に研究したりブリッツしたりしてたんだ。たぶんな、あれがドルトムントの彼に自信を付けちゃったんだ!」。
05/04/11
 ドスエルマナスは首位に立ってから残りをすべてドローで、ラジャボフが優勝。大きな大会で勝ったのはこれが初めてでは。ただ、たった2勝というのが不満だ。ぶっち切って"後継者候補"の名乗りを挙げて欲しかったところ。ラジャがリナレスに招かれなかったのは、彼が疑った「カスパロフの意地悪」ではなく、こんな戦い方が嫌われたからだ、という説がある。一方、不調だったドレーエフは半点差の二位まで追い上げていた。
05/04/10
 やずやの香酢のコマーシャルにシャンチーが出てるのを畏友が見つけた。「量り売り」編の冒頭。あんな感じでチラッとチェスが出る映画には「アラビアのロレンス」がある。気付くのはマニアックなチェス・ファンだろう。超大作では他に「ルートヴィヒ」にもチラッと。これはアップで映る。
 コクトーの「美女と野獣」ではコミカルにチェスが使われた。若者が対局してるそばで、高利貸が部屋中の家具を片っ端から差し押さえて運び去る場面だ。撮影日記を見ると、コクトーは高利貸の俳優の容貌が気に入ってたようだが、演技については「不器用」で「動くことも口をきくこともできない」と述べている。コクトーが仕事仲間をけなすのは珍しい。
05/04/09
 法王とチェスの話題をいくつか見かけた。だいたいは『完全チェス読本』第一巻と重なる。いま「聖職者」の章を読み返したが、やはり面白い。お持ちの方は再読を。ChessTodayではチェスを好んだ法王にレオ10世の名を挙げていた。免罪符の販売を悪いことと思わず、ルターに破門状を送った法王である。
 最近買った定跡本から。まず、Psakhisのフレンチ大全が4冊目を出して完結した。クラシカル系を扱っている。バーンやルビンシュタインはいま一番見かけるタイプであり、旬の一冊だ。
 それから、RaetskyとChetverikのペトロフ。EverymanChessは薄くて手ごろな定跡書を多く出していてよく買う。これもそんな一冊。私は40を過ぎてからペトロフを指してる。序盤は覚えやすいし、終盤まで続けば、自分よりやや強めの設定にしたFritzでも勝てるのがうれしい。
05/04/07
 ドスエルマナスは首位カリャーキンと半点差の二位ラジャボフの直接対決。スコッチを採用したラジャが勝ち、首位が入れ替わった。ほとんどポーンを使わず、手数の78.7%がピースの動きという、目まぐるしく面白いチェスだったが、最後は一手バッタリで終わった。一方、ドレーエフが不調だ。ChessTodyは彼の疲労を指摘。調べると、ラジャとの105手の後、87手、76手の対局が続いていた。
05/04/06
 アイスランド政府は、フィッシャーをアイスランドの国民として守り、アメリカに引き渡さないことを宣言した。1992年のユーゴスラビアでの対局を犯罪に数えてフィッシャーを追い続けるアメリカ政府の行為に加担すべき理由は無い、と判断してくれたのだろう。そうなら、あらためて祝杯を挙げたい。私にとっても勝利である。ただし、フィッシャーには、もう国の外へ出ぬよう警告が与えられた。他国では再び拘束される可能性があるからである。
05/04/05 紹介棋譜参照
 二日に亡くなったローマ法王ヨハネ・パウロ2世は1981年に来日している。スピーチを始めようとしてるのに、若い信者達が数名で「We Love Pope!」と連呼していて鎮まらなかった。法王は無表情でしばらく見つめ、やおら、「ニホンゴデ、ドウゾ」と言ったのが忘れられない。
 『完全チェス読本』は彼がチェスを指すらしいことを伝えている。ChessBaseにも何局か収録されていることを、私も何度か触れた。一局を紹介棋譜に選んで追悼したい。対戦相手の名前が気になるが、真正の棋譜でありますよう。
05/04/04
 上野のラトゥール展を見に行こうと上京したついでに神田のアカシヤ書店にも寄った。日本チェス協会がまだ日本チェストーナメント協会だった頃からの会報「チェスサロン」が1967年の創刊号から8冊あった。パラパラっと見ると、宮坂幸雄や東公平、星野栄造といった、なかなかまぶしい名前が現れる。薄くて判も小さいパンフレットだが、貴重な資料だ。一万円。んー、迷いに迷って買えなかった。
05/04/03 紹介棋譜参照
 スペインのドスエルマナスでドレーエフ、ラジャボフ、カリャーキン等10人の大会が始まっている。沖縄の東にある南北ふたつの大東島をスペイン人が1543年に見つけたとき、そこを「ラス・ドス・エルマナス」と名づけたそうな。意味は「二人姉妹」。
 ドレーエフ対ラジャボフはダッチで始まり、膠着状態の駒の出し入れで徐々にドレーエフがポイントを稼ぎ、図は48.b6まで。もうPb7も約束されているから駄目だと思うのだが、ラジャは48...h4、これを取らせ、駒損を大きくしながらもBd6の形を得て、b8地点を守りつつQh2+から白王を追い回し始めた。もちろん、ドレーエフも終盤は強く、色違いのビショップを消去して、2ポーン得のQ終盤へ。このあたりの応酬がちょっと面白かった。しかし、そこからが私にはわからない。ラジャは諦めず、そして、どこでどうなったか、105手まで戦って引き分けたのである。
 ラジャボフの終盤を私は楽しみにしてる。本局はドレーエフが相手だから価値があるだろう。長いので、図から97手目までを紹介棋譜に残しておく(現在、棋譜にミスあり)。
05/04/02 紹介棋譜参照
 モンテカルロの大会は終わってしまった。アナンドの圧勝である、10勝1敗11分。昨年は目隠し部門でポイントを落としていたのだが、今回は得意の早指し部門と合わせ完全優勝。二位は2.5点差でモロゼビッチ。全局を並べたわけではないが、モロゼビッチの好局を目隠しと早指しから一局づつ紹介棋譜に。どちらも引き分けだが、前者のアナンド戦は「フレンチディフェンスかく戦えり」という趣が好きだし、後者のレコ戦はどうみても黒がモロゼビッチだとしか思えぬ乱戦である。
05/04/01
 畏友は風邪をひいたようだ、「頭に氷をのせていたら、アイスランドの夢を見ました」。重症である。彼はまだ記事のチェックを続けていて、取材方法に関して毎日新聞が成田空港からお叱りを受けた、という話があるのを教えてくれた。周知のとおり、最も熱心にフィッシャーを報じてくれたのが毎日新聞だった。同社のページにはパルソンの紹介記事が一昨日出て、これも畏友から教わったが面白い。ただのボディガードではなく、ハンドボールでは国の代表選手でゴールキーパーを務め、ロックンロール・ダンスコンテストでも十回優勝してる有名人なんだそうだ。一件落着しての談話は、「友人らしいことができた。そしてアイスランドも威厳を保った」。彼については、例の本の翻訳で読もうと思う。ただ、訳出は済んだものの出版の作業が遅れ気味らしい。
05/03/31
 今月みた映画は「トニー滝谷」。村上春樹の原作を市川準が監督した。原作者独特の虚脱感を映像化した静かな映画だった。人物や環境、生活を宙に浮いた感じに見せる画面が美しい。孤独な人間と幸福な結婚をしてしまった女性の、本人も気付かずにいた空虚を、登場人物の一人が嗅ぎ取って涕泣する、でも、その本人もなぜ泣けてくるのかわからない。その微妙なところが原作より上手に表現されていた。
05/03/30
 もう旧聞に属するが、NHK杯は山崎隆之が決勝で羽生善治を破って優勝した。戦法は郷田戦と同じだった。三回戦から本欄で応援していた私は嬉しい。ただ、ネット上で結果はずっと前から知れていた。
 万博の記事を書いたら、畏友から指摘を受けた。1951年のロンドン大会は「水晶宮ではなく聖ジョージ・チェス・クラブだったのでは」。申し訳ありません、私がチェス事典の記述を誤読してました。万博に合わせて開催されたのは確かです。
05/03/28
 愛知で万博とのこと。私は神奈川出身で、1971年の大阪万博に行けなかった。無論、行った級友は居り、それこそ月の石を持ち帰った程の威光を感じた。34年も経つと、万博のイメージも変わるものだ。
 チェスと万国博覧会というのはそこそこ関連がある。たとえば1951年のロンドン大会は同年の万博で有名な水晶宮(クリスタル・パレス)で開催された(間違いです)。1933年のシカゴ万博では、アリョーヒンが目隠し同時対局で世界新記録を作るパフォーマンスを行っている。え?ええ、まあ、そりゃ、畏友に教わったんです。
 そう言えば、アメリカ政府がフィッシャーをなりふり構わず捕まえようと、脱税容疑を掛けた話は、大昔のアル・カポネの逮捕を想起させた。あれも、実はシカゴ博覧会を前にして、町を浄化しとこう、という意図があった、という話があるそうだ。
05/03/27
 三月のムダ話をしておこう。フィッシャー解放の祝杯に飲んだワインはシャトー・ディッサン。私の小さな町の酒屋さんには、いつもびしっとした服をキメて、「私はワインが専門です」という誇りを持って店頭に立つ、粋なお兄さんが居る。その彼が言うには、最近のお薦めがこれなのだ。低迷する古いシャトーに、やる気のあるオーナーが入ってテコ入れをしたところ、よみがえったのだとか。格を少し下げたブラソン・ディッサンというのもあり、これも美味い。人によってはこちらのあっさり感を好まれるかもしれない。
 普通のチェスサイトに戻るべく、今回の事件を総括しようと思ったが、項目を挙げるだけでかなりの量になった。そろそろ翻訳が出そうな"Bobby Fischer Goes to War"も「解説」を付けないと中途半端な本になろう。けど、誰が書いても上手に仕上げるのは難しそうだ、と思った。私は三点だけそれぞれ軽く述べておく。
 いろんな人がいた中で、一人だけ挙げるなら弁護士鈴木雅子だろう。面倒な依頼人と同志たちを抱えて、最も長く不利な時期を粘り切ってくれた。今後、大きな仕事をたくさん任される方ではないか。ほんとは彼女に「解説」を頼みたい。応援してるうちに、ほとんど愛してしまった。お会いしたい。
 フィッシャーは強制退去に関する新手筋を開発した。これを使う人がまた現れるだろうか。フィッシャーを送り出すに際し、入国管理局のコメントは、「我が国の公安、国益を著しく害さない限り、本人の希望を尊重する。米国から法令に基づく身柄の引き渡し請求はない」。皇帝陛下の掲示板で陛下みづから、これを「立派」と評された。入管には不信感一杯の私からすれば意外な高評価だが、言われて見れば、この発言が前例となって今後も残るのだから、意味は重い。
 一番の謎、なぜアメリカ政府はフィッシャーを捕らえたがってるのか。これはいまだに理解できない。脱税を持ち出すほど執拗だった。フィッシャーのチェス史に残る経済制裁違反よりも、彼の幼稚な現政権批判の方がアメリカ政府には気になる、そんな情勢なのかもしれない。
 報告を送ってくれた畏友のメールに、「ああいかん、いろいろ言いたいことがまだ、、、」。
05/03/25
 カスパロフはどうせ復帰するさ、と思ってる人はプロにも非常に多くて、、、やっぱ次のニュースです。
 成田空港に現れたフィッシャーは
すごい顔になっていた。10キロほどもやせたというが、アイスランドでクリスマスのバイトが出来るだろう。約50人の報道陣が彼を囲んで、「自由になった気持ちは?」。すると、気の短いサンタは、「まだ自由になってない!私は逮捕されたのではなく、日本で拉致された。アイスランドに到着するまでは自由になれない!」。大事な勝負にすべて勝ってきた人で、今回もその通りになったが、それにしても幸福とは思えない。
 とにかく彼は行ってしまった。市民権が出て、初めて互角の形勢になり、いよいよこれからかというところで、一気に終わってしまった。私は気持が落ち着かない。畏友はフィッシャーを追って成田空港まで行っていた。そして報告を送ってくれた。というか、そうせぬことには彼も整理が着かなかったと思う。御覧ください。読み終えて、ようやく私にも一区切り着いた実感が湧いてきた。
 多くの方が本欄でフィッシャー情報をチェックしてくださった。お礼を申し上げます。ちっとも孤独な作業ではありませんでした。とにかく祝杯をあげます。いますぐ総括はできそうにない。明日は休みます。
05/03/24
 モンテカルロで恒例の面白い大会がすごい顔ぶれで、現在、、、やめとこ。
 畏友はアイスランドのニュース動画までチェックしている。22日の放送を教えてくれた。雨の中、牛久のセンターを背景に渡井美代子がインタヴューを受けている。「日本人が普通のことさえやらなかったということに対して、なんか、やあ、あの、、、考えさせられました、ええ。あの、アイスランドの人が勇敢なんじゃなくて、それは人間として当然やらなくてはならないことである、というふうに思いましたねえ」。まず人間としては北の仲間に礼を言うのが当然だろうに。「当然のこと」はな、当然のように実現したりしないんだぞ。まあいいさ、お似合いの男女だ。彼女もアイスランドに行くつもりらしい。他、鈴木弁護士や南野法務大臣の談話映像もあり、後者の弱々しさが印象的だった。
 畏友も私もアメリカ政府の反応が気になっていたが、昨日はニュースをチェックするたびにドキドキさせられる一日だった。まず、22日の定例会見で米国務省のエレリ(エアリー)副報道官が、アイスランド国会の市民権付与に失望と不快感を表明。記者が「日本には彼(フィッシャー)をアメリカに引き渡してほしい、とお望みですか」と訊くと、「Yeah, that's what we've asked for」。来たな、もつれるな、と思わせた。そして、23日の日本の記者会見で杉浦官房副長官は、「米国の希望、要望はまだ確認していないが、それを踏まえて、入管法上の法令に従って判断する」。ん、まだ確認してないの。踏まえる?、ますます長引く不安が高まった。が、その日のうちに続報が入った。法務省はフィッシャーを24日にアイスランドへ強制退去させる方針を決めてしまったのである! そうか、長引くのをわれわれ以上に嫌うのは彼らだ。
05/03/23
 さて、どどっと記事が出ている。総合すると、21日、アイスランド国会はフィッシャーに市民権を与える法案を、42人で投票し賛成40反対0棄権2で可決した(定数は63人で21人欠席)。ただし、まだ手続きが残っており、市民権付与には数日かかる。これを受け、22日、南野法務大臣もアイスランドへの送還を検討すると明言。追記23日の時点では市民権付与手続は完了していた。
 多くの報道が「前向きに検討」と伝えているが、フィッシャーの本国はアメリカである以上、アメリカとの調整が必要だ、と大臣は述べている。ただ、前向きに検討する日本政府の体面もあろう。実質的には「法務省の調整の結果、アメリカは手を引いてくださったんだぞ」という形づくりになるのでは、と思いたい。
05/03/22
 先週、ひも理論を3回に分けて解説した番組を見て驚いた。それまで私は、ひもとはブラックホールの奥底でとぐろを巻いてる大蛇のようなものだと想像していたからである。
 毎日新聞のページがフィッシャーの脱税を
報じたのは今月五日だが、きっかけは畏友によれば、ChessCafe.comに寄せたルネ・チャンの「The Real Endgame」らしい。とりあえず、アメリカ大陪審で起訴が審査される4月5日という日付を意識しておこう。Blackdog氏の掲示板でhudaさんが書いてるが、アイスランドもアメリカとの間に犯罪人引渡し条約を結んでいるようだ。だから、フィッシャーとしては、すみやかにアイスランドへ送還してもらい、そこからすぐ別の"安全な国"に移りたい、ということになるんだろうか。それとも、アイスランドに居ついても、引き渡されずに済むんだろうか。もともとが私の頭には難しい事件だが、急展開でますます追い付けなくなっている。速報アイスランド市民権、獲得しました!
05/03/21
 江田五月はアメリカとの関係を入国管理局長に尋ねてくれた。局長の答弁は「裁判中なので答えられない」。じゃあその裁判とやらで十分に議論しているかというと、05/01/19と05/02/02に紹介したとおりだ。ただ、答弁では「国籍または市民権のある国に送還する」という言い方を繰り返しており、裁判の頃に比べて「アメリカに送る」という言い方が消えた。特に「市民権」という単語が私と畏友の気を引いた。そこはかとなく落しどころを提案してる気味がある。
 畏友はAFP16日の英文記事から福島瑞穂の談話を見つけてくれた。それによると、彼女が会った時、入国管理局長は「アイスランドが彼(フィッシャー)に市民権を与えれば問題無い」と述べた、とのこと。正義感の強い左翼系は意図的な聞き違いを語ることがあるし、畏友の調べでも「入管側はコメントを避けてるよう」。しかし、気になる。アイスランドでも、市民権を与えるかどうか、国会での議論が進行中だ。逐条解説、人権、常任理事国、などキーワードが増える一方だが、当面はこれが問題だろう。ちなみに、福島瑞穂は自分のホームページで3月16日に、「市民権があろうがあるまいが、パスポートがあるので、アイスランドへの出国を認めるべきである」と述べている。
05/03/20
 つまらない長文になるが、ひとまずまとめておかないと、明日から書きにくい。
 フィッシャーが脱税で起訴されるということでわかるのは、何が何でも米政府はフィッシャーを捕まえようとしてる、ということだ。やりすぎだと私は思う。問題を重くして、囲碁で言う「もう石を捨てられない」状況になりかけてきた。もちろん完勝できればいいのだけど、結果論ながら、フィッシャーを拘束するよりは従来どおりに泳がしておいた方が安全だった。とにかく、アイスランドの動きは米政府を脅かすほど有効だったわけだ。それから、米政府が自分で動いてそこまでするということは、やはり、日本政府との取引があったわけではないのだ。巷間いわれてきた、米政府はジェンキンス脱走兵に重罪を課さない代わりに日本政府はフィッシャーを引渡す、という密約説は誤りだろう。また関連記事から、フィッシャーはユーゴスラビアの対局で賞金をもらえたんだ、ということもほぼ確信できた。
 わからないこともいくつか。どうして、アイスランドは頑張ってくれるのか、そして、日本の野党が親身になってくれるのか。とりあえず、前者については、「1972」はそれほどに偉大だったのだ、後者については、米政府が反米テロ賛美者を拘束できず恥をかくのは日本の与党にとっても打撃なんだろう、としておく。
 素人分析はこの程度にして事実報告を。畏友が国会の動きを重ねて伝えてくれている。社民党の党首福島瑞穂までが立ち上がった。それから民主党の有力議員江田五月も参議院法務委員会でフィッシャー擁護の立場から質問をした。まとめて
ここに。前者は議員のホームページから、後者はネット動画から。榛葉賀津也は20分以上も入国管理長に食い下がってくれたので私の写しは抜粋になったが、今回は7分弱なのでほぼ完全に一言一句、言い間違いもそのままである。
05/03/18
 フィッシャーに関する国会に動きがあったが、私の仕事がいろいろで、明日はお休みにします。今日は、ご報告が中途半端なまま続きが遅れに遅れている8日の記者会見について。パルソン(Palsson)が来てくれた話は03/11にした。九日のフィッシャー62歳の誕生日に面会している。JCAのページによると、面会室のガラス越しにお祝いの歌を歌ったという。なお、彼だけでなく、ソラリンソン(Thorarinsson)もフィッシャーに面会している。1972年のマッチを取り仕切った人物だ。
 会見の席上、パルソンは二度発言した。畏友によれば、「正直、なまりもきつく、ずれたことを言っているようでもあり、メモを取る人は少なかったと思います」。こうした場に慣れてないんだろう、と畏友。「でも、手をふるわせながら訥々と語る姿は胸をうちました。彼は席に戻ると涙をぬぐっていました」。この33年の間、二人はほとんど会ってないのかもしれないのに。「フィッシャーがアイスランドに残した印象ということを思いました」。
 ところで、パルソンはすぐ面会が許されたのではない。実は最初はダメだった。毎日新聞の記者、田嶌徳弘によると、こんな出来事があったという。もうネット上で読めない記事なので長い引用をする。《(牛久の)センターの朝食には毎日ゆで卵とジュースか牛乳、それにパンとジャムが配給される。2日朝はフィッシャーさんにゆで卵が配られなかった。フィッシャーさんは係員に「卵をもう一つくれ」と言った。卵好きの彼は、1個もらった後、いつも「もう一つ」と言う。ただし、2個食べられたことは1回しかない。この日は卵がないのに、そう言った。係員は「ノー」と答えた。フィッシャーさんはその係員のシャツの胸ポケットをつかんで引きちぎった。大騒ぎになった。別の職員の顔を殴った。後ろ手に手錠をかけられ2時間放置され、収容以降初めて独房に入れられた。出されたのは4日後だった》。
 故意にフィッシャーを怒らせて面会を不可能にし、彼に同情的な報道が出るのを阻止したのではないか、記者はそんな疑いを付け加えている。私はわからない。情報はセンター側に都合良く修整されてるんだろうが、何かはあったんだろう。
05/03/17
 榛葉賀津也は入国管理法が得意分野の議員ではない。それでも質問役を引き受けてくれたのだと思う。自分の議題を後回しにして、真剣に入国管理局の言い分を引き出してくれた。政治家って、頭脳明晰とかより、こうした頑張りが出来る人の仕事なんでしょうね。そう言ったら畏友は、「同感です」。
 入国管理法を予習して質問に立った榛葉と、昨年7月から事件を見てる私とでは観点が違うのは仕方ない。一つだけ不満を言う。フィッシャー事件に関するアメリカの関与の有無を、外務大臣に答えさせてはいけなかった。入国管理局長に訊くべきだ。04/08/25に述べたように、彼は米政府の依頼を受け、そのとおりに動き、しかも、04/08/21に簡単に触れたが、フィッシャー拘束当夜はアメリカ領事の陣頭指揮を実質的に受けていたのではないか、とさえ思える状況を許している。
 つまり、問題がチェスから完全に外れてしまうが、入国管理局には自分の頭で入国管理を考えた形跡が見られないのである。それは05/02/02に紹介したような裁判風景にも明らかだ。
05/03/16
 畏友から一報。昨日の参議院外交防衛委員会で民主党の榛葉賀津也(しんばかづや)が質問し、フィッシャー問題をフィッシャー擁護の立場から扱ってくれた。へえ、審議の模様をインターネット動画で見られるんだ。議事録のネット公開には数週間かかるとのことなので、議論を
ざっと私の筆でたどっておく。それだけで疲れてしまったので今日はここまで。

戎棋夷説